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桜の花びらが落ちる頃に  作者: 天猫紅楼
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各務の家

「矢束っ?」

 驚く各務よりも深く動揺したのは那津だった。

「お前、馬に乗る訓練など――」

 したことがないのに、と言おうとする那津に被って、追いついた矢束が叫んだ。

「そんなものっ、どうにでもなりますっ!」

 よく見ると、全身汗だくで馬にしがみつくようにする矢束を、馬の方が気遣って走っているように見えた。那津は思いがけずも息子の破天荒さに苦笑しながら、心の隅では

『こんなにたくましくなったか』

と誇らしく感じた。

「ハル、よくここまで矢束を運んで来てくれた。もう少し、頑張ってくれよ」

と、矢束を乗せる馬に声を掛けると、

「お!俺は荷物ではありません!」

と矢束が懸命に反論した。吹き出す那津につられて各務も笑い、頬を膨らませる矢束を従えて、一行は先を急いだ。

 各務の家は、日当たりの良い山の中腹に建つ小さな小屋だった。

『ここが、蓮の……』

 那津の胸のざわめきも知らず、各務は馬から自力で飛び降りると、我が家へと一目散に駆けていった。慌てふためきながら馬から転げ落ちるように降りた矢束は、初めての乗馬に身体の均衡を失ったようによろめきつつも、ぶんぶんと頭を振って喝を入れながら、フラフラと彼女を追った。那津は矢束が乗ってきたハルと、自分の馬を近くの木に繋ぎながら、周りを伺った。

 辺りはすでに日が落ち、しんと静まり返った林の木々を縫うように、甲高い生き物の鳴き声が聞こえていた。

 小屋のすぐ近くには、小屋の敷地ほどの畑があり、収穫が終わったのであろう土の山が、静かに冷えていた。

 ここで蓮がどんな生活をしていたのか、想像もできなかった。身の回りの世話は、全部家に仕える人たちがしていたので、自立し、自給自足での生活など、蓮の経験にはなかったはずだ。勿論、那津にも経験はない。

 ぐるりと見渡しながら、それでも何か手がかりはないかと考えていると、各務の家に明かりが灯ったので、那津は少し名残惜しみながら各務の家へと向かった。

「父ちゃん!」

 各務の叫び声にも似た父を呼ぶ声に、那津の腹がきしんだ。今中に居るのは、蓮の夫であり、各務の父親だという現実が、今更ながら那津を襲っていた。


 湿った木の引き戸を開けると、目の前の板の間に薄い布団が一枚。そこに、各務の父親が力なく横たわっていた。息も薄く、窪んだ目が、その時期が間近に迫っている事を予感させていた。各務は父親に薬を飲まそうとその肩の下に細い腕を回し、身体を起こそうとしていたが、か弱い力では何とも出来ず、見兼ねた矢束が手を貸そうと腰を上げようとしていた。そこへ那津は歩み寄り、各務の父親の身体を起こしてやった。

「父ちゃん、薬だよ!これ飲んだらまた元気になれるから!さ、飲んで!」

 各務が父の口元に薬を運ぶが、彼はそっと腕を上げて制止した。そしてまぶたを薄く開き、那津を見た。

「……あなたは?」

「突然の訪問、無礼をした。私は初司田家当主、那津。各務の――友人です。これは、息子の矢束です」

 矢束の肩に手をやって静かに答える那津に、各務の父はわずかに瞳を揺らした。

「いつも町へ行くと少し寄らせてもらっていて。今日も、あたしをここまで送り届けてくれたんだよ。かあちゃんは武士たちを嫌がってたけど、本当は、いい人たちばかりなんだ!」

 一生懸命説明をする各務に、父は窪んだ目を細め、また那津を見た。そして彼にひとつ頷くと、各務に視線を移した。

「各務。裏の倉庫から、薪を取ってきてくれ。少し暖を取りたい」

「うん!分かった!薬、ここに置いておくからね!」

 各務が転がるように家の外に出て行くと、那津にうながされて、矢束も後を追うように走っていった。

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