一筋の光
「どうした?苦虫を噛み潰したような顔をして」
日向が楽しそうに頬を緩めた。那津より二つ上の日向は、ひょろっと背が高く、ひときわ細い首が印象的な色白の男だ。昨年に子供が出来てから、すっかり子煩悩になって、ずっとぷくりと張った頬を触ってはニコニコしている。
家を出ることになった那津には、少し寂しそうなそぶりを見せているが、やがてそれにも慣れてしまうのだろう。
那津は、きゃっきゃと笑う息子を膝に乗せてあやしている日向の前に座ると、
「改めて、挨拶をと思ってな」
と苦笑した。やはり血を分けた兄弟に面と向かって話をするのは気恥ずかしい。日向もまた、おう、とくぐもった声を出した。
那津が、それでは、と腰を上げようとすると、日向が声をかけた。
「何か言いたいことがあったんじゃないのか?」
「え?」
振り向く那津に、日向はついっと指を指した。
「変な顔をしているぞ」
「へん……な……」
自分の頬をさすりながら視線を泳がせた那津は、やがてもう一度日向の前に座りなおした。息子が那津に手を伸ばすので、優しく抑えながら日向が那津の言葉を静かに待った。二つ年上とは思えない落ち着きはらった態度に、那津は少し心が熱くなった。
「楽しいですか?」
「俺か?あぁ、そうだな。息子も元気だし、妻も俺をよく引っ張ってくれる、頼りがいのある人だし、毎日退屈しないぞ」
「そうですか……」
「お前もきっとそうなるぞ」
「え?」
「女は強い方がおもしろい」
日向は楽しそうに笑った。日々の細かいことは、全部妻ちさに任せていることは、一緒に住んでいる那津も知っていた。そしてここぞという時には頼りがいある所を見せる兄の姿を、那津は何度も見てきた。兄は本当に幸せなのだろうと、那津はいつも温かく思うのだった。
「妻が……」
那津は本題に入った。そうでないと、日向ののろけ話に付き合わされそうだったからだ。
「もし、別人だったら、どうしますか?」
「はあぁ?」
案の定、日向は素っ頓狂な声を出して首を伸ばした。
「何の話だ?」
「契りを結ぶ相手が、別人だったら、ということです」
日向はきょとんとした顔で首をひねった。
「お前は、瑠璃ではない誰かと結納を交わすというのか?」
「いえ。そうではなく、瑠璃は瑠璃なのですが……」
歯切れの悪い様子の那津に、日向はますます首をひねる。それもそうだろう。全く理解の出来ない話をしているのだから。そして那津の胸の内も、まだ整理しきっていないのである。
那津は首を大きく横に振ると
「いえ、ただの夢の話です」
と言い改めた。そして素早く腰を上げると、逃げるように襖に手を掛けた。すると日向は静かに言った。
「お前は、誰を一番信じようとしているのだ?」
「え?」
振り返る那津に、日向は深い輝きを湛えた瞳をまっすぐに向けて言った。
「信じるものはひとつで良い。そうだろう?」
「…………」
那津はじっと日向を見つめ、そしてにっと口角を上げた。やっと少しだけだが、心に光が差した気がした。