side /ユイ(9)
朝、待ち合わせに現れたハタノは明らかに疲れていた。
「もしかして、仕事忙しかった?」
「なんだか無茶言う施主でさー、昨日の夜中まで」
「別に無理しなくて良かったのに」
そう言うと、ハタノはユイの頭を軽く叩いた。
「お忙しいユイ様のお時間を割いていただきましたからね」
酒が入ると感情のコントロールが難しくなるから、昼間ならと答えた。
それでは、と他のプランを提案されて、ユイは嬉しかった。
素直に態度に出すには抵抗がありすぎるのだが。
電車の中に並んで立ち、思いついたようにハタノが振ってきた話題に答える。
「手話って、なんのための勉強?」
「うちの会社、医療機器販売じゃない?今度、自立支援に特化したショールームつくるの。あたし、そこに異動希望出してるから」
ん?とハタノは意外そうな顔をした。
「おまえ、なんでそっちに興味があるわけ?福祉大じゃないよな」
「なに?その限定された想像力!ちゃんと、きっかけくらいはあるんだけど」
「じゃ、そのきっかけってのは何?」
ユイは少し考えて、なるべく簡潔になるように答えた。
「大学の友達に一下肢麻痺、つまり片足が不自由な人がいたわけ。普段はあんまりハンディ感じないで付き合ってたんだけど、立ち上がるのとか階段が難儀そうでね、遠慮しないで手を貸してって言えばいいのに、言ってくれなくて」
「仲が良かったわけだ」
これには、微妙な笑みでごまかす。言わなくていい。
「それで、相手が負担にならない手の貸し方を、ユイさんは考えました。それの延長です。おしまい」
話をやや強引にぶった切る。余計なこと、言いそう。
余計なことというのは、つまりその「友達」が男でユイの「ハジメテ」の相手だったこと。
実際、装具をはずした彼の足は、言葉をなくす程に細く頼りなかった。
悪い思い出ではなく、真面目な恋愛の話だとは思っているが、これをハタノに教える必要はない。
多分、ハタノにだって、あたしに話したことのない話はたくさんある。
たくさんあることに気がつかないほど、近くにいただけ。
「案外とお互いのこと知らないもんだな。もっとそういう話しときゃ良かった」
ハタノに笑いかけられて、言葉に詰まった。
やだ、こんなこと言われて嬉しいなんて、静まれ心臓!
あたしったら本当に、片思い中の高校生みたいになってない?
すこし無口になったユイとまだ寝不足顔のハタノは、揃って電車を降りた。