蓮
とうとう那津は、瑠璃に会って直接尋ねる決心をした。
政吉にも聞けず、ましてや瑠璃の妹にも会いづらい今、那津には瑠璃しかいなかった。だが、本物の瑠璃を目の前にして、何から話したら良いのか、言葉が見つからずに途方にくれてしまった。その様子を静かに見つめていた瑠璃は、小さく息を吐いた。
「謝らなくてはなりませんね……」
那津は、切なげに眉を寄せる瑠璃を見つめた。
「ただ一つだけ信じて欲しいのは、蓮は、貴方を心の底から愛しているということ……」
「それでは何故――」
『俺に本当の事を言ってくれなかったのか……』
瑠璃は、きつく握られた那津の膝の上にある拳を見つめ、また眉をしかめた。
「愛しているからこそ、怖かったのです。決して結ばれないと分かっていたから……この運命が嘘であって欲しいと、願っていたのかも知れません」
蓮はいつも笑顔で瑠璃の前に居て、外であった話を事細かに話した。自分が経験したことは全て瑠璃の為。いつかすり替わった時に、違和感を残してはいけない。それが蓮の役目だったのだ。蓮のきらきらした笑顔の奥に潜む想いを、瑠璃は聞けないでいた。それが続いて今となってしまった。
戸惑い悩む那津を前に、瑠璃は蓮のことを実は何も知らないことを思い知っていた。いつも一緒に居た妹、蓮。彼女は一番近くに居て、一番遠くに居た。
那津は、しばらく唇を引き締め、思いを巡らせていたが、やがて静かに口を開いた。
「本当の名前は、蓮と言うのか」
「はい」
その本名さえも、蓮は伝えていなかった。瑠璃の胸がきりと痛むのを感じた。那津は、ふっと嘲笑した。
「見くびられたものだな」
「え?」
「蓮に、会ってきます」
静かにそう言って、那津は素早く立ち上がると部屋を出て行った。残された瑠璃は、ふうっと細く長い息を吐いて、物憂げに閉められた襖を見つめた。
那津はスタスタと廊下を行く途中、庭に生える太い幹の桜の木を見て、歩みを止めた。毎年桜が咲く時期になると、この辺りに座り、二人で眺めていた。今はすっかり枝のみの姿をしているが、やがてまた春になれば満開の桜が咲くのだろう。
そう思いながら再び廊下を行くと、その向こうにぼんやりと立って庭を見ている人影に気付いた。止まりかかった足を無理やり前に出し、出来るだけ静かに近づくと、その横顔に
「何か、見えるのか?」
と尋ねた。驚いたように肩をすくませ、顔を向けたそれは、那津のよく知る瑠璃の妹、蓮だった。
「あ……あの……」
かすれた声で、何か言おうと口をパクパクさせる蓮の頭を、那津はぐりぐりっと撫でた。慌てて髪の毛を正す蓮を見つめながら
「蓮、俺は、お前の目には、どう映っている?」
「そ、その名前……」
目を見開いて顔を上げる蓮に、那津は首を傾げるようにその顔を覗きこみ、
「俺は、真っ直ぐに見つめてきた。そして、本当に愛していたんだ」
「う……」
俯いて唇を噛みしめる蓮。那津は小さくため息を吐き、言った。
「すまなかった」
「え」
思いも寄らぬ言葉に驚いて見上げる蓮を、那津は思い切り抱き締めた。
「苦しんでたんだな、ずっと……」
蓮の耳元で静かに言う那津の肩口に、彼女の小さく震える息を感じた。蓮は、息を殺して泣いていた。
『なんでこんなに苦しめるんだ……この家も……俺も……』
その肩を抱いたまま蓮の部屋に入り、那津が指先でその涙を拭いてやると、蓮は大きくしゃくり上げた。
「ごめん……なさいぃ……」
くしゃくしゃになっている顔を小さく笑いながら、蓮をもう一度胸の中に収めると、
「もう、いい」
と頭を撫でた。蓮は、恐る恐る手を上げ、那津の背中に細い指先を回した。
「話してくれるか?俺は、お前の口からすべてを聞きたい」
しばらくして落ち着いた蓮を腕の中に抱きとめたまま、那津は優しく尋ねた。蓮は小さく頷いて、一呼吸置いた。




