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桜の花びらが落ちる頃に  作者: 天猫紅楼
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遊郭

 鐐之助に口を割らせたところで、蓮が戻ってくる保障など無かった。遊郭に一度入れられた者は、使い物にならなくなるまでそこで働き続けなくてはならない。そのような独特の社会がそこにあることは、まだ経験の浅い那津には分からないことだった。ただ那津は、知識云々よりも、蓮が連れていかれたという事実こそに立腹していた。

『政吉も鐐之助も、おかしい!』

 人を売り、家を守るなどと、考えてはならないことだ。ましてや、自分の娘を。



「無事に嫁ぐまで、どうしても瑠璃を守らなくてはならなかったのだ」

「用済みになり、娘を売ったというわけか!」

「蓮を売るなどと考えたことは一度も無かった。影武者としての役目を果たした後は、ゆっくりと過ごさせてやろうと思っていたのだ。そんな折に、やって来たのがあの商人だった。初めは南蛮渡来の商品を扱う貿易商だと言っていたが、最初からどこかから聞きつけていたのだろう、瑠璃の影武者がいると噂があると言って来た。それはもはや、脅し以外の何物でもなかった。『影武者がこの家にいると知れば、長く将来にかけての信用問題に関わる。家を守りたいなら、蓮を我々に預け、人目につかないところで暮らしてもらえば良い。その間、借り賃は送る』と……」

「借り賃、だと?そもそも脅されて差し出しただけだろう!信用できるのか?その預け先が、遊郭だとしてもか?」

「何?まさか!」

 政吉の顔が蒼白になった。那津は静かに見下ろした。

「その可能性も、あると言っているだけだ!」

 それだけ言い残して部屋を出た那津に、政吉は引き止めることも出来ず、ただ呆然とうなだれるだけだった。



 那津は脇目も振らずに一軒の建物に入った。

 手を揉みながら現れた主人を前に、蓮という名を伝えたら、あらぬことを考えるかも知れないと思案した。平静を装ってはいたが、那津の心内は荒れ狂っていた。

「では、まず娘の顔を見せてくれないか?私は誰でも良いと言うわけではないからな」

「ですが、ここはお客との信用関係がないと、指名は出来ないのですよ」

「信用、だと?」

「ええ。初めてのお客さまには、まずこちらが用意させた娘と食事までとさせていただいております」

 主人は、あくまで腰を低くして那津を見上げた。実際に那津は、こういう場所へ来るのは初めてのことであった。勢いで乗り込んでは来たものの、どう振る舞ったら良いのかも分からない。だがここで動揺を見せるわけにはいかなかった。

「金はある!」

 思わず那津は懐から布袋を取り出すと、中身を上がりにぶちまけた。女を買うという事も無知な那津が、家から持てるだけ持ってきた金だった。ぶつかり重なり合うキンキンという音が、辺りに響く。その音に気づいた、通りを歩く男たちが中を覗き、見知らぬ顔同士を見合わせて首を傾げている。

 那津は声を張り上げた。

「足りなければまた家から持ってくる!どうだ!」

 その転がり出た大判小判に目を白黒させて、主人は思わず肩を震わせた。そしてくっと喉を鳴らすと、震えた声で那津に言った。

「お、おやおや、まだ年端もいかないようにお見受けしますが、なかなかにお好きなお方なのですね。……分かりました。では今回は特別に……手の空いている娘を順番にお呼びしましょう」

 主人は、改めて那津の着物を見ると目尻を下げた。曲がりなりにも地主大名の跡取り息子。それなりに気品のある着物だと、主人も分かったのだろう。

 次から次へと上玉を出してきた。だが、その中に蓮の姿は無かった。

「もう少し、初モノはいないか?手練れた女は、もう飽きているのでな」

 すると主人はおや、と目を丸くして首をかしげた。

「そうですか……この間入ったばかりの娘が、居るには居るのですが……」

「ではその娘を出してくれ」

「しかしまだ躾が――」

 那津はまだ何か言いたげな主人を遮るように、急かした。

「いつまで客を待たせるつもりだ?それでは、他の店に行くぞ!知人から、ここは評判が良いからと聞いて来たのだ。話が違うと罵らなくてはならないな!」

「は、はいっ!ただいま!」

 主人はまだ首を捻りながら、奥に伝えた。しばらくして襖がそっと開いた。

「失礼します」

 か細い声だったが、那津の耳にはしっかりと届いていた。馴染みの声を発し、俯く娘の鼻先は、やはり那津が探し求めていた蓮のものだった。

「この娘にする!」

「はっ?ですがこの娘はまだ――」

「部屋へ通せ」

 すくっと立ち上がった那津は、有無を言わせぬように主人を睨みつけた。

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