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桜の花びらが落ちる頃に  作者: 天猫紅楼
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 各務と矢束が出て行き、静かになった部屋の中で、各務の父はゆっくりと起き上がろうとした。那津は慌てて制止しようとしたが、優しく微笑まれると何も言えなくなってしまった。

 那津に手を借りて起き上がり、褥の上に座って小さく咳をする各務の父をじっと見つめ、那津は彼の言葉を待った。それ以外、何も出来なかったのだ。彼はふう、と小さく胸を撫でると、ゆっくりと話し始めた。

「あの人は、私にとても尽くしてくれました。何も言わなかったが、いつも何かを秘めている人だった。何か私にしてやれる事はないかと思っていましたが、これでやっと…………あの棚の奥に、手紙があります。それを、あなたにと」

「えっ?」

 那津は目を瞬かせ、彼の言葉を理解しようと努力した。まだ各務の母が蓮だという保証はない。だが、各務の父は、那津が蓮の想い人だということを、すでに分かっていたように頷いた。

「あなたが、蓮のことを守ってくれたのですね?」

 かすれた声で言う那津に、彼はゆっくりと首を振った。

「いえ。私は何も。ただ、身重の彼女を放っておくことが出来なかった。私は若い頃に、女房と子供を一度に亡くしたのです」

 自嘲気味に微笑み、各務の父は、細く骨ばった指で小さな棚を指した。

「お互いに何も探らない……そんな仲でしたが、決して無理をして一緒に居たわけではなかったと思います。それに、私たちの仲を取り持ってくれるように、各務は良い娘に育ちました」

「ええ。各務は、とても頭の良い子です。あなたの人柄もあるのだと思います」

 那津は腰を上げて棚の引き出しを開け、奥にひっそりと眠る封書を取り出した。

「これで何も思い残すことはない」

 各務の父は、改めてほうっと息を吐いた。清々しく、肩の荷がやっと下りたという表情を浮かべていた。やがて、薪を持ってきた各務たちに引き戸が開けられる音が、部屋に響いた。



 それからしばらくして、各務の父は息を引き取った。

 驚くほど安らかな寝顔をしていた。その横で、真っ赤な瞳からとめどなく涙をこぼし、肩を震わせる各務に寄り添うように、悲痛な顔で矢束が座っていた。噛みしめる唇から、今にも血が滴りそうなほどであった。

「母の隣に埋葬してやろう」

 うな垂れて涙を落とす各務にそっと言うと、那津は各務の父の骸を抱き上げた。

 冷たくなった父の手をきゅっと握ったまま、各務は、母、蓮の墓へと案内した。

 林の奥に少し開けた場所があり、そこに蓮の墓はあった。周りの雑草は綺麗に抜かれており、小さく盛ってある土山に横たわる花はまだ新しい色をしていて、きっと毎日のように参っているのだろうと那津は思った。蓮の墓の前で手を合わすと、矢束もそれに習った。

『蓮……遅くなってすまなかった。お前の事は、これからも俺が護ろう』

 そう誓い、那津はくいっと唇を引き結んだ。その瞳には、固く誓いをたてる輝きが灯っていた。もう一人にはしない。蓮を守り切れなかった悔いは、これから取り戻すのだ。

 三人は蓮の墓に手を合わせたあと、その隣に穴を掘り、各務の父を埋葬した。きっと自分たち以外は誰も足を踏み入れないであろうこの小さな墓を、決して自分の存在が明るみに出るのを良しとしなかった蓮は喜んでいるのかもしれない。そう思うと、余計に胸が苦しくなる那津だった。



 那津が名を呼ぶと、各務は真っ赤に泣き腫らした目で彼を見上げた。那津はそのか弱くも芯に強い輝きを持つ瞳に蓮を重ねながら言った。

「各務。たった一人で暮らすのは大変だろう。これからは、私の家に住みなさい」

「えっ?」

 驚いて目を見張る各務に、矢束が賛同した。

「それがいい!このような山奥、いつ何かに襲われるかもしれないぞ!獣だっているに違いないのだから!」

「でも……」

 各務は目を伏せ、墓をちらりと見た。那津は各務の頭にポンと手を乗せ、優しく撫でた。

「分かっているよ。両親との思い出を奪うつもりはない。この辺りを、私たちが買い取ろう。そうすれば、あの家も畑も残る。墓参りにも、いつでも来れる」

「どうして……どうしてそこまでしてくれるの?つい最近会っただけのあたしたちを……どうして?」

 各務は、半ば困惑した様子で那津を見つめた。その瞳もまた、那津が近付こうとしても静かにそれを拒んでいた蓮と重なり、その途端に、もう二度と離したくないという気持ちが深く強くなった。

『こうして各務と出会えたのは、何かの縁に違いない。離してはならない。絶対に』

 その理由を自分も知りたいとばかりにじっと見上げる矢束の視線を頬に感じながら、那津は小さく頷くと、蓮の墓を見つめた。

「お前の母、蓮とは、昔――」

 那津は目を細めた。

「良い友達だったのだよ」

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