11話 Coda
千年――どれほど時が流れようと、胸の奥底に沈んだ憎悪も怒りも、決して消えることはなかった。
いや、魔王自身が消さぬようにしてきたのだ。
闇を糧とし、積み上げてきた力。
その頂に、ついに“上位存在”の影を捉えたと確信する。
魔王は立ち上がった。
時は満ちた。
号令と共に、魔物の群勢が地を揺らしながら前へ進む。
対するは人間、天使、妖精――長き平和のために築かれた連合軍。
しかし、その防壁は少しずつ、確実に押され始めていた。
群れの中央を、魔王はただひとり悠然と歩く。
漂う魔力だけで周囲の魔物が道を譲り、敵は触れる間もなく吹き飛んだ。
まっすぐに。迷うことなく。
その視線の先は神殿――転送装置のある場所だ。
やがて神殿前へと辿り着く。
天使と妖精たちが最後の砦として立ちはだかるが、魔王の前では防壁にもならない。
圧し掛かる闇の気配に耐え切れず、ひとり、またひとりと倒れていく。
そして――。
大扉が砕け散った。
轟音と共に黒い風が神殿内部を吹き抜け、積もった砂埃が舞う。
崩れた石片の向こう。
そこにいたのは、女神アリアと、たったひとりの妖精だけ。
魔王はゆっくりと歩みを止め、アリアへ視線を向けた。
胸の奥が、理由もなくざらつく。
(……似ている。
おそらく、あいつらの“意図”によるものだろう。
だが――だからどうした)
ほんの一瞬だけ揺れた思考を切り捨てる。
「転送装置は、この奥か?」
自分の声は静かだった。怒りも焦りもない。
必要なものへ手を伸ばすだけの、冷たく澄んだ感情。
「やっぱりあなたの狙いはアレだったのね。
でも、あなたが破壊しなくても勇者はもうこないわ」
強がりのようにも、諦めのようにも聞こえる。
(勇者…か)
わずかに胸の奥で何かが揺れたが、
それを感情と呼ぶのは違う。
ただ、はるか昔の記憶が一瞬だけ顔を出しただけだ。
「それは諜報より聞いている。
確かに……会ってみたかったものだ」
言ってみて、自分でも不思議だった。
勇者がどうこうではない。
ただ“確認”してみたかっただけなのだろう。
自分と同じ存在を。
「だが、それはもうどうでもいい。
俺は奴らの元に行ければいい」
「奴ら……? もしかして 上位存在 のこと!?
どうしてあなたが……!?」
アリアの驚愕が空気を震わせる。
「アリア様、何なのよ奴らって!?」
妖精の叫びは届かない。アリアの目は自分の一挙一動を逃すまいとしていた。
もう隠す必要もない。
ここまで来た以上、知ろうが知らまいが結末は変わらない。
「昔、一度会ったことがある。
俺がこの世界に転生した時、あいつらは言葉ではなく、
意志と力を俺の中に送り込んだ。
その中に……あいつらの記憶の欠片があった」
あれは意識が形になる前の出来事。
光とも闇ともつかない存在が、
自分を“選び”、この世界へ落とした。
「あなたが……転生者……!?
まさか――あなたが伝説の勇者……!?」
アリアの震えを前にしても、感情は動かない。
「記録に残らぬ元勇者、だ。
だが、それもどうでもいい。俺は転送装置に用がある。
俺の中にある上位存在の力と情報、
それに転送装置があれば……不可能ではない」
千年。
この瞬間のために、世界そのものがただの背景と化した。
「させないわ!!」
アリアが叫ぶ。
叫びの奥にあるものは恐怖か、それとも使命か。
「でもアリア様、こいつ、マジでやばいよ!?
もうあたしたち以外、戦える奴なんて……!」
妖精の声が空間を震わせる。
こちらから見れば、敵はもう残っていない。
視界に立つのは二つの光だけ。
だが、その光が消えたところで、自分の目的は揺らがない。
千年の果てにある一点へ。
ただ、それだけだ。
「エンフィー、戦うしかないの。お願い、力を貸して!」
「アリア様ぁぁ、あたし戦闘職じゃないのにぃぃ!」
……ああ、もうどうにでもなれ!!」
魔王が神殿の奥へ踏み込もうとした瞬間、アリアが光を放って飛び込んできた。
わずらわしい――そう思うより早く、
強烈な光刃が視界を裂く。
続いて妖精の小さな影が、勢いに任せて突っ込んでくる。
力はある。
覚悟もある。
だが――俺を止めるには、あまりにも足りない。
アリアの光は数合で鈍り、膝をついた。
妖精の攻撃も意外と正確だったが、俺の体に届く前に霧散させられる。
長くはかからなかった。
二人はまだ息がある。だが立つ力はもうない。
神殿には魔力の余波だけが静かに揺れていた。
あとは――とどめを刺すだけ。
俺は歩み寄り、崩れ落ちたアリアの前に影を落とす。
「終わりだ」
その瞬間。
世界が、白く弾けた。
残光が消えると、見知らぬ男がそこに立っていた。
なぜか胸の奥がざわつく。
あれが……勇者か。
“呼ばれてもいないのに現れた理由” は分からない。
だがその存在から、上位存在の干渉の臭いが濃厚に漂っていた。
こちらを理解しきれていない表情。
力など感じない。取るに足らぬ人間。
――ならば殺す価値もない。
だが、奴らを否定するためには必要な一手。
魔力を解き放つ。
神殿が震え、空間が歪むほどの全力の一撃。
本気で消し飛ばした。灰も残らぬはずだった。
だが。
煙の中から、あの男が平然と歩み出てきた。
無傷。
魔力反応はゼロ。
理解不能。
何かが狂っている。
奴らの干渉にしても、これは――異常だ。
そして男が拳を構えた瞬間、魔王の本能が警鐘を鳴らした。
(……来る)
“光” が世界を突き刺した。
神殿が震え、視界が光に呑まれる。
抗う間もなく、ただ強烈な奔流が身体を砕いていく。
――これが、勇者か……。
―――――
第11話を読んでいただきありがとうございます。
この先の展開も楽しんで頂ければ嬉しいです。
次回で最終話となります。第12話は12/29、13時に投稿予定です。




