理と小春
ある小さな村の西のはずれに理と呼ばれる男が居た。理はそれはそれは目立たぬ男で、十数頭の羊を飼い、伸びてきたその羊の毛を刈っては問屋に卸し、また家の裏でくるみの木を何本も育て、それを採取し生計を立てていた。
理の妻は小春と言って、これもまた目立たぬ地味な女であったが、二人は仲睦まじく細々と暮らしていた。しかし、村の者たちはこの夫婦のことをいつも忌み嫌っていた。
「わひゃ~!西の魔女が出たで!!あっちいけ~!!」
小春はいつもその地味な風貌を種に、罵倒され、子供たちから石を投げられたりもした。そのたびに、村の大人たちは子供たちを叱ったが、誰一人として小春に謝る者はいなかった。
ある日、村で病が流行ったことがあった。体中に発疹が出て、のたうち回るような痛みに襲われて、村人が一人、また一人と死んでゆくという病だった。
その病の原因が小春にあるのだと当てつけたある大人たちが、理と小春の住む家に火をつけて焼き払うという計画を練った。だが、そこに居合わせた一人の男がこんなことを言った。
「わしは反対や。わしは理さんに借りがある。3年前、川の土手で転げて滝壺に落ちそうになったときに、助けてもらったんや。だから、そんなことしたらあかん。わしは反対するで。」
「あんたもまた分からん人やの。あの夫婦は村の疫病神よ。村の山の向こうには妖怪のすむ小さな村があると聞いとる。理は10年前、その村からやってきたんや。わしは知っとる、あいつが山から下りてくるとき、みたこともない皮の着物をきて、やってっきたことを。」
「そうだそうだ!あの夫婦がいるから村に災いがおきるんだ。あんな汚い小屋なんか焼き払っちまえ。」
「…。」
村人はそのように相談し、次の日の深夜、理と小春の住む家に火をつけることにした。次の日の昼ごろ、理がくるみを市場に売りにやってくると、火をつけると相談していた村人の一人とたまたま出会わせた。
「おぉ、こんにちは。理さん今日は晴れ渡って陽が昇ってますねん。まるで“火がつくかのような”暑さですのぉ。」
「…。どうも、こんにちは。今日は暑いですの。…くるみが仰山とれた。お幾らになるかな?」
「…、この重さやと、10銭くらいかの。」
「…。…うん、ありがとう。」
その日の夜、理と小春はこんな話をしていた。
「春、今晩は寝るな。」
「…どうして、また急にそんなことを。」
「…。いいから、寝るんじゃないぞ。」
そして、理は玄関の前にあぐらをかいて座った。その深夜、村人二人が予定通り、理と小春の住む家へと向かった。
「へっへっへっ。やつらは今頃、寝ているんだろうな。油はちゃんと持ってきたか?」
「たんとありまっせ。へへへ…。」
二人は家の近くまで来ると、足音を忍ばせ、軒先にあった牧草に火をつけようとした。すると、家の戸が開き、理が出てきた。
「ん?…あっ。」
理は二人の前までやってくると、こう言った。
「どうもこんばんは。何をしておるのでしょうか?」
「…。…うるせぇ!この邪魔者め!!」
昼に市場で出会わせたあの男だった。そして、村人二人は別に用意していたこん棒で理を殴りつけた。理は何度もこん棒で殴られ、瀕死の重傷を負う。そして、小春がそこに出てきて叫んだ。
「あんた~!あんた~っ!!」
しかしその声は誰にも届かなかった。理と小春の住む家は、西のはずれにぽつんと佇んでいた家だったからである。
村人二人は容赦しなかった。理が生きていれば、悪い噂、いや事の真実を流されてしまうのではないかと恐れたからである。そして二人は、瀕死で気を失っている理を山のふもとにある川べりへ運んだ。小春は二人の男を追いかけたが、小春もまたこん棒で殴られ気を失って家から離れたところで倒れていた。
男二人は理を抱え川べりにつくと、そこで正気に戻ってきた。
「とんでもないことしちまったでねぇか。」
「あぁ、あぁ、早くこいつを滝壷に落として、捨ててしまわな!」
二人は理をもう一度担ぐと、月明かりの下、滝壷の前までやってきて理を投げ落としてしまった。
「…しらねしらね、俺もうしらね。」
「…あぁあぁあぁ、逃げるぞ!」
男二人は月夜の晩、理を、こん棒も捨てて、走って逃げてゆく。小春は気を失ったまま、外に倒れたままだった。
次の日、小春の倒れているところにある男がやってきた。
「大丈夫かぁっ!?大丈夫かぁっ!?」
小春はその男に抱えられて、小春の家の中へ運びこまれて手当を受け、目を覚ますとこう言った。
「…理さん。」
「わしは理さんに借りのあるものですわ。…理さんはどした!?」
「…理さん!理さん!!理さんは…あぁああぁぁああぁあぁぁ…。」
小春は泣き叫んだ。男は知っていた。男は本当のことを知っていた。この男は小春と理の家に火をつけると相談していた中に居た、あの男だったからである。
「わしが探してくる。あんたはここに居れ。」
「あたいも行く。あたいも…。」
「あんたは行くな。家の裏に隠れておれ!!」
男は小春を抱え、家の裏の牧草の上に横たわらせると、あの滝壷へ走って向かった。
川べりを辿って滝壷へ着いたが、そこには理の姿はなかった。
「理っさぁん…。」
男は理をその後も探しつづけたが、一向に見つかることはなく、諦めるしかなかった。
その日も村には疫病が流行りは陰ることなく、むしろ病は猛威を振るい、多くの子供や老人が毎日一人、また一人と亡くなっていった。
火をつけ損ね、理を滝壷に落とした男二人は小春がまだ生きているのではないかと、家の前までやってこようと思ったが、顔を見られるのを恐れて、別の若い者を家へ向かわせた。しかし小春は若い者に見つかることはなかった。男が再び、小春と理の家にやってくると家の裏で護身用に持っていた短刀を首に突き付け、小春は自害していた。
こうして、理と小春の夫婦は家だけを残して、二人ともこの世を去った。理の遺体は滝壷から上がることはなく、小春はあの日あの男に滝壷の近くの土手に葬られた。男は何度も何度も謝りながら、小春の遺体を土手に埋めた。
その後、村の人口は病がその後も猛威を振るい半減したが、100年後にはまた人口の増加が見られ、一周り大きな街へと変わっていったのである。
そして、そこに理と小春のような夫婦が再び暮らしていた…。時は昭和の終わりの頃だった。
2話目は近いうちに投稿します。