虎と少女と時計台 4章
道真を突き落とし、脅威が去ったという安堵から虎は長い、長い息を吐き出した。そうして、体の強ばりが消えていくと、
――…………。
少女がまた無言で現れ、首に手を回し、虎を強く抱きしめた。
「……余は勝ったぞ?」
――……うん。
「……約束は守れそうだな?」
――……うん。
「急にしおらしくなったな。まさか……余に惚れたのか?」
――……うん。
「ハーハッハッハッ! そう照れる……――なぬぅ!?」
てっきり否定するなり呆れるなりの反応が返ってくると思っていた虎は思わず大声で聞き返してしまった。それに対して少女は首元に顔を埋めてくるだけである。
気まずい沈黙が二人の間に流れる。
……少女が触れているところがムズムズする……。
虎は居心地悪そうに目をきょろきょろさせ、口をヘの字に歪ませる。
「あー……、何か言ってくれないか?」
動くに動けない虎は自分の背に乗っている少女に困って声をかける。
――…………。
何の反応もない。虎は困り果て、話題を探す。
「み、右足はもう治ったぞ!」
――……うん。
「け、怪我は無かったか?」
――……うん。
「きょ、今日は良い天気だなっ!」
――……うん。
……駄目だ。埒があかん!
木で出来た体だが心なしか汗をかいているような気がする。あくまで気のせいだが。虎は次の質問でも同じ答えならばさっさと階段を昇ってしまおうと決めた。
「世界を見渡した後はどうするのだ?」
その言葉に少女はびくっ、と震えた。
この時になって、虎はやっと少女の異変の理由に気づいた。
……怖いのか。
世界を見て、夢を叶え、そしてその後一体どうするのか、何をするのか。あの屋敷へ戻るのか、処分されるのか。きっと少女にとって、この後待ちかまえているのは終わりにすぎないのだろう。
――……下らん。
心の底からそう思う。
――下らん! 本当に下らん!
怒りがこみ上げてきた。少女に対してではない。そんな風に少女を怯えさせる世界に、だ!あのとき自分で誓ったはずだ。誇り高き虎である自分は、少女の怯えと震えを止めてみせる、と。
「大丈夫だ、少女よ」
虎は語りかける。
「何があろうと、誰であろうと余はキミを護ろう。どんな障害も障壁も余の誇りに比べたら塵芥もかくや! と言ったところだ!」
一旦区切り、
「だから、だから少女よっ、キミが懼れる必要は無い! キミはキミが思うままに人生を謳歌するのだ! 世界はキミのものだ!!」
虎の声は鳴り響く。
「……余はキミについていこう。か弱き少女を護るのは誇り高き虎の義務だからな!」
言い切った。虎は自分が言いたいことを全て伝え、少女の反応を待つ。
――……ホントに?
「虎は嘘をつかん!」
弱々しく訊ねる少女に、虎は力強く応える。
――じゃあアタシも強くなる。
そう言うと少女は初めて――虎から離れた。
少女は舞うように、虎の前でステップを踏む。その姿は今までのあやふやで消えてしまいそうなものでは無く、確かに透けてはいるが、はっきりと視認することが出来る。少し、息を吸ってから虎の方へ振り向き、
「あはははっ。キミから離れたの、多分百年振りぐらいだよ?」
その声は震えているが、弱々しいものではなく、この世界に立ち向かう意志が感じられる。
「あ……でも、やっぱり一人で立つのって慣れないかも。ごめん……ね」
「……むぅ」
少女は虎の頭に上半身を預ける。
……柔い。
虎は先ほどまで意識しなかった二つのふくらみが、自分の顔に押しつけられ、何とも言えない複雑な感情を抱く。
――このままでいたい気もするが、それでは余は情けなさすぎないか!?
悶々と虎が考えてると、少女が、
「そう言えば、さっきのってプロポーズだよ……ね?」
「ブハッ!?」
「え……? 違う……の?」
少女が虎を見つめてくる。その顔は今にも泣き出してしまいそうであり、
……何か前よりも弱くなっとらんか!?
「……余は本当は黒縞の女にしか興味しか無いのだが――」
ぽろぽろ涙がこぼれ始めた。ヤバい。早く続きを言わなければ余が悪者、いや悪虎に!
「――キミは特別だ。先ほどの言葉は求婚を意味していたのでは無く、純粋にキミを護りたくてだな……! その、なんだ、コンゴトモヨロシク」
「うんっ!うんっ!」
少女は微笑みながら涙を拭う。それを見て虎も自分の心が暖かくなっていくのを感じたが、
……余はもしかしてトンでもない安請け合いをしてしまったのでは無いだろうか……?
だが、まぁそれでもいいか、とも心のどこかで思い、少女が泣き止むのを待ってから、二人で階段を昇り始めた。
ヴァンは道真に言われた通り時計台を昇りきり、屋上でごろ寝していた。
「へっきしっ!」
シャツ一枚で、なおかつ汗をかいたせいか、高所の強風で体が冷やされてくしゃみが出た。風邪かとも思ったが――
「――お嬢が心配してくれてんのかな……」
へへっ、と鼻を擦りながら笑う。
ごろりと寝転がって空を見る。目が痛いほどの青空が広がり、思わず太陽に向けて手を伸ばし、掴もうとする。
当然すり抜けるが何度も何度も繰り返し、しだいにその行為に没頭していき、
「エア乳揉みとは感心せんな……」
ヌゥ、とその視界を虎の顔が遮るまでその存在に気づけなかった。
「うお!? な、なんだテメェ! 恐かねぇぞっ!?」
ヴァンはしどろもどろになって飛び上がり、虎と距離を取る。
それに対して虎は襲いかかるような素振りも見せず、ヴァンをただ見つめている。
ヴァンは、今自分の目の前にいる虎が以前自分が出会った時の"木の虎"とは大きく変化していることに気づいた。顔に入った浅い傷跡、獣のそれとは違う知性を感じさせる目、"吼える"以外の意思表示に使われる口、そして――
「こんにちは。あの……会うのは二回目なんだけど初めまして」
――見知らぬ女の子まで連れてやがった。
「あー、何だ。アレだ、嬢ちゃん誰?」
「この人の妻ですっ」
「――ハァ?」
「お、おい! ちょっと待て……!」
虎の横でぴょこんと少女が嬉しそうに答える。
「さっきプロポーズされました!」
少女がニコニコと笑い、あまりにも嬉しそうなので、ヴァンは思わず、
「あ、あぁ。そうなのか? えっと……オメデトウ」
「貴公も貴公で勝手に祝福するなっ!!」
突っ込まれたヴァンは、虎を指さし、
「あぁん!? そもそも何なんだテメェはッ! 知らねェうちに嫁を作るわ普通に話すはどんな不思議生物だ!?」
子供の喧嘩のように喚いた。
「余が知りたいわぁぁぁ!!」
虎は虎で半べそをかいて言い返した。その様子をニコニコ眺めていた少女が一転、
「それは、アタシが説明します」
少女は落ち着きを払って、ポカンとした二人に自分の生い立ちと成り行きを語り始めた。
「……?」
少女は気づいたときには屋敷の中をゆらゆらと漂っていた。幽霊に生まれ変わった、ということは何となく理解できたが、いつ死んだのか? 自分は誰なのか? そもそも此処は何処なのか? あらゆること欠片自分から欠落していた。
「まぁ、どうでもいいかな……」
捨て鉢というには程遠い、自主性も何もない思考。ただふわふわと宙を舞う。
この屋敷には何人もの使用人が居たが誰も少女の姿に気付かない。まぁそんなことにはもう慣れていた。
一際大きい部屋に入った。そこには様々な美術品が飾られていた。神を讃えた絵画、百手巨人の彫刻、火竜の逆鱗、そして部屋の角で埃まみれになった――木彫りの虎。
「……変なの」
随分と大きく、猛々しく作られているがその勇猛さとは裏腹に、
……寂しそう……。
その顔は今にも泣き出してしまいそうだ。本当はそのまま素通りするつもりだったが、あまりにもその顔が情けなく、可哀想なので、
「仕方ないなぁ」
外に出てみたかった気もするが、強固な自己を持ち得ない自分はあっさりと変容してしまうだろう。ならば、この木彫りの虎に取り憑いて過ごすのも良いだろう。
そう決めて、木彫りの虎の上に腰掛けてみる。どうもしっくりこないので首に手を回してしがみついてみる……うん、これだ。
虎の置物に腹ばいになって、ただ時間を過ごす。ゆっくりと時間は流れる。その間に何度か体勢を変え、時には木彫りの虎の中で微睡むこともあった。ただ、一度も木彫りの虎から体を離すことはしなかった。
月日が流れ、その間に何度もこの部屋に人が入ってきた。ある者は美術品を眺め、ある者は部屋から美術品を運び出し、ある者は美術品を持ち込み、ある者は部屋を掃除する。その誰も木彫りの虎には関心を持たなかった。
そうして九十九年過ぎた頃、穏やかな時間に転機が訪れた。にわかに虎が震えたのだ。
「……え?」
木で出来た体から暖かさを感じる。目に光が宿る。それに伴って体の震えも大きくなる。
……キミも生まれ変わるの?
自分が取り憑いていたからだろうか? この木の虎も付喪神として第二の生を歩むことになるのだろうか? ――少女はこの時、知る由も無かったが、確かに少女の存在が木彫りの虎に命を与えたことは確かだった。だがしかし、それは付喪神として授けられた命ではなく、少女が"幽霊"であったために生じた副産物にしか過ぎなく、
「……だ、駄目っ!」
木彫りの虎から震えが、体温が、命が消え始めた。目からも光が消え、元の木へ戻っていく。少女が強く、強く掻き抱く。
……お願いだから!お願いだからまた一人にしないでっ!
少女は望み、覚悟した。自分の存在を分け与え、生命の半分を木彫りの虎に譲渡することを。
「うぅ……!」
少女は木彫りの虎の体に半身を埋め、
「アアアアアアァァァァッ!!」
自分の体、つまり魂を引きちぎった。意識の抜け殻である半身を木彫りの虎に、意識を持つ半身を自分として再構成。だがまともに姿を保っていられない、自身も木彫りの虎の中に潜る。そして――
「――グオオオオオオオゥーーッ!!」
木彫りの虎は虎として生まれ変わった。
「――そして屋敷から出ることになったのですが、その時は彼がまだ虎の本能に囚われていたから大変でした。それで……えと……」
ヴァンは少女にまだ自分の名前を伝えていないことに気づき、
「ヴァンだ。正式にはヴァン・ヴァルク・ルーグ・グーン・グェフ・ロボフ・ファン……まぁ覚えにくいからヴァン・ロボフで覚えてくれて良いぜ」
「ヴァンさんともう一人、女の子に襲いかかってしまいました。ホントにごめんなさい!」
少女に深々頭を下げられ、ヴァンはポリポリと頬を掻き、
「あぁー、それは良いんだがよぉ……お前らどうすんだ?この後」
「それは……」
少女が言い淀み、
「――話は全部聞かせてもらったよっ!!」
にょきにょきと氷柱が伸び、肆と道真が三人の前に現れる。
「頼む、帰ってくれ。話がややこしくなる。つーかとっとと帰れ。あ、道真は居ていいぞー」
ヴァンのその言葉にぷんすか怒りながら肆が屋上の柵を乗り越えて時計台へとやってくる。
「な、何さそれ!? この……あっ!」
「危ねェ!」
力を使い果たした肆が足をもつれさせて転び、思わずそれをヴァンが受け止める。
「……あ」
「…………」
黙りこくる二人。その横を通り過ぎた道真が虎と少女に、
「ラブコメ気味な二人は放っておいて僕らだけで話をしよう。さ、長時間あれを見ると頭痛腹痛神経痛に悩まされることになるぞ」
その言葉に少女は手で顔を覆い、虎は尻尾で目を隠す。
「少女よ見るな! あれは外の世界における病気と言うものに違いないぞ!」
「うん、うん。感染ったら大変だし!」
「う、感染るなねェよ馬鹿!つかそいつらはもう感染済みだッ!」
ヴァンが肆から離れて虎と少女を指さす。
「……まぁヴァンのことは置いといて」
ヴァンはぎゃあぎゃあ騒ぎ、肆は顔を朱く染めて心ここにあらずといった感じだ。
「君たちがここに来たのには理由があるんだろう? 良かったらそれを僕たちに教えてくれないか?」
「……むぅ」」
虎は何というか悩んでいる。
「僕たちに出来ることなら可能な限り力になろう。……もちろんこれは公僕としての発言では無く、蓮乃惣一郎・道真としての個人的な約束だ」
「あいつ……今さらりと俺たちを巻き込んだぞ……」
「……まぁ、道真さんのことだし、逆らっても意味ないんだろうなー……」
二人とも僕のこと良く分かってるな、とは口には出さず、虎と少女を見守る。そうすると、少女が一歩前に出て、
「……ここに来たのは一番高い所から世界を見渡したかったからです。そして今は――今は彼と一緒に生きてみたいです!」
はっきりと道真にそう告げた。道真は浅く微笑み、
「――世界は見渡してみたかい?」
「……へ?」
少女は驚き、素っ頓狂な声をあげる。
「まだ見てないだろう? それに後の事も僕に考えがある。だから見渡してみるといい……世界を」
そう言うと道真はヴァンと肆に合図を送り、屋上の入り口まで下がろうとする。
「あ、ありがとうございます……!」
少女の礼に片手をあげて応える。
「貴公、その、落として悪かったな。大丈夫だったか?」
虎の謝罪に対しては、
「僕のほうが君より強いからね」
笑って答えた。
道真はそのまま背を向けて歩き、ヴァンと肆の横に並ぶと、
『道真ってけっこう子供っぽいね』
木蓮に言われ、
「……少年の心を忘れてないと言ってくれないか?」
肩を竦めた。
三人が離れていき、また二人きりになった。虎は思う。
……あの三人は良い奴らだ。
信頼に値すると。とんでもない負けず嫌いだが、きっとこの後のことも本当に考えてくれているのだろう。だがしかし今は――
「準備がいいか?」
「うん……。だけどその、近くにいて」
そう言われ、虎は少女に寄り添う。
二人で一歩、一歩共に進む。ゆっくりと柵に近づき――
世界を、見渡した。
空の青に朱が混じり、どこまでも広がっている。遙か遠くに見える山際から夜が昼を飲み込もうと、大口を開けている。昇ってくる月は冷たく見えるほど白く、墜ちていく太陽は燃えるほど赤い。その空の下にある帝都は朱に染まり、建物の影と交じりあいながら在る。帝都からは線路が伸び、遠くへ行くにつれて霞む。音が聞こえない世界は、ただ美しかった。
涼しい風が吹き、少女の髪をさわさわと揺らす。少女は虎の肩に手を乗せ、
「綺麗だね……」
「あぁ……」
何も良い言葉が思いつかなかった。だがそれで良いとも思った。
「ごめんね……」
「気にするな」
少女は何も言わない。虎も何も言わない。だが、二人とも気持ちが通じ合っていると確信していた。
「いこう」
「もういいのか?まだ時間は……」
少女は笑顔で世界に背を向ける。
「ううん、また来よう!きっと来よう!」
虎は、少女の輝くようなその笑顔を見たとき、約束を守れた自分を心の底から誇り高く感じた。
「済んだのかい?」
「はい、また来ることにしたので」
道真はそうか、と答える。少女の言葉に肆とヴァンは少し驚いて顔を見合わせたあと、うんうんと頷いた。
「で、貴公の考えとやらを聞かせてくれないか? ……まさかアレか!? 貴公はスーパー金持ちで財力に物を言わせて余たちを解放するとかかっ!?」
「……何かヴァン、あんたと気が合いそうよ?」
「お前ともな、肆」
二人とも虎を残念そうに見つめる。
「残念ながら僕は薄給取りでね、貯金もあまり無いんだ。僕の考えとは――君をもう一人作るってことだ」
「ハァ?」
「え?」
「む?」
「へ?」
四人全員がよく分からないといった顔をしている。しかし道真は表情を崩さず話を続ける。
「さっき君が僕に見せてくれたアレ、あの体の一部を取り外したり埋め込んだりするのがあっただろう? アレを使って君にそっくりな木彫りの虎を一体作るんだ――出来るか?」
やっと道真の考えが理解し、少女が虎の頭をたんたん叩く。
「うんっ! うんっ! キミは中身まで詰まってるからその分使えば充分なはず!」
「――ただし、そのままの虎の姿では確実に怪しまれるし捕まる。だから、出来れば人の姿になるか隠れられるほど小さくなってくれ。人虎ならこの帝都では珍しくないさ」
「なぬぅ!?それは余に虎としての誇りを失えというのか!? 余に二足歩行をっ、服を着ろというのかっ!?」
「だったら小さくなるといい。僕の上司に普通サイズの黒猫で言葉も話すし仕事もサボる人がいるよ。……ちなみに僕よりも強い」
その言葉にむぅ、と虎が黙る。その顔は苦渋に満ちており、尻尾はしゅんと下に垂れている。
その姿を不憫に思い、肆が励ましてあげようとしたとき、
「――アタシは人の姿のほうがいいな。手も、握れるし……」
「余は誇り高く人になろうっ!」
少女の言葉に虎は即座に、高らかに答えた。
「むぅ、やはり二足歩行は慣れんな……」
木彫りの虎はついには人虎となった。虎はヴァンが取ってきた道真のコートをぶかぶかの状態で着込み、少女の手を借りて二足歩行の練習をしている。その横には少女の記憶を頼りに作られた、中身が空洞の木彫りの虎が転がっている。
「あー、多分だが慣れるぜ? 俺もガキん時は四足だったけどジジィに何度も蹴っ飛ばされて普通に歩けるようになったしな!」
能天気に笑うヴァンに対し、肆が苦笑いして
「……ヴァンってけっこう破天荒な生涯送ってるよね。だからひなたさんに殴られても懲りないんだろうけどさっ。ところでさ」
みーぎ、ひだり、と練習している二人に肆は訊ねる。
「二人の名前って何なのさ? あ、ちなみに私は雪鬼族の最終兵鬼、二三肆!肆でもしーぽんでも肆ぃ姉ちゃんでもどれでもいいよっ」
両手を広げて仁王立ちした肆が自己紹介をした。そして虎と少女は、
「そう言えば余には名前が無いな……少女よ、キミは?」
「ううん、アタシは憶えてないから……」
むぅ、と虎は腕を組んで考える。はてどうしたものか、と。
「余は虎という言葉さえ入っていれば何でもいいから少女よ、キミが決めてくれないか?」
「キミってけっこう滅茶苦茶だよね……」
そう言って少女も考え始めるがなかなか決まらない。
「しかしアレだな、あの子変わった服着てるよな。上の服はノペッとしてんのに、下は何つーか……ヒラヒラしたのとピラピラしたのがバーッとついててよ」
ヴァンが手持ち無沙汰になって口を開く。
「ヴァン、君は擬音に頼るのはやめろ。あれはフリルとリボンだ。上の服は……確か、随分前に貴族たち間で流行った服だ。僕の周りの奴がよく涎掛けなんて揶揄していたが」
「へー、道真さんって物知りだねっ。じゃああの模様って何さ?」
肆が少女の服に刻まれているエンブレムを指さす。
「あれは……うん、鬼百合だ。間違いない。だが鬼百合か……鬼百合の紋章は確か……」
道真は何かを思い出したのか、一人で考え込んでしまった。そして少女は先ほどの会話を聞き、
「ねぇ、"鬼百合"って名字で良い?」
虎に確認する。
「おぉっ。勇猛さと可憐さを兼ね備えた素晴らしき名字だ! では余は"鬼百合虎"と名乗ることにしよう!」
少女は何にもひねりが無いところが彼らしいとくすっ、と笑い、
「じゃあアタシは"鬼百合雨”にする」
「むぅ、その、いいのか? 虎子とか虎美とかの勝ち組ネームでなくて」
虎の勧めに、雨は首を横に振り、
「ううん、だって――だってキミと逢った今日の日の事を忘れたくないから」
雨のその言葉に虎は微笑み、
「そうか。そうか少女よ。鬼百合雨よ。キミの”雨”の名の下にあらゆる幸福が降り注がんことを! そのためならこの”虎”! どんな敵にも、どんな困難にも、たとえそれが神でも牙を剝こう!!」
そして、
「――オオォォォォォォッ!!」
吼えた。以前とはちがう、二人を世界に誇示するように。二人の存在を祝福するように。
「じゃあ行こう。雨と虎、君たちは突然現れた木彫りの虎に驚いて、この時計台に隠れていた。それを僕たちが発見、保護したという事で。その後は僕の上司であるクロさんに任せる。いいね?」
道真が偽の木彫りの虎を担ぎ、手を繋いでいる雨と虎にこの後のことを説明する。
「あ! クロさんは社会不適合者だけど善い人だよっ。だから安心してね!」
先導する肆がくるりと振り向いて、二人を励ます。
「つかよ、多分木蓮から話行ってるだろ。多分今頃『あぁ、めんどくせぇ……』とか言って毛でも舐めてるんじゃねェか?」
ヴァンがそう言うと、
『クロさんが『良く分かったなぁ、ヴァン。ご褒美にお前にも手伝わせてやる』だって。ヴァン、やったね!』
木蓮から突然伝えられた。木蓮のその邪気の無い言葉――恐らくご褒美をそのままの意味で捉えているのだろう――にヴァンは何も言えず、ヤケクソ気味に「やったぁぁぁぁ!!」と叫んだ。
その後、特に会話という会話も無く、五人で時計台を降りた。時計台から出ると野次馬や他の課の人間がごった返していた。
「おや、応援に来てみたのですが、大丈夫だったみたいですね」
「ハッ! だからダイジョーブつったろ! ったく、心配が過ぎんぜ兄貴はヨォーッ!」
その中から二人の男が近づいてきた。二人の服装から同じ人災対策本部の人間ということが分かる。
一人は制服を一切の乱れもなく着こなす華奢な馬頭の男。
もう一人は制服をだらしなく着崩した筋肉質の牛頭の男。
「やぁ。不良警官兄弟か。僕の代わりに始末書でも書いてくれるのか?」
道真は木彫りの虎を横に下ろして挨拶をする。肆は一応頭を下げるがヴァンは牛頭の男と睨みあっている。
「ヨォヨォヨォーッ! テメェこら駄犬! 相変わらず鼻が濡れてんなァーッ!?」
「あぁん? お前は毎日楽しそうだな。――鼻にピアスぶらぶら吊り下げて」
「こいつは鼻輪だっつてんだろうがヨォーッ!」
ヴァンの言葉に激昂した牛頭の男が飛びかかろうとし――
「やめなさい、無燈さん」
馬頭の男に袖を掴まれ、流れるようにくるりと宙に浮いて――地面に後頭部から落ちた。
「すいませんね、ヴァンさん。この子は好きな人にはちょっかい出したがるきらいがありまして。えー……、どこまで話しましたっけ?」
地面でゴロゴロ悶える無燈を見やり、
「――そうでした。始末書なら愚弟の分で充分に足りていますよ。……ところで後ろの方々は巻き込まれた民間人の方ですか?」
「あぁそうだ、滅入。暴れる虎に驚いて思わず時計台に隠れてしまったらしい。一応、九〇課に連れて行って話だけ聞いておこうと思ってね」
滅入と呼ばれた馬頭の男はハァ、と曖昧に答えて虎、雨、そして最後に――道真の目を見た。
「……分かりました。ここの事は私たちに任せてお帰りください。木彫りの虎も預かりましょう」
「――恩に着るよ、滅入」
滅入はウインクを道真に飛ばし、無燈に手を貸して立ち上がらせて、彼に木彫りの虎を担がせて向こうへ行ってしまった。
「じゃあみんな、車は……そうか、僕が壊したんだっけな。歩けるかい?」
雨と虎は頷き、ヴァンと肆も肩を竦め、
「じゃあ帰ろう。僕らの九〇課へ」
道真はそう言うと、夕闇の帝都を歩き始めた。その光景を眺めていた雨と虎は、互いに顔を見合わせ――手を繋ぎ、彼らの世界を歩み始めた。




