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桜の花びらが落ちる頃に  作者: 天猫紅楼
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手紙布

 河原で気を失い倒れている那津を見つけた近くの村の人が、看病をしてくれた。気が付いた那津は、薄い布のような布団に寝かされていた。体中が痛かったが、痛みをこらえて起き上がると、心配そうに覗き込む村の男に言った。

「すまなかった……もう大丈夫だ」

「あまり人の事を聞くのは良くないとは思うが……誰かを探しているようですな。うわ言で何か呟いていましたが」

「そうですか……あの、私よりも若そうな女の人がここに来ていませんか?」

 那津の問いに、村人たちは顔を見あわせて首をひねった。

「いや……もう何年も、見知らぬ人がこの村を訪れることは無いなぁ」

「そうですか……」

 これだけ捜しても見つからないのだ。もうこの辺りには、蓮は居ないのかもしれない。もしかしたら、再び遊郭へ連れ戻されたのかもしれない。だが、再び那津自身が遊郭へ赴いたなら、今度こそ無事で帰れるとは思えなかった。

「はあ……」

 長く深いため息と共に、那津の心が奈落の底へと落ちて行った。



 村で馬を借り、初司田家へ戻ったのは、政吉に怒号を吐いて飛び出してから七日経っていた。

 瑠璃はずっと心配して、何か物音がするたびに門の外へ出て那津が帰ってくるのではと待っていた。その道の向こうに那津の姿が見えたとき、彼女は今にも崩れ落ちそうな身体を引きずるように彼へと歩み寄った。頬を涙で濡らしながら。

 政吉もまた、自分のしたことを悔いてうなだれ、ふさぎ込んでしまっていた。

 那津が帰ったと聞き、政吉は泣いて謝った。男泣きだった。そして那津の隣に蓮が居ないことを知り、それまでの事情を聞き、再び肩を落とすのだった。


 蓮の立場上、公に捜すことは出来なかった。瑠璃と瓜二つの人物を捜してくれ。そんなお触れを出せば、その理由を問われる。そうでなくても、人々の中であらぬ噂が立つかもしれない。

 出来るだけ内密に蓮の行方を捜したが、何日経っても何の手がかりもなかった。

 唯一分かったのは、蓮は再び遊郭へと連れ戻されたわけではないということだった。鐐之助は、自分の初物を取り逃がしたと大変立腹していたというが、彼に再び手駒にされることがなくなったことだけでも、嬉しい知らせだった。

「蓮は、一体どこへ行ったのでしょう?」

 瑠璃は妹の行く末を案じていた。食事ものどを通らず、すっかり痩せてしまった瑠璃に、那津は気をしっかり持つように言った。

「俺が必ず見つけ出す。必ず蓮は生きている。蓮は、俺たちが思っているよりもずっと強いからな」

 そう言って笑って見せ、那津はまだ希望を失ってはいけないと誓うのだった。



 ある日那津は、蓮との思い出の場所【鏡池】へと足を運んだ。

 もう捜索も下火になっていた。皆が諦め、悲しみに暮れるなかに一緒に居ると、自分の心も暗く落ち込んでしまいそうで怖かった。

 そんな時、ふと思い出した鏡池。瑠璃にも言っていない、二人の秘密の場所だった。

 鏡池の辺りは、しんと空気が張っているかのように静かだった。

 時折、風に揺れる木の葉がさわりと音を立てるが、波のひとつも立たない池の水面には、辺りの景色を吸い込んだかのように鮮明に映し出されていた。

「蓮……」

 名前を呼んでみた。

 答えは無かった。

「ここにも、居ないんだな」

 もしかしたら訪れているかもしれないと、わずかな希望を持って来てみたが、当てが外れたようだ。

 那津は、水面を覗き込むように膝を池の淵に立てた。自分の顔が映った。髭が無精に伸び、実際よりも随分歳を取ってしまったように見える。

「これでは、蓮が見ても誰だか分からないな」

 自嘲気味に笑い、身体を起こそうとした、その時。

「あれは!」

 水面の隅に白い布が揺れるのを見つけた那津は、のけぞるように身体を起こした。そして見上げたその先には、木の枝に結び付けられた白い布が、わずかに風に揺れていた。

 急いでそれを手に取ると、それは、手のひらに丁度良い幅の、細長い

 布だった。

 そしてそこには、墨で文字がしたためられていた。


【来てくれたのですね、那津。ここはあなたと私の秘密の場所。最後にあなたに会えて良かった。その気持ちに添えず、謝りもしないで逃げ出してごめんなさい。私は、私の道を行きます。あなたの温もりは、決して忘れません。ありがとう。私が一番愛した人、那津】


「蓮……やはりここに、来ていたんだな……無事で……」

 言葉にならなかった。蓮からの手紙布を握りしめ、崩れ落ちた。そして、涙が枯れるほどに泣き続けた。

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