その鑑定結果、無断開示につき ~女冒険者の身体情報を売るS級鑑定士を、ギルド記録係が「情報管理令」で終わらせました~
「――お願いします。あの人を、止めてください」
ギルド受付の窓口で、少女は震えていた。
新人冒険者のリーネ。登録してまだ二ヶ月。日に焼けた頬に、涙の筋が光っている。
彼女の訴えを聞いていたのは、受付の隣にある記録室の窓越しに書類を整理していたレクトだけだった。
受付嬢は困った顔で言った。
「あの……それは、ギルドの管轄ではないかと」
「でも、ギルドで鑑定を受けた後から始まったんです。誰かが私のことを――体のことを、全部知ってるんです」
リーネの声が裏返った。
宿に届く差出人不明の手紙。体質、魔力適性、果ては身体的な特徴まで、鑑定でしか分からない情報が事細かに記されていた。街を歩けば、見知らぬ男たちの視線を感じる。酒場では、あからさまに値踏みするような目を向けられた。
「S級鑑定士のアルゴス様に鑑定していただいた翌日から、急に――」
受付嬢の表情が変わった。一瞬、同情が浮かんだが、すぐに何かを飲み込むような顔になる。
「……アルゴス様は、ギルドの功労者です。そのような疑いは、証拠がなければ」
「証拠って、どうすれば――」
「申し訳ありません。受付では対応しかねます」
窓口が閉じられた。
リーネが立ち尽くしたまま、声を殺して泣いていた。
レクトは羽根ペンを置いた。
◇
ギルドの記録室は、建物の端にある日の当たらない小部屋だ。
レクトは記録係として八年ここにいる。仕事は、討伐報告の転記、依頼達成の記録、素材取引の台帳管理。地味で、誰にも感謝されない仕事だった。
スキルは『記録』。見たもの、聞いたもの、触れた文書の内容を、正確に記憶し、任意に呼び出せる。ただそれだけ。
剣は振れない。魔法は使えない。鑑定もできない。
冒険者になれなかった男が、ギルドの片隅で紙と数字を相手にしている。同僚からは「書架の虫」と呼ばれていた。
――お前には関係ないだろう。
何度言われたか分からない。
記録の矛盾に気づいて報告しても、上は動かない。素材の数が合わないと指摘すれば、「細かいやつだな」と嫌な顔をされた。
正しいことを正しいと言っただけなのに、面倒な人間だと思われる。八年間、ずっとそうだった。
でも。
レクトは記録室の扉を開けて、廊下に出た。
リーネはまだそこにいた。壁に背を預けて、膝を抱えていた。
「――少し、話を聞かせてもらえますか」
少女が顔を上げた。
「記録係の……?」
「レクトです。力になれるか分かりませんが、あなたが鑑定を受けた日時と、届いた手紙の内容を、正確に教えてください」
リーネは戸惑いながらも、ぽつぽつと語り始めた。
レクトの『記録』が、そのすべてを刻んでいく。
◇
三日かけて、レクトは記録室にある過去五年分の台帳を洗い直した。
鑑定業務は本来、結果を本人に口頭で伝え、書面が必要な場合は本人の署名をもって発行する。鑑定士が結果を控えることは認められていない――はずだった。
だが記録を精査すると、不自然な傾向が浮かんだ。
S級鑑定士アルゴスが担当した女性冒険者のうち、鑑定後に突然ギルドを退会した者が十七人。冒険者を続けている者の中にも、等級を落として目立たない依頼ばかり受けるようになった者が複数いた。
レクトは退会者の記録を一件ずつ追った。住所変更が不自然に多い。短期間で宿を転々としている者もいる。逃げている、とレクトには読めた。
四日目の夜。
レクトはギルドマスターのベルクの部屋を訪ねた。
「鑑定業務に関する記録の異常について、報告があります」
ベルクは白髪混じりの壮年で、元は一線級の冒険者だった。分厚い腕を組んで、レクトの報告を聞いた。
「……言いたいことは分かった。だがレクト、お前は記録係だ」
「はい」
「記録係の仕事は、記録を取ることだ。捜査じゃない」
「承知しています。ですが、この記録の異常を報告することは、記録係の職務の範囲です」
「アルゴスはS級だぞ。ギルドの収益の二割はあいつの鑑定料だ。疑いをかけるなら、記録の矛盾だけじゃ足りん」
ベルクの目は冷たくはなかった。ただ、動けないという顔をしていた。
「物証を持ってこい。そうすれば、俺も動ける」
◇
物証。それはつまり、アルゴスが鑑定結果を第三者に渡している現場か、渡された側の証言を意味する。
レクトにできることは限られている。剣も魔法もない。あるのは『記録』だけだ。
だが、『記録』には一つだけ、誰も注目しない特性があった。
――記録した情報を、原本と照合できること。
改竄があれば分かる。追記があれば分かる。いつ、誰が、何を書き換えたかが、レクトの目には見える。
レクトはまず、鑑定室の使用記録を調べた。アルゴスが鑑定を行った日時と、鑑定室の施錠記録。照合すると、アルゴスは鑑定終了後も三十分から一時間、鑑定室に残っていることが常態化していた。
公式の記録には「鑑定後の清掃および準備」とあるが、清掃係の出入り記録と重なっていない。つまり、鑑定室に一人で残っている。
次に、ギルド出入り口の通行記録。
アルゴスが鑑定室に残っている時間帯に、ギルドの裏口を使って出入りしている人物がいた。貴族の使用人や、情報屋として知られる男の名前が並んでいる。
レクトは通行記録の原本を『記録』で読み取った。
二箇所、日付が書き換えられていた。
改竄の痕跡。
そしてもう一つ。
レクトはリーネに届いた手紙の内容と、アルゴスの鑑定報告書の書式を照合した。
手紙に記された身体情報の記述順序が、アルゴスの鑑定書式と完全に一致していた。他の鑑定士とは項目の並びが異なる、アルゴス独自の書式だ。
五日目の朝。
レクトは記録室の机の上に、すべてを並べた。
通行記録の改竄箇所。鑑定室の不審な使用時間。退会者の不自然な行動パターン。手紙と鑑定書式の一致。
そして、リーネの証言。
ベルクの前に、それを差し出した。
「物証です。記録係の職務範囲で得られたものだけで構成しています」
ベルクは一枚ずつ読んだ。読み終えるまで、一言も発しなかった。
最後の一枚を置いたとき、ベルクは目を閉じた。
「……八年だな」
「は?」
「お前がここにいるの、八年だろう。その間ずっと、こういうことに気づいてたのか」
レクトは少し黙った。
「……気づいても、誰も聞いてくれませんでした」
ベルクが立ち上がった。
「今日は聞く。——アルゴスを呼べ」
◇
ギルドの大広間に、主要な職員と数名の冒険者が集められた。
アルゴスは悠然と現れた。銀の長髪に、高価な鑑定用の片眼鏡。S級の鑑定士にふさわしい風格を纏っている。
「何の騒ぎだ、ベルク。俺は午後に鑑定の予約が入っている」
ベルクは答えず、レクトに目配せをした。
レクトは前に出た。広間に集まった視線が、記録係の地味な男に集中する。誰かが「書架の虫じゃないか」と小声で言った。
「アルゴス殿。鑑定業務に関して、いくつか記録上の確認をさせてください」
アルゴスは鼻で笑った。
「記録係が俺に何の用だ」
「鑑定結果の取り扱いについてです。ギルド規定では、鑑定結果は被鑑定者本人にのみ開示されるものとされています。鑑定士がその情報を控えること、ましてや第三者に提供することは認められていません」
「当然だ。俺がそんなことをしていると?」
「記録がそう示しています」
レクトは、淡々と証拠を読み上げた。
通行記録の改竄。鑑定室の不審な滞在時間。鑑定後に退会した女性冒険者たちの異常な行動パターン。そして、被害者に届いた手紙の書式がアルゴスの鑑定書式と一致すること。
広間が静まり返った。
アルゴスの表情が、初めて変わった。
「……でたらめだ。記録係ごときが、S級鑑定士に言いがかりをつけるのか」
「記録は言いがかりをつけません。記録は、事実を記録するだけです」
アルゴスが一歩詰め寄った。身長差で頭一つ分、アルゴスの方が大きい。
「お前のその『記録』とかいうスキル——鑑定にも戦闘にも使えない、ゴミみたいなスキルで俺を陥れようってのか」
レクトは退かなかった。
「このスキルにできるのは、事実を正確に記録し、改竄を見抜くことだけです。ですが、それだけで十分でした」
広間の隅で、リーネが拳を握りしめていた。隣には、レクトが記録を辿る中で連絡を取った元冒険者の女性が二人、証言のために来てくれていた。
ベルクが立ち上がった。
「アルゴス。お前の鑑定士資格を一時停止する。調査の結果次第では、永久剥奪と損害賠償の手続きに入る」
「ふざけるな! 俺がいなくなったら、このギルドの鑑定業務は——」
「回る。お前の代わりはいないが、お前に踏みにじられた人間の尊厳も代わりがない」
アルゴスの顔から血の気が引いた。
ベルクは広間の全員に向かって、もう一つ告げた。
「本日付で、ギルドに新たな規則を設ける。——鑑定によって取得された個人の身体情報、能力情報、その他一切の情報は、被鑑定者本人の明示的な同意なく、いかなる第三者にも開示・提供・売却してはならない。違反した者は、等級を問わず資格を剥奪する」
ベルクはレクトを見た。
「規則の名称は——『鑑定情報管理令』。起草者は、ギルド記録係レクト」
広間にざわめきが広がった。
アルゴスが何か叫んでいたが、レクトの耳にはもう入っていなかった。
◇
夕方の記録室に、西日が差し込んでいた。
いつもは日の当たらない部屋だが、季節が少しだけ傾いたのか、窓の端から橙色の光が机の上に届いていた。
扉を叩く音がした。
「失礼します」
リーネだった。手に、小さな花束を持っている。辺境で採れる、素朴な野の花だ。
「あの……これ、お礼です。高いものは買えなくて」
「いえ。——ありがとうございます」
レクトは花の置き場所に困って、インク壺の横に立てかけた。不格好だったが、リーネは笑った。泣いていない顔を見るのは初めてだった。
「レクトさんがいなかったら、私、冒険者を辞めてました。……街からも逃げてたと思います」
「記録を読んだだけです」
「でも、読んでくれたのは、レクトさんだけでした」
その言葉が、八年分の「お前には関係ない」を静かに溶かしていくのを、レクトは感じた。
リーネが帰った後、ベルクがふらりと現れた。
「よう、書架の虫」
「……その呼び方はやめてもらえますか」
「ああ、悪い。——今日からはちょっと格好つけて呼んでやるよ。うちの"情報管理官"殿、とでもな」
ベルクは記録室を見回した。
「この部屋、もう少し広いところに移すか。窓ももう一つ要るだろう」
「……記録係の部屋には、窓は一つで十分です」
「記録係じゃなくなるんだよ、お前は。規則を一つ作った人間は、もう"ただの記録係"じゃない」
ベルクは手を上げて去っていった。
レクトは一人になった記録室で、机の上の花を見た。
西日がもう少しだけ奥まで届いて、花びらの縁を光らせていた。
八年間、ずっと正しいと思うことを記録し続けた。
誰にも読まれない記録を、それでも残し続けた。
今日、初めて——読まれた。
レクトは新しい台帳を開いて、最初のページに書いた。
『鑑定情報管理令 施行日——』
記録は、事実を残すためにある。
そして事実は、いつか必ず、誰かを守るためにある。
記録室の窓から、夕暮れの街が見えた。
ギルドの掲示板には、さっき貼り出されたばかりの新しい規則が、風に少しだけ揺れていた。
(了)




