血と貴族と意地っ張り 1章
「……"怪人赤マント"がまた出たらしいな。今回の被害者は牛頭族の天王寺無燈という若者らしいが、胸元を酷く斬られたあげく、首を斬られて持っていかれたとの事だ。――無燈、君はどう思う?」
いつものように【九〇課】に出勤してきた道真は、小さな椅子にその巨体を預けて新聞を読んでいた。彼の目の前には上半身を包帯で幾重にも巻かれた無燈と滅入が来客用の長椅子に腰掛けており、
「ハッ、あんなかすり傷で死ぬぅ? 俺がぁ? 冗談キツいぜッ。首だってここにあるっつーの!」
無燈は親指を立てて自分の首を指す。
「幸運な事に、無燈さんは脳に回すべき栄養まで筋肉に使ってしまっているので、縫って包帯を巻けば大丈夫だそうです――本当は絶対安静だそうですが、彼が入院していては病院に迷惑でしょうし」
怪我人である無燈より、ため息をついている滅入のほうがよっぽど具合が悪そうに見える。常に浮かべている微笑みが心なしか弱々しいものに見えた。
「まぁ、こんな粗悪な新聞を読んでいる僕も悪いが――滅入、確か君はこの"怪人赤マント"について調べていたと思うんだが、実際にどんな感じなんだい? 出回っている雑誌も新聞も面白おかしく誇張して書いていて実態が掴めん」
道真は読んでいた新聞を畳んでデスクに放り投げた。ここ最近、この"大帝都"は"怪人赤マント"の噂で持ちきりだ。初めて現れたのは"木の虎"から二週間後、つまり今から一ヶ月前、"塔の足"の下の暗がりで起きた斬殺事件であった。犯行は夜中に行われたらしく――「らしく」というのは誰もその被害者である人羊の男が斬られたところを目撃しておらず、断末魔も聞いていなかったため、いつ行われた犯行か分からなかったためである。
第一発見者の蛇肌族の女性によると、その日の早朝、自宅近くの"塔の足"の下に広がる暗がりで、虚ろな目をした人羊の男が微動だにせず立っていたらしい。全く動くそぶりが無いことを不審に思った彼女は意を決して話しかけてみたが反応が無く、近寄って肩を揺すった。そうすると、
上半身と下半身がふつり、と離れた。
彼女は最初、何が起きたか理解できなかったらしい。人羊の二つに分かれた体はそのまま石畳に転がり、中身をぶち撒けた。その中身がじくじくと石畳を汚すのを見て、彼女は我にかえって悲鳴をあげ、周囲の人々が集まり通報に至った。
それも当時はただの気味が悪い事件であったが――
「――目撃情報が出たのがその最初の事件から二週間後の五人目の被害者の時です。その時初めて泥田坊……といってもあれは帰化した種族ですから……あー」
滅入が言いたい事は道真にも何となく理解できた。この"秋皇"には様々な種族が混在している。そのため、元から"秋皇"固有の種族以外を何と表現すれば良いか分からないのである。
「あの透明なヤツでしょ、ぷるぷるしてるやつっ」
お茶を持ってきた肆が横から口を出す。彼女が持ってきた、ということは、ひなたは今動けない状態にあるということだ。
……理由は大体分かるがね。
道真はまた、ひなたに"教育"されているであろうヴァンをほんの少しだけ不憫に思った。
事の顛末は無燈と滅入がこの【九〇課】にやってきた時のことであった。いつものようにヴァンと無燈が売り言葉に買い言葉、今回はヴァンが飛びかかり、ひなたに叩き落とされて「怪我人に何してるの? ひっこ抜くよ?」と首根っこを掴まれて給水室へ連れて行かれたのである。今でも肉を叩く鈍い音、追いつめるような説教が給水室から聞こえてくる。
……まぁ、無燈も滅入に傷口抓られて悶絶していたし、おあいこかな?
道真がそんなことを思っていると、肆の指摘を受けた滅入が手をぽん、と叩き、
「そうそう、そうです。その種族の女の子が人蛙の若者が斬られる所を目撃したため、容姿が判明し、"怪人赤マント"が生まれたのです」
「しかし、その女の子もよく無事だったな。無燈をあっさり下した"怪人赤マント"が放っておくとは思えないんだが」
道真の疑問に滅入は、
「どうやら、彼女は斬られても斬られても何とも無かったとのことです。いくら斬ってもその途端にくっついてしまう体質らしく、それを見た"怪人赤マント"がつまらさそうにそっぽを向いてそのまま何処かへ行ってしまったらしいです」
少し、嬉しそうに答えた。きっと彼にとって、被害者が一人でも増えなかったことが喜ぶべきことだったのだろう。
「――そして、十二人目の被害者である私の愚弟が無様にも突っ伏して寝ている所を西地区の皆さんが見つけてくれて、病院で一晩休み、今に至るわけです」
滅入は一息つくためにお茶を少し口に含む。
「だが、それで何故僕らの所へ? 君たちは今日も仕事だろうに……当然、僕たちも現在勤務中だが」
「オーオー、【九〇課】の皆様はダラダラしてるだけで金が貰えて――ぅあっちゃああああ!! 熱ぃ! 熱いいいい!!」
滅入は憎まれ口を叩いた無燈の傷口にお茶を垂らし、黙らせた。
「――ははっ、見てください。これが本当のえび反りというやつですかね?」
自分の弟が悶えながら顔を赤くしたり青くしたりするのを、滅入は表情を一切変えずに微笑みながら見ている。
「……何ていうか残虐? 愛ある鞭ってやつかなっ?」
「きっとアレは天王寺家の愛情表現なんだろう……僕らが口出しすることじゃないな」
肆と道真は、内緒話をするかのようにお互いに顔を近づけてひそひそと話している。
「……私だって好きでやっている訳では無いのですよ? いくら叱っても無燈さんが理解してくれないので、やむを得ず懲罰を加えているだけです。最初は他愛の無いものだったのですが彼が全く反省してくれないので少しずつ、少しずつ罰の酷さが増していっただけで……」
無燈さんにもっと学習能力があったなら、と肩を竦めて弁明している滅入を見て肆は、
……だからそんな頑丈な体に……
そう結論付けた。何故なら彼女の周りにもそうして頑丈な体を作った人狼が一人いたためであり、
……たった今も現在進行形で鍛えてるもんね。
ミヂッ、と肉が捻れるような音と共にヴァンの叫び声が聞こえる給水室を肆は遠い目で見つめた。
「肆さん、何やら勘違いしているようですが……あー、話を戻しましょう。今日私たちがここ、【九〇課】に来ているのは他でもありません。先ほど話した"怪人赤マント"の事件についての事です。実は――」
これから滅入が話の本題に入ろうとしたところで、話を中断させるように道真が手のひらを突き出した。
「ちょっと待ってくれ。まさか、とは思うが君はもしかして僕たちに、その怪物退治を手伝えって言うのかい? いくら僕らが暇を持て余していると言っても職務を放置することは――」
次は滅入が道真の話を遮った。滅入は『理解求ム』と彼の上司が使う判子が捺印された通知書が握られており、それを道真に見せつけるように提示している。
「それに加えて道真さん、貴方は私に貸しがありますよね?」
ニコリと笑う滅入。それに対して道真はため息をつく。
「正しくは、この課全員の貸しだがね。だから僕一人の貸しは六等分されて非常に軽いものになるはずだが」
二人のやりとりを見ていた無燈と肆が、
「俺の兄貴もなかなかだが、オメェんとこのコレもアレだな……」
「ま、まぁ悪い人じゃないからいいんだけどさ……」
呆れていた。
「――とにかく、僕の一存じゃ決められない。クロさんに聞いてくれないか?」
それもそうですね、と滅入は立ち上がり、奥のデスクの上で木蓮に毛の手入れをしてもらっているクロの元へ向かった。
「クロ……枝毛が、多い、よ?」
「あぁ、苦労してるからなぁ。毎日毎日働かされて俺はもう過労で倒れそうなんだよ」
「もう、嘘ばっか、り……」
クスクス笑いながら木蓮は毛を整え、クロは気持ちよさそうに顔を緩ませている。その壊してはいけないような幸せな空間に、躊躇いながら滅入は入っていく。
「あー、クロさん木蓮さん、今日も良い天気ですね。少し寒さが厳しくなってきましたがご機嫌の程は?」
滅入は恭しく胸の前に手を添え、腰を折る。
「イヤだ。やなこった。厭だが……やるしかないんだろうなぁ。いやだなぁ面倒くせぇ……。そもそも何すりゃいいんだよぉ」
話は聞こえていたらしく、クロは前置きを飛ばして結論を滅入に訊ねた。
「簡単に言うと護衛、ですかね」
滅入の言葉に木蓮とクロは同じ方向に首を傾げる。
「護衛、って……?」
「実は私の愚弟が体感全治十二時間という怪我をした代わりに、ある情報をもって帰りまして。どうやら"怪人赤マント"は次は吸血鬼を斬りたいと言っていたらしいです」
「吸血鬼ぃ? 吸血鬼なんて稀少種、この帝都でも見ねぇぞ?」
クロがそう訊ねるのも無理はない。吸血鬼は基本的に"秋皇"から海を跨いだ、遠く離れた自国にある城から出ようとしない。外出するような用事があるときは自分の部下、家来に任せて自分は城で引きこもっているという種族であり、その上、種族全体の数も非常に少ない。
「そうですね。だけどクロさん、一つ忘れていませんか? 確かに西地区の青果市場、東地区の劇場通り、何処に行っても会えないでしょうが、一人だけ、吸血鬼はこの"大帝都"にも居ますよ?」
「あ?」
クロがぴくりと耳と髭を動かす。
「ニィ氏族スニーラーク家の令嬢……エシィラ。彼女は今、東地区の外れ、郊外に近い場所の土地を買い上げて、そこの屋敷で生活しています」
それを聞いたクロは先ほどとは逆の髭をひくつかせ、
「あぁ、そういやそんな名前の物好きな吸血鬼の一家が居たなぁ。あそこの田んぼと森を気に入っただが何だが知らんが、移住したとか。で、何でその……エシィラ? その子だけしか”秋皇”に居ないんだよぉ? 他の家族は?」
クロの疑問に滅入は頬をぽりぽりと掻いて申し訳なさそうに答えた。
「それが、どうも父母のデァニィとクォラは娘を置いて何処かへ物見遊山に行っているようでして……屋敷には彼女とその使用人しか居ないそうです」
「それが親かよぉ、ったく。面倒くせぇなぁ」
その時、ぼやくクロの手前にいる木蓮の顔が暗いものになったのを滅入は見てしまった。滅入は、彼女の前で"親"の話をした自分の迂闊さを恨んだ。
「――ったく。分かった。課同士の協力も必要だろうよぉ。俺と木蓮以外は自由に……ん?」
そこまで言ったとき、クロの横に置いてある電話が喧しく鳴り始めた。クロはいつものように二叉の尻尾で受話器を挟み、電話に出た。
「あー、うんにゃ? えぇー……。あぁ、あぁ、うん。分かったよ」
おざなりな返事を返し、ため息一つ、クロは電話を切った。
「どうしました?」
滅入がクロに聞くと、
「事件発生……と言ってもこっちは護衛やら追跡とは違うが。西地区の住宅地で夜中になると汽車の音が聞こえるんだとよ。だけど姿が見えねぇとか。それの捜査をやれって命令が今来た。どうするかねぇ……」
クロが悩み始め、座布団に顎を乗せる。そうすると木蓮がその頭を撫で、「ふみゃあ……」と思考停止してしまった。
……このままでは決まりそうにないですね。
そう思った滅入は一つ、クロに提案をしてみた。
「では、こういうのはどうでしょう? 不肖の身ではありますがこの天王寺滅入、お手伝いしましょう。私の上司も恐らくですが賛成してくれるはずです」
木蓮に腹まで撫でさせていたクロはその言葉を聞いて、ぱちくりと瞬きをし、
「んぅ? いいのかぁ? 九〇課にくる仕事は他のと違って面倒くさいぞ? どのくらいかって言うと背中にくっつき虫が付くぐらい」
「えぇ、大丈夫です。帝都の皆さんを守るのが私の仕事ですから、それぐらいどうという事はありません」
にこり、と笑って滅入は話を続ける。
「――で、私では"怪人赤マント"は手に負えそうもないので……あー、"偽汽車"としましょうか。私はそちらの捜査のお手伝いをさせて頂くことにしましょう。そちらでしたら足を引っ張ることにはならないでしょう」
「手に負えない、ねぇ……」
クロはその言葉に半信半疑といったところであったが、
……まぁ、無理に危ない目にあわせる必要は無いか。
そう結論付け、
「ひなたぁ、ちょっと来てくれぇ」
「はぁい! なにクロくんー?」
ガチャ、と給水室の扉が開き、糸の切れた操り人形のようになっているヴァンをズルズルと引きずりながらひなたが現れた。
「仕事だ、仕事。お前はそこの……ヴァンだよなそれ? ソレを連れて吸血鬼の嬢ちゃんを護衛しに行ってくれ。いいかぁ? 今すぐ行くんだ。もしかしたら今日にも来るかもしれないからなぁ」
対して、んー、とひなたは口に指を当て、
「そーは言ってもクロくん、突然現れた人たちに『守らせてください!』なんて言われて信用してもらえるかなー?」
ひなたの疑問も尤もだ、とクロがそれに対しての解決案を出そうとすると、滅入があっさりと答えた。
「それなら大丈夫です。私の上司から連絡がいっていると思いますよ」
そうなのー? じゃあ行ってくるねーっ、とひなたは元気良く九〇課を飛び出して行った。もちろん、その手には失神したままのヴァンが握られており、彼女に振り回されるまま、そこらかしこに体をぶつけながら引きずられて行った。
滅入はその様子を見て、すこし不安になってクロに訊ねる。
「あの二人で大丈夫でしょうか。 差し出がましい事を言うようですが道真さんのほうが適任なのでは?」
以前、彼と同じ課にいた自分だからこそ分かるが、彼は強い。いや、強い、と言うよりは折れないというべきか。道真は何が起きても何に対しても、折れることがない。それはもちろん、体だけでなく心も、だ。
「あぁ、確かに道真なら嬢ちゃんを守りきるだろうな。だけどなぁ、多分、その"怪人赤マント"は捕まえられない。ここは攻めるのが得意な奴にしといたほうが良いと思ってなぁ……まぁ、本当なら人命最優先なんだろうが、相手が相手だ。ここで捕まえとかないと、なぁ」
滅入はヴァンとひなたについて良く知らない。ただ二人のやりとりを見ていると、自分たち兄弟と似ているな、と思うことは多々あっただけで、それ以外はヴァンは弟と反りが合わないという事と、道真が信頼しているから悪い人たちではないという事だけであった。
……ですが、いや、だからこそ"怪人赤マント"に殺されてしまっては適いません。本当にあの二人は強いのでしょうか?
そう思い、クロに訊ねた。
「……ヴァンさんとひなたさんは大丈夫でしょうか? 相手はあの"怪人赤マント"です。いくら出来が悪い弟とはいえ、無燈さんをすんなり負かした相手ですよ?」
問われたクロは手ぬぐいで爪研ぎをしながら答えた。
「気にすんなよぉ。あの二人はこの九〇課で二番目と三番目に強い。あ、いや強いというより暴れ回るというか、周りが見えなくなるというか……」
ごにょごにょ言い始めたクロに滅入が少し驚く。
「はぁ、あの二人が……。いや、クロさんが言うならそうなのでしょう。ちなみに、ですが一番強い人は誰なのでしょうか?」
「そりゃ当然、俺だよぉ……ふわぁ」
木蓮に喉を撫でられ、欠伸をしているクロを見ていると、ただの冗談にしか聞こえない。しかし九〇課を統べる長、きっとそれが真実なのだろう。
「分かりました。それでは、"偽汽車"のほうはどうします?」
「そうなぁ、とりあえず――全員集合っ」
クロに集合をかけられ、道真と肆、そして何故か無燈もひょこひょこ付いてくる。滅入は今から自分が担当する事件に集中することにして、"怪人赤マント"のほうはヴァンとひなたに任せることにした。




