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俺得妄想帝都  作者: 空暮
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第二話 プロローグ

 「ごちそうさまぁ……っと!」

 ガラリと戸を開け、光が溢れる店から薄暗くなった路地へと出てきた牛頭の男――天王寺無燈は爪楊枝をくわえて空を眺める。

 空に浮かぶ月はぽっかりと穿たれた穴のように見える。その月を見ながら無燈は西地区の路地をぶらぶらと歩く。

 ……兄貴も付き合いが悪ィな。

 無燈は兄の滅入が夕食の誘いを断り、ふらりと何処かへ行ってしまったことに些かの不満を感じていた。これで三日連続、別々に夕飯を取っている。普段なら毎食共に取っているため何とも言えない寂寥感が心に募っていた。

 「……別に寂しいワケじゃねぇけどヨォーッ!」

 そう言いながら無燈は足下の石を蹴り飛ばす。石はころころと転がり、整備された用水路へ音を立てて落ちた。

 「……ったく、くせぇな……」

 用水路から生臭さとも腐臭ともつかない不快な臭いを無燈は嗅ぎとった。東地区では常に清流が流れているのに対して西地区の用水路はいつも何かが腐ったような酷い臭いを発している。原因は簡単だ。家庭から出る汚水もその臭いの原因に一役買っているが――

 「――あの工場だろうなァ。糞ッ」

 今、無燈が歩いている場所は、西地区と言っても外れに外れた帝都の片隅であり、周囲には低賃金で働いている者たち向けの食事所や木賃などでひしめいている。そしてここからさらに外れたところに工場が建っており、そこから流れ出す排水が用水路を汚染しているに間違いなかった。

 その異臭のためか、用水路沿いの道の人通りは非常に少なかった。その道をダラダラ歩きながら無燈は自宅へ向かう。

 歩むにつれて文明の明かりが減っていき、気づくと自分を照らしているのは月明かりだけになっていた。無燈は用水路の濁った水に映る月を眺めながら歩いていたが、道の先にぼんやりと提灯が灯っていることに気づいた。好奇心から歩みを速めて、その灯りに近づいていく。そしてその灯りの正体に気づいたとき、思わず無燈は呟いた。

 「……何だァ?」

 目の前の光景に無燈は子供の頃、兄に読んでもらった物語を思い出した。当時はその物語の恐ろしさに夢にまで見たものだが、今自分が目の当たりにしている光景もあまりにも非現実的なものであった。



 裸の、女がいた。



 その女は左手に提灯を持ち、柳の下に佇んでいた。身につけているのは赤く染められた冬夷模様の着物だけであり、ただ無造作にそれを羽織っているだけで他に何も身につけていない。顔は、ぼさぼさに伸ばした髪ではっきりと見えず、淫媚な赤い唇だけが提灯の火に照らされて闇に浮いていた。

 無燈は最初、その格好と時たま浮かべる笑みから夜鷹かと思った。しかしその佇まい、醸し出す雰囲気、そして無燈自身の直感から彼女がただ者でないことは感じ取った。しかしそれが、本能が危険と知らせる信号であることは理解出来なかった。そのため、無燈は他の警官がやるように彼女に近づき、話しかけてしまった。

 「ハッ、なかなかイカした格好だなぁオイ! だけどここは"秋皇"の中心、華の大帝都だ。分かっかぁー? 乱痴気してーならどっかの成金ジジィのとこでもイキやがれッ」

 もしこの場に滅入が居たなら即座に物理的に諫められるところだが、いや、彼が居たなら他の者に応援を求め、この女に近づこうともしなかっただろう。それほどこの女は危険な存在であった。

 「……してるの」

 「あぁン!?」

 女が口を開いたが、余りにも小さな言葉で聞こえなかった。無燈は大股で女に近づいていき、柳の下までやってきて女を見下ろした。

 「……でェ、何つった?」

 「探してるの」

 無燈はこの時になって気づいた――自分の本能が喧しいほどに警報を鳴らしていることに。

 「探してるの……吸血鬼を。吸血鬼だけはまだ斬ったことが無いのよ。冬夷で人狐も雪鬼も熊も飽きるほど斬ったけど吸血鬼は居なくて……。でも帝都にはいるんでしょお。ねぇ!」

 ザワ、と髪の毛が蠢き、その間から見える女の目がぐるりと動き、無燈を睨みつけた。その目は穿たれた傷口のように赤く、それに負けず劣らず赤い唇がニタッ、と歪んだ。

 ――やべェ!やべェやべェこいつはとびきりだッ!!

 全身から冷や汗が吹き出る。この時になって無燈は数日前、兄から聞いた巷を騒がせている"怪人赤マント"の話を思い出した。


 ――どうも最近、辻斬りの真似をしている不届き者がいるようですよ、無燈さん。目撃者によれば提灯をぶら下げていて赤い外套のようなものを纏っているとか……無燈さん、私の話を聞いていますか? 私の話はつまらなかったですか? じゃあこの割り箸一本で与えられる最大の苦痛について実技も含めて説明を……


 余計なものまで思い出してしまった。あの時は本当に酷い目にあった。まさか自分があれほど――

 軽く過去の幻影に苦しめられていた無燈は、女の右手が背中に回ったのを見て、我を取り戻した。

 ――兄貴の話をちゃんと聞いておくんだったぜ、糞ッ!

 恐らく刀なり剣なりの刃物だろう。あれほど危険な存在だと分かっていたのに、彼は女の細腕、しかもロクに構えていないということから無燈は無意識のうちに油断してしまった。そのため、後ろへ跳躍して回避したと思ったが――


 「――あァ?」


 胸元がばっさりと逆袈裟に斬られていた。なま暖かい血がバシャバシャと溢れ出し、無燈の手と地面を濡らす。

 目の前では自分の血で赤く染まった刀を逆手に持ち、それを月に重ねるように掲げた女が笑っていた。

 「……妖刀"細雪"。消え入る命は淡雪が如く――切ない」

 その言葉を最後に、無燈は自らが作り出した血の池に身と意識を沈めていった。


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