満開の桜の下で
一人きりの部屋の中、そっと忍ばせていた蓮からの手紙を丁寧に開くと、懐かしい文字が那津の目に飛び込んできた。
【那津。あなたがこれを読んでいるということは、各務に会ったのですね?何かの縁がそうさせたのなら、きっとそれが本当の生きる道なのでしょう。各務には何も伝えていません。ただ、出来るなら、何も知らないままで生きて欲しいと思っています。各務がどんな人間になるのか、見られないのは残念ですが、もし那津が少しでも各務のことを気に入ってくれたのなら、少しだけ、彼女が生きる事に手助けをしてやってください。わがままばかりでごめんなさい。最後に。私は那津に出会えて良かった。あなたの頼り甲斐のある笑顔が大好きでした。あなたの将来を見据える強い横顔が大好きでした。もし来世でまた会う事があるなら、私も、もう少し、強くなろうと思います。那津、ありがとう。瑠璃や父をよろしくお願いします。】
言葉を選ぶような、丁寧な文字でしたためられた文を読みながら、那津はひとり胸を痛めた。
「気に入るも何も、各務はお前そのものだ。お前に似て、とても頑固で強い」
言い聞かせるように呟き、空を見上げた。
すっかり夜も更け、眩しいほどの月が浮かび、周りを優しく照らしていた。
「どうりで、灯りも要らずに文が読めたはずだ」
那津は、一人ふっと笑うと、そっと文を畳んだ。
各務は那津たち家族と暮らすようになったが、時折、両親の墓参りに出掛けた。その時には必ず、矢束が共に行き、時々小さな小屋や畑を眺めながら遠い目をする各務をそっと見守っていた。
「あの子たち、本当に兄弟のようですね」
そう言いながら目を細める瑠璃の視線の先を追えば、相変わらず喧嘩の耐えない二人の喧騒が響いていた。
「そうだな」
那津は笑いながら、同じように目を細めた。
やがて季節は移り、春の気配が漂い始めた。
暖かくなった事もあって、庭先では子供たちが走り回り、楽しそうに遊んでいるところへ、矢束と各務も入って一緒に駆け回っていた。
「大きくなったな、二人とも」
縁側に座る政吉は、矢束と各務の姿を目で追いながら、頬を緩ませた。そして、ますます蓮に似てくる様子に胸を痛めているのは、三人ともが同じだった。顔を見合わせ、苦笑いを交わして、お互いの気持ちを確かめ合うと、改めて新しく生きる道を見つけた喜びさえも覚えていた。すべて、蓮が残してくれたものだ。
ふと、子供たちの群れの中に矢束と各務の姿が無いことに気づいた那津は、瑠璃と共に屋敷の中を探していた。
「あ、あそこ……」
瑠璃が那津の袖口を引き、指したその先にあったものは――
縁側に並んで腰をおろし、満開の桜を眺める矢束と各務の姿だった。
それは、かつて那津が若い時、蓮と並んでいた光景、そして、瑠璃がそっと襖の奥から見つめていた那津と蓮の後ろ姿そのものだった。
矢束は各務に何かを話しかけ、彼女もまた、楽しそうに言葉を返している。その後ろ姿を見ながら那津は、二人を鏡池へ連れて行こうと思った。
この桜の花びらが落ちる頃に…………




