今
一つ小さくセキをして私は図書館から出た。
寒いくらいに冷えていた建物から出ると、真夏の日差しが突き刺さるようだ。遠くから海で遊ぶ人たちの声が聞こえる。
私の働くこの小さな図書館は海辺の道路沿いにあるのだから当たり前だろう。
今年大学を卒業して私は地元の町のこの図書館に就職をすることを選んだ。
友人は都会に出る人が多かったけど、私はこの町に居続けたい理由があった。
「大友さん!」
後ろからの声に私は振り返る。
そこにいたのは鈴木生二郎だった。
唯一の新人同僚である。他の同僚は皆おじさんかおばさんの年齢である。
「鈴木君、どうしたの?」
走ってきたらしく、額に汗をかいている。顔も少し赤い。仕事とはかけ離れてサーフィンとかをやるらしくて結構焼けて黒いのに赤いのが分かるのは不思議だ。
「あの、大友さん今日の夜…空いてない?」
一瞬何を言われているのか分からなかった。
あまりにも私がきょとんとしているので、慌てて鈴木君は付け加える。
「今日の夜メシでも一緒にどうかな、って」
「あ、あたしっ、そのっ、きょうは」
自分でも言ってることが分からない返事なのに、そこまで言ったところで鈴木君の顔色が落胆に染まる。
「いいよ。それ以上言わなくて、落ち込みそうだから」
「鈴木君」
鈴木君は私の言葉を最後まで聞かずに踵を返してまだ仕事が残る図書館に戻っていく。
私はしばらくその背中を見つめてまた歩き始める。
いま、私は誰が見たって鈴木君に負けず劣らず真っ赤なはずだ。
同僚としてすごく感じの良い好青年で全く意識していなかった訳ではないが、まさか自分にこうして声をかけられるとは思ってもみなかった。
大友海美、22歳。あと、ほんのちょっとで23歳。もちろん彼なし。
一生有るか無いかの事柄なのに、どうしても踏み出せない。あと、一月いや一日でも答えは違っていたかも知れない。今日は、どうしてもダメだったのだ。
大切な約束が、あるから。