鏡池の前で
季節は秋を迎えていた。
肌寒くなった空気に身を縮ませながら、那津はいつものように瑠璃に会いに行く。もう何度足を運んだだろうか?慣れた道を馬を駆りながら、首を垂れはじめた稲穂の海を眺める。視線を遠く見渡しながら、那津は、今日こそはっきりと意思を告げようと心に決めていた。
「今日は天気も良い。瑠璃、出掛けないか?」
そう言って差し出す那津の手に、自らの手を重ねた瑠璃は、ニコリと微笑み返した。
「今日はどこへ向かうのですか?」
「すまない。今日は、秘密にしようと思っている」
「まあ!珍しいですね、那津がそんな風に焦らすなど」
それさえも楽しいかのように、瑠璃はくすくすと笑った。
愛馬の背中で、目の前に座る瑠璃の細い体が振り落とされないように、那津は後ろからギュッと抱き締めた。瑠璃はそれに体を預け、肌寒さを感じる風に髪を梳いた。そこから流れ漂うほのかに甘い匂いを吸い込みながら、那津は馬を走らせた。
「今日は少し遠くまで来ましたね」
ふうっと息を吐き、気持ち良さそうに深呼吸する瑠璃に、近くの木に馬を繋いだ那津が戻ってきて、その手を握った。
「こっちです」
那津は何か尋ねようとする瑠璃にニコリと微笑み、そのまま手を引き歩き始めた。今まで足を踏み入れたことの無い林の中を、那津は慣れた足取りでずんずんと進んでいく。彼に遅れを取るまいと、瑠璃は少し早足で那津の背中を追った。
それからしばらく歩いた先で、瑠璃は自ら那津の手を離れた。
「まぁ……」
そのまま声を無くしたように立ち尽くす瑠璃の横にそっと立つ那津。
二人の目の前には、小さな池があった。
周りを草木で囲まれ、波一つ無く静かに水をたたえているその池に、瑠璃の視線が縫いとめられたように凝視されていた。
その水面には、周りを囲む草木の紅葉がくっきりと映っていた。まるで鏡で写したように、吸い込まれそうなほどに鮮明な色で映る草木の鮮やかさに、瑠璃はすっかり言葉を無くしていた。
「綺麗……」
やっとこぼれるように落ちた瑠璃の言葉に、那津はふっと口元を緩めた。
「良かった。気に入ってもらえましたか?」
「気に入るも何も……とても素晴らしいものを見せていただきました」
そう言って微笑みながら、那津を見上げる瑠璃の瞳が、かすかに潤んでいた。那津は思わず瑠璃を抱き締め、うなじに唇をうずめた。
「那津?」
小さな声が那津の耳に届き、胸にひとつの光が灯った。
「瑠璃……」
那津はすうっと息を吸うと、続きの言葉を紡いだ。
「一緒になろう」
ぴくりと瑠璃の肩が震えるのを感じ、那津は恐る恐る身体を離した。そして瑠璃の顔を真正面から見つめると、彼女は、何度も瞬きをしていた。その瞳から、ほろほろと大きな涙の雫がこぼれ落ち、頬を濡らした。
「那津……」
かすれた声で名前を呼び、口を押さえながら、瑠璃は大きく頷いた。那津の、それまで抱えていた不安が一気に吹き飛び、安堵の表情になると、再び瑠璃の体を抱き締めた。
鏡のように鮮やかに紅葉が映る水面に、二人の姿が静かに映っていた。