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桜の花びらが落ちる頃に  作者: 天猫紅楼
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定められた道

 その日は抜けるような青空が広がっていた。

 初夏の風は少し湿り気を帯び、襖の隙間からするりと部屋の中へと流れ込んで来る。

 初司田家の中は、落ち着かない空気に包まれていた。

 政吉の妻、葉奈ハナが、今こそ赤子を産み落とそうと唸っている。細い首が何度も反り返り、赤く頬を染めてまた息を吐く。その繰り返しが何度繰り返されているだろう。葉奈の周りには、産婆を始め数人の侍女たちが身の回りの世話をしている。

 政吉は、葉奈の陣痛が始まってから部屋を追い出され、廊下をうろうろとしていた。

「まだか?まだ産まれんのか?」

 誰も答えはしない問いを何度もつぶやきながら、往復する。そのうちに産婆が顔を出したかと思うと

「足音がうるさい」

とぴしゃりと言い刺され、一瞬静かにはなるがまた足音が響き出す。そんな時間が刻々と過ぎ、我慢できずに息が切れかけた頃、大きな叫びのような泣き声が漏れ聞こえてきた。

「おお!産まれたか!」

 政吉は勢いよく襖を開き、そこに仁王立ちになっていた。しかしそこから足を踏み入れることができず、黙ったまま突っ立っている政吉に、産婆が呆れ顔で言った。

「あんなに長いこと落ち着かない足音を立てていたのに、そこで怖気づくのかい?さぁ、我が子と顔を合わせなさい」

 身体をずらすとそこに、疲れ切った顔で横たわるはなと、湯を張ったたらいが置かれ、産婆の腕にはまだ産まれたばかりの赤子の姿が見えた。真っ赤な身体で、元気な泣き声をあげている。

「おお!元気な……え?」

 一歩足を踏み入れ近づいた政吉は、目を丸くした。

「二人……」

「そうだよ。女の子が二人。元気な赤ちゃんたちだよ」

 嬉しそうに言う産婆に、周りの侍女たちも笑顔で頷く。ひとり政吉は、目を開いたまま静止していた。そして一言

「娘は一人だ」

と、つぶやくように言った。

「え?今、なんと?」

「娘は、一人だ。良いな?」

 葉奈と産婆たちは、言葉を失った。政吉は、もう一度はっきりと言った。

「娘を守るために、だ」

 そこにいる者たちだけが知っている事だった。

 双子として産まれてきた女子たちは、産まれた瞬間にその道を決められた。一人は影から光へ向かう道。そしてもう一人は、光から影へ向かう道。

 長女である瑠璃を守るため、表に出るのは瑠璃と偽った蓮。瑠璃としての印象を世間に植え、夫を選ぶ。それが蓮の役目だった。

 一方瑠璃は、屋敷の奥に潜んで身を守り、瑠璃として振る舞ってきた蓮の外の様子を聞いては、記憶にとどめていく。

 いつか入れ替わった時に、何の違和感を残してはいけない。

 そうして初司田家では、『一人娘の瑠璃』を守り抜いてきた。


 やがて二人を産んだことで、病弱だった母葉奈はなお弱くなり、やがて床に伏せってしまった。葉奈は落ち窪んだ目を潤ませて二人の娘たちを交互に見やり、骨ばった指で彼女たちの手を握った。力のない冷たい手だったが、瑠璃も蓮も、まだ母の容態を理解しないままで無邪気に笑いながら葉奈の手を握り返した。

「ごめんなさい……」

 葉奈の最期の言葉だった。そして、政吉の

「私に任せなさい。なにも心配しなくて良い」

という優しい言葉に、なんとも切ない笑みを向け、そのまま眠りについた。もう二度と覚めない眠りだった。

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