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変節の宰相:馮道:8章:劉知遠時代②

〇老臣の視座――後漢という名の仮初めの夢


馮道ふう・どうかた後漢ごかんひかりかげ


はるわり。洛陽らくようそらに、うっすらとかすみがかかっていました。


馮道ふう・どうは、しずかな書斎しょさいおくたたずんで、まどそとをぼんやりとつめていました。としてなお、かれひとみにはたしかなひかり宿やどっています。しかし、そのひかりは、もはや「理想りそう」ではなく、「りすぎたもの諦観ていかん」にちかいものでした。


ふと、にしていた竹簡ちくかんつくえいて、ぽつりとひとごとのようにかたしました。


「……後漢こうかんというくには、つよきがゆえにはかなく、はかなきがゆえに残酷ざんこくくにであったな」


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劉知遠りゅう・ちえん後漢ごかん成立せいりつ


九四七年きゅうひゃくよんじゅうななねん太原たいげんにて。りょう軍勢ぐんぜい洛陽らくようから退しりぞいたすきい、劉知遠りゅう・ちえん皇帝こうていしょうしました。国号こくごうは「かん」。しかし、後漢ごかんしょうされたこの政権せいけんは、けっして「漢王朝かんおうちょう」の正統せいとうたるながれをいだものではありません。むしろ、沙陀さだぞくおこった、異質いしつ王朝おうちょうでした。


沙陀さだとは、もと西域さいいき胡人こじんよ。漢語かんご使つかい、れいまなび、衣冠いかんただすが、こころ奥底おくそこにはかぜうまけんにおいがこびりついておる」


そう、馮道ふう・どうかたります。


かれらは中原ちゅうげん文士ぶんしとうとぶ「れい」と「じん」の思想しそうよりも、ちから忠義ちゅうぎ、そしてをうかがうおもんじました。劉知遠りゅう・ちえんもまた、そうした気風きふう体現たいげんした人物じんぶつでした。


となえるより、使つかうことにけておる。だが、それを我々(われわれ)はただ『狡猾こうかつ』とはべまい。あれは……のこるためのすべだったのだ」


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わか皇帝こうてい郭威かく・い台頭たいとう


後漢ごかん政権せいけんは、劉知遠りゅう・ちえん死後しごかれ劉承祐りゅう・しょうゆうへとがれます。しかし、わか皇帝こうてい政治せいじさいよりも猜疑さいぎ激情げきじょうかかえていました。


その周囲しゅういいたのは、郭威かく・いという一人ひとり将軍しょうぐんです。


郭威かく・い……これまた胡人こじん猛者もさでありながら、じつ寡黙かもくおとこであった。ではなく、沈黙ちんもく節度せつどわたる。ひところさずしておそれさせる……あのおとここそ、後漢こうかんにあってもっとも『みかど』にちかおとこだったのかもしれぬ」


のちに、この郭威かく・いこそが「後周こうしゅう」をてることになるのですが、それはまださきはなしです。


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馮道ふう・どう後漢ごかんかんじた「しさ」


「……結局けっきょく後漢こうかんとはなんだったのか」


馮道ふう・どうは、おのれいかけるようにそういました。


それは漢人かんじん復興ふっこうだったのでしょうか。あるいは、沙陀さだ興亡こうぼう通過点つうかてんでしかなかったのでしょうか。もしくは、ただ一人ひとりおとこ――劉知遠りゅう・ちえんの、つかのゆめであったのでしょうか。


国家こっかとは、おうまるものではない。それをささえるもの姿すがたと、たみがどこをいているかでまる。そのてんにおいて、後漢こうかんは……おししいくにであったな」


そうして馮道ふう・どうがり、書架しょかから一冊いっさつ書物しょもつを手にりました。表紙ひょうしには「資治通鑑しじつがん」――まだ編纂途中へんさんごちゅう草案そうあんですが、かれおもいがめられています。


後漢ごかんという時代じだいもまた、いずれだれかのふでしるされ、過去かこになるでしょう。しかし、そこにきた人々(ひとびと)の記憶きおくと、たしかにあった想念そうねんだけは、かぜえることなく、かみうえのこっていくのです。




〇書に生き、書に仕え――老臣のもうひとつの顔


馮道ふう・どう木版印刷もくはんいんさつ


洛陽らくようあさは、静謐せいひつです。


城壁じょうへきこうにをやれば、まだきりのようなしろひかりまちつつんでいます。はやくから目覚めざめたものたちのこえきし車輪しゃりんおととおくにかすみ、かえってこの老臣ろうしん書斎しょさいにさらなるしずけさをもたらしていました。


馮道ふう・どうは、ふでやすめると、ふうといきをつきました。すみかおりが、ながめたこころをゆっくりときます。


わたくしはな、宰相さいしょうとしておおくの王朝おうちょうつかえ、おおくの変遷へんせんてまいった。が――」 かれは、だれかたるでもなく、かたはじめます。 「じつのところ、もっとながってきたのは、文字もじというやつかもしれん」


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乱世らんせにおける「しょちから


五代十国ごだいじゅっこくという時代じだいは、まさに乱世らんせにふさわ(ふさわ)しいものでした。とうほろび、後梁こうりょう後唐こうとう後晋こうしん、そして後漢こうかんと、政権せいけんは次々(つぎつぎ)にあらわれてはえました。馮道ふう・どうはそのすべてにつかえ、「奸臣かんしん」「老練ろうれん」「変節漢へんせつかん」と、さまざまにひょうされもしましたが――


かれむねに、ひそかにともっていたほのおがひとつだけありました。それが「しょちから」――すなわち、木版印刷もくはんいんさつによる経典きょうてん書籍しょせき普及ふきゅうです。


ひとは、刀剣とうけんくにてるとおもうておる。だが、ながくにささえるのは……しょよ。言葉ことばよ。思想しそうじゃ」


馮道ふう・どうは、はやくから木版もくはんによる印刷いんさつ技術ぎじゅつ着目ちゃくもくしていました。


それまでは、経典きょうてん史書ししょはもっぱら筆写ひっしゃたよっており、そのため非常ひじょう高価こうかで、かつ誤写ごしゃおおかったのです。しかし、板木はんぎ文字もじり、それをるという方法ほうほうにより、同一内容どういつないよう書物しょもつ大量たいりょうに、迅速じんそくに、そして廉価れんか供給きょうきゅうすることが可能かのうになりました。


「このいぼれが宰相さいしょうりておこなった唯一ゆいいつ善政ぜんせいがあるとすれば、それは、経書けいしょ史書ししょ版木はんぎきざませ、全国ぜんこくくばらせたことだろうな」


とりわけ馮道ふう・どうは、儒家じゅか経典きょうてんや『孝経こうきょう』、『論語ろんご』、『春秋しゅんじゅう』といった基礎的きそてき書物しょもつ刊行かんこうちかられました。また、過去かこ政権せいけん歴史れきし制度せいどかんするしょ、さらには民間みんかんでも理解りかいしやすい注釈書ちゅうしゃくしょえらばれ、庶民しょみんまなびにするよう配慮はいりょされました。


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ふでめられたおも


一巻いっかんしょが、ひゃくけんよりつよい」


老臣ろうしんくちからは、そんな言葉ことばがぽろりとこぼれます。そのこえは、まるで老木ろうぼくかぜにそよぐように、あわく、しかしふかひびきました。


いくさえぬにあって、しょあいし、らせ、のこそうとしたものがいました。その馮道ふう・どう――それは、政治家せいじかとしてよりも、むしろ文化人ぶんかじんとして記憶きおくされるべき人物じんぶつかもしれません。


今日きょうもまた、かれ私邸してい一隅いちぐうでは、られたばかりのあたらしい『孝経こうきょう』がかわきをっています。すみにおいが、しずかに、しずかに、あさ洛陽らくようかおっていました。




〇老臣、静かに筆を置く――馮道の余生


馮道ふう・どうかた乱世らんせ知恵ちえ


とき九四八年きゅうひゃくよんじゅうはちねん五代十国ごだいじゅっこく激動げきどう時代じだいも、ひとつの節目ふしめむかえようとしていました。


馮道ふう・どうは、もうすぐ七十ななじゅうこえ老齢ろうれいにありました。かつては幾多いくた王朝おうちょうわたあるき、政治せいじ最前線さいぜんせんさくこうじた名臣めいしんです。そのざま波乱はらんち、幾度いくどおどろかせましたが――いまかれかおにはおだやかなしわきざまれています。


「もう、わかくはないのだな……」


洛陽らくよう官舎かんしゃにて、馮道ふう・どうしずかにそうつぶやきました。高齢こうれいゆえにまつりごと一線いっせん退しりぞくこととなりましたが、かれ才覚さいかく経験けいけんしむものおおく、名誉職めいよしょくとして厚遇こうぐうされ、朝廷ちょうてい重鎮じゅうちんたちからも一目いちもくかれていました。


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きた歴史れきしとしての馮道ふう・どう


馮道ふう・どうつかえたのは、後晋こうしん後漢こうかん・そしてあらたにおこった後周こうしゅうという諸王朝しょおうちょうです。そのあいだ政権せいけんうごき、戦乱せんらんえませんでしたが、かれにはつね歴史れきしおもみがありました。そしていま――馮道ふう・どうきた歴史れきしそのものとして、政界せいかい知恵袋ちえぶくろ、いや、きた史料しりょうみなされていたのです。


わかものたちよ、はなしをよくけ」


かれ言葉ことばしずかにして力強ちからづよく、わか官吏かんりたちのみみふかとどきました。戦乱せんらんなみまれながらも、どうくにおさめるべきか。一朝一夕いっちょういっせきでは真理しんりを、かれおだやかにつたつづけました。


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乱世らんせわた老樹ろうじゅ


ながきにわたってくにてきたものは、とき重荷おもにかんじる。だが、その背負せおわねば、未来みらいえぬのだ」


馮道ふう・どう姿すがたは、まるで老樹ろうじゅのようでした。そのふか大地だいちめぐらされ、幾度いくどあらしいてきたあかしきざまれています。かつてのはげしい政治せいじ渦中かちゅうからははなれたものの、かれ存在そんざいわらず、朝廷ちょうてい精神的せいしんてき支柱しちゅうとなっていました。


洛陽らくようしずかな夕暮ゆうぐれ、馮道ふう・どう書斎しょさい窓辺まどべすわり、とお西にしそらながめます。しずみゆく太陽たいようは、かれあゆんだ波乱はらん時代じだいをそっとつつんでいました。


「これからも、わしのこえ必要ひつようとするものがいるかぎり、かたつづけよう……」


老臣ろうしんのそのひとみには、るぎなき覚悟かくご宿やどっていました。

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