水鏡 栄華の刻 終刻へ
蓬莱より出し龍の跨ぐ門前に、水鏡の上を歩む渦が自我を映した。彼は真似をしている。その姿は力を歪曲させ、上手く円にしたのだ。彼の持つ水晶は門前の龍さえ、跨ぐ以前の自分だということを気づかせぬようなリフレインに陥ってしまうような、不思議な連鎖が彼を呼ぶ。そして、小さく萎むは血脈と繋がり、根を張るように泡同士を照らした。
蓮の葉似た怪物が蔓延る水鏡での雫が落ちた瞬間の一コマだ。
蒼き瞳に、多くの止水に堕ちた骸が靡き、落とされてゆく、彼等は多種多様故、混ざり合い、蒼き瞳を濁らせる。彼等は止水に様々な他の骸の内部存在を引き寄せ、蒼き瞳を曇らせる。
「おお、栄華の刻の主よ、修行の道か?」
「ああ、私は瞳の主だ。可笑しな骸を生み出す障壁を私が保ち、学び、私が蒼き瞳に真の光を灯す。何故なら、この骸に再臨してほしいからだ。」
「おお、栄華の刻よ、消え行かないでくれ」
外部の骸の内部生物は様々な外見をしていた。全ては骸が、水鏡が、万物が仰せが為の再臨を…
「蒼き瞳は真っ暗闇で全ての鏡として写しだされる。」
最も、この水鏡で影響力がない、仙人である彼はとある惑星を多くの網目で覆われた現実を全て、正確に観ていた。
深い闇とはリフレインを繰り返しても、再びそれが覆い尽くされたように観測できる可能性もある
水鏡が如く見えるこの地点の表面を畝りが重なり、その下の仙人が焦点を当てる蒼き瞳に囚われた3人の守護者の一人、その従者がとある発見をした。それは「水鏡が複数の出口を内包している」という奇妙な発見だ。彼等は蒼き瞳に降りたった光を観測したが、それは止水の天井にある光に届かない蒼き瞳の真下に消えていった。それから、彼等はその、光を消えさせた黒き光を「炎」と呼ぶ。何故なら、光は消えたが、色彩が残像のような、淡く燻んだ色が、まだ彼等に姿を覗かせては、遊星が如く、存在しているからだ。彼等は翼を折り畳み、止水の深くへ潜ろうと踠くが、それは同時に、天井の水面を忘れて、真の存在意義とでも言えるような答えを発した旅の始まりを忘れることになる。深淵に光る炎を探求しようとする姿勢に、仙人は微笑む。
蒼き瞳に降りたった、守護者の兵は大きく煌めいていた。彼の交渉術は蒼き瞳に貢献したと讃えられるに値するだけの価値があるだろう。その讃歌の声の一つに仙人の言葉がある。
「彼は世界を進め、自由という概念を混沌から抽出した」
彼を外輪の眼で観測する。それは仙人の意志だ。大きく畝る蒼き瞳の大地に振りたつ守護者の姿が彼の闘志を表す。彼の蒼き瞳への忠誠は大きい。
「尖兵でもやれることはある。」
それは1つのアンチテーゼだった。
「我々には戦う意志はない。手段を選ばないだけだ。」
大きな二つの畝りは呼応するが、尖兵は異形の存在である他の骸からの来訪者への理解を試みる。それは鉄槌を下す為だ。その尖兵は、「その大きな畝りの骸」に挑む。
「我、思う故にあなた方は私の一部になるだろう」
「拒否」
彼等の戦闘は始まった。
翼を大きく広げ、尖兵はフィールドを掌握していく。彼の骸の解析をする為の根のような…としか表現できないが、彼等の戦闘に銃はない。何故なら、止水の表面近くで存在している為、永遠に近い。短く比喩にして彼等の戦闘を表現するならすれば、お互いのどちらかが、拘束、支配、掌握すれば価値なのだ。いえ、誤字だ。勝ちだ。畝りは血脈のような根を張る。これは蒼き瞳に同化する根ざす。という強い意思表示と掌握されない為の相手への否定だ。反対色は赤と青であり、彼等はそこに対比をぶつけ合う。
畝りは言う
「我らこそは地にひれ伏し、御霊と投影する全てを虚飾と化する真実を突きつける。それはあなたにとって毒だろう」
「……!」
守護者の尖兵は憤り、対話を拒否したように、それでいて、孔雀のように、翼を伸ばすのみである。「我らは阻害され、非に追いやられ、車輪が回るが如く旅をして、この場を多くの同胞のために捧げようと努力している」
二つの畝りは血脈から植物の種のような、はたまた異形のオクトパスのようなものの卵のような?存在を蒼き瞳の養分から次々に生み出した。
「彼等は我が同胞なれば、あなた方の羽さえも同胞なれ」
我が同胞を喰らいし悪よ。我が祈りはその物達の貴方による支配でも構わない。しかし、私の意志を継がぬ俗物に用はない。とどのつまり、我は貴方による支配を実行されようとしている事を私は理解している」
この言葉は場を荒らされている人ならざる神々しい光を纏った異界の存在が自分の領土を守る為に放った一言だ。彼は自領の民と異形の大きな畝りに囚われる同胞を守ろうと自らの翼を広げて、場を掌握しようとしている。彼の同胞は大きな畝りによって生み出された血脈の樹に同胞を取り込まれ、彼等のシュシを帯びている。
「我が子が大切に思わぬか?」
畝りは蒼き瞳が大地に鎮座し、尖兵は多く飲まれ、シュシにされる。
「我が子と思えぬ存在を我が子と思えぬ」
勢い増す降りたった尖兵は槍を見せる。彼は自身の翼で編んだ槍を取り出した。
「それはなんだ?我が車輪に棘は必要ない」
彼等に槍という概念は無い。何故なら包丁を彼等の世界で使ったとて、渦になり、無意味だからだ。
「放つ」
降りたった尖兵はそれを大きな渦に放った。それは車輪の力浮上者に彼等、放った主人の同胞が放たれた。血脈の樹にそれは着地し、同胞は屈強なまでに、大きな渦を止める。まるで、止水だ。
翼によって生み出された「異形」が彼の骸の解析にかかる。それが降りたった尖兵の戦略だ。彼は偽装を、虚飾を蒼き瞳に映る形で、「車輪の力浮上者」に命中させた。
彼等によって、ネツリキが彼等の行動原理として利用されていると解析が終わり、場の血脈が凍るように、凝固するが、氷ではなく、岩になった。彼等は既に、降りたった尖兵の戦略に陥落した。
「毒こそは我が瞳に止水の天井からこの虚飾の永劫から我々は貴方を彩る準備ができている。」
と勝利の原初的な喜びを降りたった尖兵は噛み締めた。
栄華の刻も終わりへ近づく。水鏡の天井は上へと埋もれてしまった。まるで北極星のようだと、未来の下にいる自分が頷くと分かる。
尖兵である下々の守護者の様子を見ていた3人の最も水鏡の上での存在濃度が高い守護者は、哀れみ、嘆く。それは尖兵が初めて、拘束や支配の到達点へと至り、彼女は初めて、「物」となった。鉱物だ。彼等はそれを初めて目にしたのだ。何故ならもう既に、止水の天井の水面からは遠く離れてしまい、形を保てない者が守護者の尖兵を始め多くの「犠牲」が出てしまった。それは先日の大きな蒼き瞳、その大地を穿つ何者か知れぬ赤い血脈の「車輪の力浮上者」のおかげで、止水の深淵へと落ちる速度が増したからだ。彼は緑色の葉と多くの異形を今も尚、取り込み続けている。
そこで、守護者である3人は、尖兵の保護と深淵への開拓の為、1つの蒼き瞳を「車輪の力浮上者」に託し、降下する蒼き瞳と、上へと留まり、帰りを待つ蒼き瞳へと分断して、この止水の水圧とでも言おうか分からない重みに抗うことにした。
そこで、彼等は「車輪の力浮上者」と「降りたった尖兵による骸の核」、「1つの蒼き瞳」
これらを深淵へと落としながら、彼等を見守るための浮力を保つ装置を開発した。3守護者の中でも役割が決まっており、
帰路を忘れぬ為の「名付け」
守護者と骸の核の「補完」
未来を予測し、最適な守護者と従者の為の「灯台」
これらが彼等の行動原理であり、これらで運用していた。赤き「車輪の力浮上者」に瞳を模倣させ、もう一つの異形の骸で満ちた「惑星」を彼等はテラフォーミングしながら、深淵の底を観測する。
何故なら、3人の守護者はその下の止水の密度に耐えきれないからだ。
彼等はそれらの意味と力を自らの祖である「蒼き瞳の骸」から与えられていた。
赤き血脈が如く異形の「車輪の力浮上者」と同化が進んだ降りたった尖兵により、血脈は冷え、緑地となり、文明が今にも誕生しそうな大きな森が異形を包む。彼等はそこに同胞の中でも止水の深淵から帰還する最中に知り合った、ある異形の骸から再臨に成功したと思われる純度の極めて高い存在の協力を得て、その協力者に名を与え、「異形の他の骸の集積による進化した再臨」を命じる
名を「アムル」と名付け、もう一つの祖「蒼き瞳」へと舞い降りる。
彼の姿は「人間」と大差がない姿をしており、白髪の筋骨隆々な腕と足の比率が合わず、腕が大きい容姿端麗な光衣を背後に纏っているような存在だ。白髪と言っても、髪ではなく、光である。アムルは一言放つ。それは
「補完こそ、要だ。彼等にその鎖を編んでもらう」
多くの従者を連れて、彼「アムル」は深淵へと旅立つ。彼は従者を包み込み、存在を「アムル」に繋ぐ「勇者」と補完へと役割を持つ道を繋ぐ「開拓者」に分かれて、蒼き瞳へと降りる。「勇者」は「開拓者」を召喚し、蒼き瞳の異形の骸を支配下に置くのだ。「開拓者」とは名ばかりだが、止水の圧に耐えられなかった従者や守護者の残りをかき集めた装置だ。「勇者」は純度の高い骸の力を少し宿した存在だ。
「我が子よ」
と引き連れている全ての者に返事を求めず、アムルは労う。
開幕だ。
雅だ、奉られたろうが、人々の欲、蓬莱とて、連写される一つの絵巻にすぎない。我時代、超えし越境の古人、蓬莱とは自然にできる。自然人は我ら三人である、古人に移されて、映されて、写されて、作られる。これ即ち、必然の波。幻想は真実の止水への一歩だ。蓬莱は揺れ動き、大きも小さきも全てを薙いだ先の景色の凪だ。
「何を大切にするか?」
彼に問おう。雫の落ちた。水鏡の変化に直接。
「我々は我々であり、「何を大切にするか?」が名前であるが故に「何を大切にするか?」を大切にします」
と無し人は申しておる。このリフレインは常に続く円観。結局何も変わりはせぬ。我ら目指す至高に程遠く、これは旅路が長くなる。全て回るまでどのくらいかかろうかて?
仙人はあらゆる波を用いて旅をすることを決意した。波とは、水鏡にて映る創造物の全てだ。
雅だ、奉られたろうが、人々の欲、蓬莱とて、連写される一つの絵巻にすぎない。我時代、超えし越境の古人、蓬莱とは自然にできる。自然人は我ら三人である、古人に移されて、映されて、写されて、作られる。これ即ち、必然の波。幻想は真実の止水への一歩だ。蓬莱は揺れ動き、大きも小さきも全てを薙いだ先の景色の凪だ。
「何を大切にするか?」
彼に問おう。雫の落ちた。水鏡の変化に直接。
「我々は我々であり、「何を大切にするか?」が名前であるが故に「何を大切にするか?」を大切にします」 を実行します。」
と無し人は申しておる。このリフレインは常に続く円観。結局何も変わりはせぬ。我ら目指す至高に程遠く、これは旅路が長くなる。全て回るまでどのくらいかかろうかて?
仙人はあらゆる波を用いて旅をすることを決意した。波とは、水鏡にて映る創造物の全てだ。




