これからの話
現在。
あの後、私はセイを毎年待っていた。
その度に手術は成功しなかった、という嫌な想像をしてしまう。
あれは私が成功しても、セイが成功していないと成り立たない賭けだったのだ。
今年も二人で腰掛けただろう砂浜で待つ。
今、自分が綺麗な夕焼けを見上げる事が出来るのはセイのおかげだからセイを待つ。彼がしていた五年分の片思いを私がするのだ。でも、悔しいからおまけで二年だ。
これで、最後にしよう。そう決めていた。
少しずつ辺りが薄暗くなり、持ってきたランプがまばゆい灯りに感じてくる。
ザリッ。サクサク。
私は、自分でも驚くくらい心臓が高鳴るのを感じた。
ただの散歩の人かもしれない。経験上、期待してはいけないのだ。
しかし、足音は真っ直ぐに自分のほうに来る。
思わず目を瞑る。
「今晩は。大友さん」
期待とは裏腹に、聞き覚えのある声だった。
ゆっくりと目を向ける。
「今晩は…」
鈴木はにっこり笑って遠慮がちに隣りに座った。
「どうして、こんな所に座ってるんです?」
暗に今日の誘いを断ったのに、と指摘されため息をついた。
「鈴木君こそなんでここに来たの」
「自転車こいでたら大友さんの姿が、見えて」
「そう…残業お疲れ様」
「あ、どうぞ。冷えてるよ」
渡された缶は七年前のセイの炭酸と同じ。
沈黙が落ちる。
波の音しか聞こえない。
「…今、誰かと待ち合わせ? 彼氏とか。俺居ちゃまずいかな」
「そ、そんなことない。私が気を済ませたいだけだから」
「気を済ます?」
「うん」
缶のお礼に掻い摘んでセイの話をした。
その間、鈴木は笑ったりせずに静かに相槌を打っていた。
「セイは、今年も来なかったって話なんだけどね」
少し、考えるようにして鈴木は聞いた。
「まだ、セイの事好き?」
「…好き。でも、顔も分からない恋人だよ? 今日で諦める」
私はにっこり鈴木君に笑いかけた。人に話して寂しかった物が少し軽くなった。
「諦めなくていいんじゃない? 俺だもん」
「え?」
鈴木は私の手の平を引いて自分の頬に当てる。
「目を瞑って触ってみたら分かる」
「どういうこと?」
「いいから」
ゆっくり両手で鈴木の顔をなぞる。
「…セイの目、セイの鼻、セイの口だろ?」
一生懸命触る。冗談だろうか? 今日の夕方の腹いせ?
「わからない?」
鈴木が眉をしかめたままの私の手を引くと軽く唇が重なる。
動転していてセイのときのように言葉が出ない。
「ん。俺の記憶の通りの唇だ。俺は覚えてたって事だな」
話していないキスの話まで鈴木は持ち出す。
「だだだって、名前違う」
「名前? 鈴木生二郎のしょうをみんなセイってあだ名にしてたんだ」
「・・・」
私は怒りで頭がガンガンしてくるのを感じた。
「大丈夫か?」
「だいじょうぶなわけないでしょ! こんなっ、七年も遅れてきて! 病院にも居ないし、名前も全部教えていかないなんて!」
鈴木を睨みつける。
しばらく困った顔で私を見て鈴木は頷いた。
「悪かった。…正直、大友さん俺のこと忘れてるんじゃないかと思ってた。ほとんど、手術も成功しない覚悟だったし」
「自分で言い出したくせに」
「うん。大友さんが生きてれば良かった」
相当病状が悪かったことがうかがえて私は少し声を和らげる。
「どこいってたの」
「アメリカ、ドナーを2年以上待った」
気まずそうにまたごめんと呟く。
「だから、この町に来て大友さんが職場に居たときはもう、嬉しくってさ。忘れられていても、もう一度アピールしようと思って。今日も、約束の日に一緒に居られたらなって」
どん!
私は鈴木を思いっきり叩いた。
「それなら、最初に言いなさいよ! 会った日に! 何年彼女ほったらかしにしてんのよ!」
「ごめんな。大友さん」
そっと抱きしめられて私は言う。
「ウミだよ。大友さんじゃない! 彼女なら名前で呼んでよ!」
「呪文は何だったの?」
炭酸で唇を濡らしながら、海美は訊ねた。
一瞬、セイの顔が固まる。
その直後目を反らされて、海美はセイの袖を引いた。
「何?」
「・・・ホントに覚ええてないんだな、ウミ」
そう改めて言ったセイの頬が少し紅い気がした。
「当たり前じゃないの」
「・・・約束だもんなぁ・・・」
一つため息を吐くとセイはウミの耳元で囁いた。
『どんなに辛くても、絶対に負けちゃダメだよ。大きくなったら、私のお婿さんにしてあげるからさ』
「ホントに言ったの、それを私が?」
「嘘は言ってない」
セイはいじけたようにウミをみる。
「男らしいプロポーズはとうの昔に受けてるんだ。あとは、ウミ次第だぞ。どうする?」
急に選択を求められて、ウミは呻いた。
「うぅ・・・とりあえず」
「とりあえず?」
にっこりとセイは復唱する。
「手を繋ぐところから! 中学の頃からやり直し!」
一瞬セイが黙り込んでから、砂浜に倒れた。
「何だよそれは! 道のり長すぎぃ」
死ぬーと呻く、セイの頬にウミはそっと触れる。
「じゃあ、私を自転車で送ってくれるかな、婚約者さん?」
もうあたりは真っ暗だ。あの日と似ているのかもしれない。
けれど、もう不安なんてものは存在しなかった。
END