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桜の花びらが落ちる頃に  作者: 天猫紅楼
16/28

蓮との再会

 通された部屋で待たされた時間が、何時間、何年にも思えた。自分から襖を開けて迎えに行こうかと腰を浮かせた時、静かな声が向こう側から聞こえた。

 その途端、那津の鼓動が大きく跳ねた。落ち着かせるように深く息を吸い、長く吐くと、中へ入るように促した。

 静かに、けれどどこかたどたどしい手つきで襖が開かれ、眩しいほどの着物を着た蓮が、小さく頭を下げていた。そして静かに部屋の中に入ると、那津に目を合わせることもなく、すっと座り、そのまま動かなくなった。いや、那津には分かっていた。初めての客である目の前の男に、怯え震えているのだ。そこに居るのが、那津だとも知らずに。那津は痛む胸を必死にこらえた。

「蓮……」

 終始俯き、少しも顔を上げない蓮に、那津はそっと声をかけた。その途端、彼女がハッと顔を上げた。

「なぜその名を?あっ……」

 蓮の目が大きく見開かれ、次に、所在なさげに目をそらした。那津は蓮のそばに座り直すと、その顔を覗き込むようにした。

「蓮、迎えに来た。一緒に帰ろう」

 彼女は、優しいその口調に再び那津を見たが、その唇はきつく引き結ばれていた。そして、小さく首を横に振った。

「それは、できません」

「蓮?」

 那津の背に冷たいものが走り落ちた。蓮からそのような言葉が出るとは思ってはいなかった。まずは自分の胸に飛び込んできて、そのまま彼女の手を引き、ここを走り去ろうと決めていたのだ。だが目の前に座る蓮からは、そんなそぶりは全くなく、むしろその足には、しっかりと根を張っているようにも見えた。

 那津は、震える声を堪えながら

「蓮、どういうことだ?」

 と尋ねた。蓮は懇願するかのように、少し眉をしかめたまま那津を見つめた。

「私が居るべき場所は、ここなのです」

「れ……」

 那津はそれ以上何も言えないでいた。一切の言葉を忘れてしまったかのように、頭の中が真っ白になっていた。蓮は再び目を伏せ、静かに言った。

「もし、私をここから連れ出そうと来てくれたのなら、それは、無駄なことです。私はここから出て行きません」

 迷いのない、はっきりとした口調で言う蓮に、那津は懸命に唾を飲み込んだ。

「理由を……教えてくれないか」

 かろうじて言った言葉に、蓮は一度きゅっと唇を結んで息を飲んだ後、ゆっくりと話し始めた。

「私の帰る場所は、もうありません」

「何故だ?ちゃんと自分の家があるじゃないか!今までと変わらず、父親も仕える者もいる!俺も、瑠璃も居る!何が不満なんだ?もし奥の部屋に居るのが辛くて外に出たいと言うなら、俺が口を利いてやる!何でも言えば良い!」

「そうではありません……」

 蓮は、首を横に振った。

「あそこにいれば、いずれは私の存在が明らかになるでしょう。どんなに隠れようとも、いつかは……そうなれば、初司田の信用も崩れましょう。それならばここで、似た顔の別人として過ごした方が、家族たちにとっても安心です。稼ぐことも出来ます。それで父の暮らしが少しでも潤えばそれで良い」

「蓮!」

 那津は、思わず蓮の腕を掴んだ。その痛みに肩をすくめ、怯えた顔をする蓮に顔を近づけると

「鐐之助が!そう言ったのか?」

とまっすぐに見つめた。その途端、蓮は瞳を揺らしたが、すぐに視線をそらせ

「ちがいます」

と小さく答えた。那津はしっかりと両腕を掴んで向かい合わせると、蓮に、目を逸らすなと静かに言った。

「蓮、それは思い過ごしだ!誰が蓮にそんな苦行を強いると言うんだ?もう充分苦しんだはずだ。ラクになって良いんだ。それにお前は、ここがどういう場所なのか分かっているのか?」

「…………」

「お前の父は、お前をこんなところへ売ったなどと思ってもいない。ただ、鐐之助にそそのかされ、お前の存在を隠すために預けさせてくれと言葉巧みに言われただけだ。今のお前を見たら、必ず父もここに来る。そんな余計な心配を、させたくないだろう?」

「それなら……」

 蓮は、那津をまっすぐに見つめた。

「それなら、父には言わないでください。私はある良家で幸せに暮らして居ると」

「蓮!」

 那津は、蓮の体を思い切り抱きしめた。

「目を覚ませ!お前は騙されているだけだ!お前はもう、苦しむ必要なんかないんだよ!」

 那津は、これ以上蓮を苦しめたくなかった。それが運命だと言われても、抗うだけの権利はあると信じていた。那津の懐かしい体温に触れた蓮は、固かった身体を緩ませると、彼の肩に頬を寄せ、小さく息を吐いた。

「那津……私は……」

 蓮の頬に、温かい雫が静かに流れ落ちた。

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