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俺得妄想帝都  作者: 空暮
3/9

虎と少女と時計台 2章

 あぁ頭が痛い。いや痛かったのは両足だったか、今はどうだっていい。今は頭が痛い。

 ――大丈夫ですか?

 また聴こえる。頭が痛い。頭が頭が頭ががアタマがアタマガアタマ頭がガ頭ガイタイ!

 ――ちょっと待っててね。これかな? えい!

 頭の痛みが消えた。何故?

 ――それはね、キミの鎖を外してあげたから。

 鎖? 鎖とは? そしてキミは誰だ?

 ――鎖は鎖。アタシは……分からない。

 何故? キミはどうして此処に? そもそもワタシは何だ?

 ――キミは元”愛玩物”。今は一匹の虎だよ。

 虎! なんて素晴らしい言葉だ! そうだ虎だ! ワタシは誇り高き虎だ!

 

 自分を虎と認識した途端、世界が鮮明になる。今自分が橋の下でうずくまっているのを理解する。そうか、余はあの檻から自由になったのか。あの屋敷で過ごしていた時間は夢のようだ。それもそのはず、誇り無き時間には何の価値も無いのだから!

 「少女よ、礼を言おう。余は今、誇りを取り戻した」

 虎は少女に話しかける。虎は思う。自分の背中にしがみつく――いや、実際は実体など無いのだろう。だが彼は確信する。あの少女は自分の背中にしがみついているに違いない、と。

 ――ううん、だって外に出るってアタシの夢だったから……

 「違う」

 虎は即座に否定する。

 「それは余の夢だ! それはもう余の夢だ! そしてそれは叶えられた! だから少女よ!!」

 ――……なに?

 虎は少女が怯えているのが分かる。震えているのが分かる。ではそれに対し、誇り高き者はどうする? 当然だ! それは……

 「キミの願いを叶えよう! キミの願いを! それがキミの夢を奪った余の贖罪だ!!」

 その怯えを、震えを止めることだ!

 少女は少し躊躇い、紡ぐように、

 ――見渡してみたい。

 虎は少女の次の言葉を待っている。

 ――この世界を見渡したい! すごく高い所から見渡してみたい!!

 「少女よ! 余はキミの叫びを聴き届けた! その願いは必ず叶えられるだろう! キミの叫びと余の誇りにかけて!!」

 虎は立ち上がり、天まで届けと咆えた。大きく、大きく、その存在を証明するかのように。



 クロは全員自分のデスクの前に集合しているのを確認し、話しを始める。

 「取りあえず、だ。話を始める前に――ヴァンと肆、おまえ等の馬鹿野郎っ、そして良くやった」

 二人は話が見えないとばかりに首を傾げている。

 「あぁ、アレだ。さっき上から仕事が入ってなぁ、その内容はまぁ、簡単に言うと虎の捕獲だ。ちなみに最優先事項として『絶対に傷を付けるな』だとよ。面倒だねぇ」

 そこまで言われてヴァンと肆は先ほど叱られた意味が分かった。

 「でも気にすんな。傷なんざ幾らでも付けて良いからなぁ。原型が留まってれば、な。相手は剣兎族並にすばしっこくて鳥人並に跳ぶんだろ? そいつを無傷なんてどだい無理な話だよ」

 ふわぁ、と欠伸をしてさらに話を続ける。

 「最初は普通の課の奴らが捕縛に向かったらしいがてんで相手にならなかったらしい。それでお鉢が回ってきたってことだ」

 「すまん、クロさん。一つ質問なんだが」

 道真が手を上げる。しかしクロは一睨みし、

 「駄目だ面倒くさい。質問は最後にまとめて、だ。いいなぁ? よし、それで、だ。九〇課総出で捕縛だ。道真、ヴァン、肆は前衛。俺、ひなた、木蓮は後方支援。じゃあ質問はあるかぁ?」

 まず道真が口を開く。

 「その虎とは何だいクロさん? 何、とは何処から来て、誰のモノで、何で暴れてるんだ?」

 「何処からかは知らんし、暴れる理由も分からんよ。誰のモノかは――察しがつくがなぁ」

 クロは手ぬぐいの端を噛み、二叉の尻尾をゆらゆらさせながら考える。

 ……多分、どっかのお偉方だろうなぁ。

 その考えを知ってか知らずか、肆が次に手を上げた。

 「あの虎って木なのになんで動いてんの? 気合い?」

 「それは私が説明するよー」

 ひなたが横やりを入れてきた。クロ自身、面倒なので彼女に任せることにした。

 「ヴァンくんとしーちゃんの話からするとその木の虎って、あの木彫りの虎にそっくりなんでしょ。ってことはやっぱり付喪神かなー、うん」

 「つくもがみ、って?」

 うんうん、とひなたは頷き、答える。

 「簡単に言うと……クロくんみたいな感じかなー? クロくんも元は普通の猫だったんだよね? 要は長生きして自我を得たってことっ」

 クロがひなたの説明に付け加えて、

 「いやぁ、何つーか……もう一回産まれるっていうのかねぇ? まるで今までが夢だったみたいに、な」

 みんながほぉー、と感心している。クロは何故か気恥ずかしくなって頭にくるりと手ぬぐいを被せて質問を促した。

 そして、最後にヴァンが次に手を上げて質問をした。

 「もしぶっ壊したら? クビか?」

 「壊したらクビだよ全員クビ! 壊すんなら他の課の奴になすりつけんの忘れんなよ」

 努力はする、と言ってヴァンは手を下げた。

 ……まぁ、な。ヴァンには難しいかもなぁ。

 ヴァンは手加減をするようには出来ていない。それも戦闘ではなおさら、だ。だからこそ、この九〇課にいるのだが。クロはこの九〇課はそんな奴らで溢れているのに、ここに仕事を回してきた上の奴らの慌てぶりを想像して少し溜飲が下がった気がした。

 「じゃあ仕事開始だ。――木蓮、頼むぜ」

 ん、と木蓮は前衛――道真、ヴァン、肆――の前に進み出た。

 「手、出して」

 三人は躊躇うことなく手を木蓮の前に差し出す。木蓮も躊躇うことなく、自分の腕を出し、長袖を捲った。そこには――目、が。大量の目が存在した。木蓮の腕を埋め尽くすように大小様々な目が存在した。きょろきょろと周りを見渡す目、瞼を閉じてスヤスヤと眠り続ける目、ただ見開いて虚空を見つめる目。それぞれが自由に動いている。

 「……じゃあ、いく、ね?」

 木蓮はそう言うと指先で先ず、道真の手の甲に触れた。そうすると木蓮の腕の目の一つがぶるぶる蠢き、彼女の指先を通じて道真の手の甲へ移動した。数回瞬きを繰り返すと、溶けるように消えていった。木蓮は次にヴァン、肆へと同じ処置を施した。

 『――聞こえる? 私の、こえ』

 「うん聞こえるよっ、木蓮」

 肆は自分の手の甲を上へ掲げ、眩しそうに見つめる。

 「あぁ、僕も聞こえてる……ヴァン?」

 「感度良好だぜー」

 道真も答え、ヴァンも手をひらひらさせて答える。その様子からは嫌悪は感じられない。それが木蓮にとっては何よりも嬉しいことだった。過去、彼女を追いつめ、苦しめた能力でも今こうして彼らの力になれることが誇らしかった。

 木蓮の能力は視覚の拡張と付与、そして共有だ。彼女は全身に目がついている。これ自体、百々目鬼では当然のことだ。しかし通常はその目が視覚を持っているだけだ。恵まれたものでも”千里眼”と呼ばれるように遠くを見渡すだけだ。しかし、しかし彼女は違った。あまりにも特異であり、恵まれすぎた。他人に自らの目を与えて視覚と意識を共有、物と視覚を強引に繋いで経た時間を共有。しかし過度な財産は心身を蝕む。それは――彼女も例外では無かった。

 「木蓮、あとこれも頼む」

 道真の手には先ほど拾った木片があり、それを受け取った木蓮がぎゅっと強く握り込む。

 「……がんば、る」

 思考することをやめ、いま自分が握っている木片に意識を集中する。全身の目でそれを見つめるように、もっと睨み付けるように。少しすると自分の中に異界が開くのを感じる。

 ――いる、ここに。

 真っ暗な空間にぷかぷかと木片が浮いており、それを自分の目があらゆる方向から見つめている。強く睨み付けるとブルブル木片が震え始め、景色が映る。



 『橋の下? ゆらゆら揺れててよく分からない』

 いま、自分が見ている木片の主は何かを叫んでいるようだ。音は聞くことが出来ないが、視界がビリビリ揺れているのでそれぐらいは分かる。

 『何も見えないな。少し動いてくれないと……』

 そう木蓮が思ったと同時、一際大きく叫ぶと橋の下を跳び出した。

 『ッ!? すごい、速さ……!』

 風を切るなんてものじゃない。まるでそう、風にも通ったことが気付かれないような速さだ。駆け、翔び、潜る。

 『駄目っ! 意識が……!?』

 木蓮はどうにか見えた景色を記憶に刻み、この世界を――閉じた。



 「――っふぅ! ハァ…ハァ……」

 「大丈夫だったかい、木蓮。ひなた、地図の用意をしてくれ」

 ……大丈夫、か。全く、トンだ偽善だ。

 道真が自己嫌悪に浸っていると、もう済んでるよー、とひなたがデスクの上に広がっている地図をバンバンと叩いて知らせてくる。

 木蓮は椅子に座り、先ほど視た事を伝える。

 「”塔の足”を通ったのが、見えた……あと、時計台、が、右側、に。それと……ううん、ごめんな、さい。これ、だけ……」

 「なぁに気にすんなお嬢っ! そんだけ分かればヨユーだヨユー!」

 ヴァンは口を開けてカラカラと笑う。

 「えっとぉ、”塔の足”はここだからー……」

 地図に赤いおはじきを置きながらひなたは考える。

 “塔の足”とはこの帝都を東西に分割するように建っている建造物である。一見すると帝都に架かるただただ巨大な橋だ。しかし諸説あるが、あれは巨大な、そう天まで届くような巨大な塔だったらしい。しかし今では神の怒りに触れたため瓦解し、その塔の土台部分のほんの一部がこの帝都に残るだけとされている。その話が本当かどうかは眉唾物だが”秋皇”の国民はそれを漠然と受け入れている。そしてこの”塔の足”を境に貧富の差が分かれている。東地区には上流階級と中枢を担う機関、西地区には貧乏人と工場、そして――そして時計台があるのは東地区である。

 「多分、この辺にいてー、こっちかな!」

 ひなたは地図に置いたおはじきを指先ですーっ、と動かす。まず地図の下側にあたる西地区にある九〇課の建物の上から”塔の足”にぶつかるまでまっすぐ上に、そして、

 「時計台ってけっこう大きく見えたー?」

 「う、ん。最初は小さかった、けど、どんどん、大きく……」

 分かった! と、ひなたは地図の北西部に位置する時計台へおはじきを動かす。

 「ここだよー! ここ! 九〇課から見てー……右? とにかく時計台のほう!」

 なんだそりゃ、とヴァンたちは呆れるがすぐに追跡しようとする。

 「クロさん! 車を使うが許可は取るべきかい?」

 道真にそう聞かれたクロはそっぽを向いて、

 「あぁもう、どうせ断ったって使うんだろ? 使え使え! 壊したら直しとけよ!」

 コートと帽子を着込んだ道真がすまんね、と答えて九〇課から出ていく。

 ……せめて原型が留まってるといいなぁ。

 クロはそんなことを願いながらひなたが用意した地図へと目を落とした。



 九〇課のある建物から出た道真たちは一階のガレージを開けて車に乗り込もうとする。その車は以前は立派な姿をしていたようだが今では見る影も無い。車体の至る所がへこみ、傷付き、歪んでいる。何よりも目をひくのが無理矢理引きちぎられて外された屋根であり、半ば強引にオープンカーへと変身させられている。

 「ひなたが居ないから今日の運転は僕か。肆とヴァンは後ろに乗ってくれ……僕は前の席を両方とも使わなきゃならないからね」

 二人は文句を言うことも無く後部席へと乗り込む。道真も強引に席を二つ使って座る。これでは急ブレーキは使えないが道真にとっては何の問題も無い。

 「……本当は君たちのどちらかが運転できればいいんだが。練習する気はないかい?」

 「俺は走ったほうが速い。つか覚えらんねェ」

 「私も右に同じく。あはははっ……」

 以前聞いたときと同じ答えを返されてやれやれと道真は、右足の下にある数種のペダルを足裏の感覚だけで器用に踏み込み、車を発進させた。



 虎は考える。このあたりで一番高い所は何処だろうか、と。とにかくこの橋の下から出てみることにしよう。

 ――今、誰かが覗いてるね。

 「何ッ!? 人を盗み見るとは不届き千万!! 誇りの欠片も無い奴だな!」

 虎は自分の前足を見て傷が塞がれているのを確認。誰かが覗いているような場所からは早々に出るべきだ。駆け出すことにする。

 ――きゃっ! さっきより迅い!!

 自分にしがみつく少女が驚いて声を出す。さっきより迅い? それは当然だ。何故なら、

 「今の余は虎だからな! ハーッハッハッハ!!」

 気分が良くて笑ってしまう。

 ――本当! ずっと迅い! それに何か……気持ち良い!

 「そうかそうか! 笑え! 誇り高き者は大声で笑うものだ!!」

 虎は橋を跳びだして建物から建物へと跳び移っていく。途中で何やら大きな壁のような建物があったので、それは悔しいが下へと降りて潜り抜ける。その後はまた建物へ跳び乗り、迅さを求めるため暫し心が求めるまま走り続ける。

――あはははっ、すごいすごい! さっきの橋があんなところにあるっ

 少女に言われ、速度を落として虎も見てみる。

 「ほう! さすが余だ! 疾きこと虎の如し!!」

 そのとき虎は気付いた。眼下を往来する人々が自分たちを指さして何か叫んでいることに。人様、いや虎様に指さすとは礼儀を知らずにもほどがある! だが――

 「誇り高き余の麗しさに驚いているのだろう! 好きなだけ見とれるが良い! 好きなだけ憧れるが良い!!」

 ――違うような気がするなぁ……

 少女は疑うような声色で呟く。む、この少女は疑っているようだ。よろしい、ならば証明して見せよう! いざ見さらせ、我が勇姿を!!

 虎は一際高い建物につくと立ち止まった。建物の前の道に人が集まり、黒山を人だかりが出来た頃を見計らって、

 ――え! な、何するの……?

 虎は少女に目だけで不敵に笑い、

 「グオオオオオオゥーーッ!!!」

 うむ決まった。獅子が百獣の王なら余は大帝だな、うむ。

 ――えっと、キミってバカなの?

 「なぬ!? 聞き捨てならんぞ!」

――だって、ほら!

 虎は少女が肩越しに指さす方を見た。この騒ぎを聞きつけた警官――彼らは人災対策部では無いが――がやって来た。群衆をかき分けて向かってくる者、屋上を駆けてくる者、空を滑空してくる者とそれぞれバリエーションに富んでいる。

 「うむ、こっちへ来るな……余の足拓が欲しいのか? いやはやコレだから衆愚は!」

 いくら余が理想的な虎だとしてもあれ程必死な形相をせずとも良いのに!

 ――違うよ! アタシたちを捕まえようとしてるんだよっ!

 気分良く笑っていた虎は少女の言葉に目をぱちくりとさせ、

 「…………え?」



 「…………」

 車の後部座席でヴァンは考える。先ほどひなたは木の虎のことを付喪神と言っていたが、どうも自分は違うと思う。アレは確かに”物だった”モノだが付喪神とは何かが違う。直接目にした自分だからこそ、その微細な違いに気付いたが答えが分からない。アレは――

 「大丈夫、ヴァン? もしかして寒いの? そりゃこんな風が吹きさらしのところにシャツ一枚じゃ……ってなにその顔?」 

 ヴァンは肆が心配そうな顔で覗き込んでいることに気付いた。そのときになって自分の顔が渋い顔になっていることを自覚し、思わずヴァンは笑ってしまった。

 「なっ、何さ!? 心配してやったのに! 凍れっ、凍って反省しなさいっ」

 「ちょっ、おま、風が強くて凍るのがはやっ……!?」

 楽しそうに体半分が霜に包まれていくヴァンを見て見ぬ振りして、道真は運転に集中する。三人を乗せた車が”塔の足”の下を潜り抜けて東地区へと入ったところで、

 『聞こえる?』

 木蓮から話しかけられた。

 「あぁ、聞こえる。何かあったのかい?」

 『虎が東地区の歓楽街で警備してた課の人と交戦したって電話がきたよ。』

 「歓楽街!? あんな馬鹿みたいに人が沸いてるところでかっ?」

 顔半分が霜にまみれているヴァンが驚いて木蓮に聞き返す。それもそうだ、歓楽街の場所にもよるがあそこは常に人で溢れている。

 『うん、だけど民間人は怪我してないって。戦った三人が軽傷だって……』

 木蓮の声が少し沈む。

 ……お嬢は優しすぎんだよなぁ……。

 ヴァンは思う。正直自分はその三人が怪我したと聞いて何とも思わない。いや、民間人が傷付こうが死のうが自分には響かないだろう。自分は己と周りの大切な人さえ護れれば良いのだから。そう思うと、どうも自分は卑しい奴のように思えてしまう。

 「で、木蓮。僕らは何処へ向かえば良い? 取りあえず今は中央部へと向かっているが」

 『あ、ちょっと待って……うん、歓楽街を北に抜けたから北東部へ向かって』

 分かった、と道真はアクセルを踏み込んで急加速させる。その反動でヴァンと肆は背もたれに叩きつけられた。

 「お、おい! いくら何でも飛ばしすぎじゃねェかっ!?」

 「そうだな」

 道真はヴァンを軽く去なして片手で鷲掴みにしたハンドルを捌く。

 「きゃあああっ!! 恐い恐い死ぬ死ぬ落ちるぅぅぅぅ!!」

 左右に揺れるためか、肆が涙目になって叫ぶ。

 「落ちたら死ぬ、か。これは逆に考えると乗っていれば死なないってことだ。つまりこの車に乗っている限りは死なないんだから非常に安全ということだ」

 「その理論、破綻してないっ!?」

 肆の抗議に対し、道真は、

 「……まぁ、僕は落ちても死なないだろうしな」

 人殺しー! 悪魔ー! という言葉を背中に受けた道真は涼しい顔のまま、極めて暴力的な運転をし続けた。

 

 

 虎はこちらへ滑空してくる鳥人の男を見ていた。鳥人の男はこちらへグングンと迫ってきたが、虎は未だに少女の言うことが信じられない。

 「なぁ少女よ、本当に余たちは追われているのか?」

 ――えっと、じゃあ何で逆に追われてないって思えるのかなぁ?

 少女の呆れたような言葉に、虎は数秒考え、

 「……虎、だからか?」

 ――じゃ、じゃあ仮に追われてるとしたらどうして?

 またもや数秒考え、

 「……虎、だからか?」

 その返答に少女が頭を抱えたので虎は何がいけなかったのか考えようとしたが、自分の頭上まで鳥人の男が来ていたことに気付いた。

 鳥人の男はすれ違いざまにホルダーから銃を抜き取り――撃った。

 虎はその弾丸の軌道が自分の背中――つまり少女に――向かっていることを理解し、早急かつ迅速に対処することにした。

 「他愛無ぁし!!」

 虎はただ無造作に尻尾で弾丸を払った。

 ――え!? い、今のって……!

 「ふむ、銃だったな――何だこれは?」

虎は自分の尻尾に弾丸ではなく、筒状の注射器が刺さっていることに気づいた。 

 ――大丈夫!? どこも怪我してない!?

 「大丈夫だとも! あのような攻撃では余の鍛え抜かれた誇りに傷一つ付く訳無かろう!!」

 ――いや、うん、そうだね……。

 何故この少女は諦めたような声色なのだろうか。虎は周りを見渡し、理解した。自分たちの目の前の建物の屋根には先ほどの鳥人の男と屋根づたいに追ってきた猩猩の男が、後ろの建物の屋根には何処をどう登ってきたのか群衆をかき分けていた鹿頭の男が。つまり、自分たちは囲まれており、少女は自分が負けてしまい、捕まってしまうと思っているのだ!

 「大丈夫だ少女よ! このようなドサンピンに負けるような余では無いわ! しっかりと掴まっているのだ!!」

 虎は少女が自分の首回りを強く抱きしめるのを感じながら、思う。

 ……そう言えば余が誰かのために戦うのは初めてだな……。

 それどころかこうして自我を持って戦うことすら虎にとっては初めてである。それは本能に委せてただ暴れ回るのとは違い、明確な意志を以て障害を撃滅することである。では自我を持つものの宣戦布告は獣の如き唸り声であるべきだろうか、いや違う。それは――

 「――我が名は虎! 誇り高き一匹の虎! 貴公らの断末魔と敗北を余に捧げよ! 余の誇りの礎と成り果てろ!!」

 名乗ることだ。相手に敗北とともに自分の存在を刻みつけることだ!

 ――殺しちゃ、ダメだよ?

 「……むぅ」

 虎は少女のその言葉に苛つきと少しのむずがゆさを感じたが、その感情を押さえ込み、敵に向かっていった。



 虎は迷わず二人の居る方へ駆ける。駆け、疾り、飛んだ。

 二人のうち、猩猩の男はとっさに後ろへと跳んだ。しかし鳥人の男は反応が間に合わず、

 「う、うわぁ!?」

 虎に前足で羽を押さえつけられて床に貼り付けにされた。そして虎は相手に絶望を見せつけるように口を開いた。

 「ヒィッ!?」

 怯えきった鳥人の男は恐怖にひきつっている。少しいい気味だと虎は思った。

 

 ――こいつはさっき余の少女を狙ったからな!


 このまま顔面を食いちぎってしまいたいという欲望をグッとこらえて、

 「――オォォォォォォォッ!!」

 吼えた。それも男の顔の至近距離で。そうするだけで鳥人の男は気を失った。

 虎は次に猩猩の男へと標的を移した。ちら、と鹿頭の男を見たがまだこちらに来るまで時間が掛かるだろう。 

 先ほどの鳥人の男とは違い、猩猩の男はこちらに対して身構えている。だがその目からは恐怖が見て取れる。

 「シッ!」

 先に動いたのは猩猩の男だった。持って生まれた身体能力にかまけて努力を怠ったのだろう、虎にはひどくつまらないものに見える。

 拳が鼻面に放たれるが身を捻ってするりと避ける。続けて蹴りが胴へと放たれるがそれも緩慢な動きだ。

 「片腹痛いわ!」

 虎は尻尾を男の腹へ叩きつける。もしそれがただの虎の尻尾なら何とも無かっただろう。だが、猩猩の男を襲ったのは巨大で、なおかつ木で出来た虎だ。そのため尻尾はまるで棍棒のように猩猩の男を打ち据え――吹き飛ばした。

 吹き飛んだ猩猩の男の向かう先にはこちらの建物へ跳び移ろうとしていた鹿頭の男がおり、

 「受け止めろっ!!」

 虎に叫ばれ、とっさに鹿頭の男がその体で受け止め――

 「コイツも返しておくぞ!」

 虎が尻尾を振るって投擲した注射器もその体で受け止めて、麻酔によって眠りに落ちた。

 そして、虎はあっと言う間に静かになった三人を一瞥し、

 「つまらぁぁぁん! つまらんつまらんつまらなすぎる!! こんな奴らではっ、こんな奴らでは余の誇りの足しにもならんわ!!」

 ――どう、どう。落ち着いて、ね?

 「……むぅ」 

 少女に頭を抱きつかれて、虎は黙る。少女は顎を虎の額に乗せ、

 ――ほら、早くしないとまた誰か来ちゃうから行こう?

 そう少女に諭され、虎も気分を入れ替えるつもりで駆け始める。

 北へ走り、歓楽街を抜けて人が減ってくると少女が虎に話しかける。

 ――さっき、約束守ってくれたよね……?

 仏頂面で虎が返す。 

「……誇り高き虎は約束を守るからな」

 その返事に少女が嬉しそうに、 

 ――ふふっ、そうだね

 笑う。虎はその笑いの理由が分からず、

 「なにが、可笑しい?」

 訊ねる。そうすると少女がさらに嬉しそうに笑い、

 ――いや、その、キミのことけっこう好きだよっ。

 「な、な、何を言っておるのだっ!? す、隙など無いぞ! 無いのだ!!」

 虎は気恥ずかしくなり、足に力を込めて速度を速める。少女が後頭部に顔を押しつけており、温度を感じる。

 そのまま二人で無言で走り続けると、

 ――あ。あれ……

 「む?」

 二人の目線の先には世界を見渡すには充分な時計台があった。


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