ひきこもり (バージョン①)
儂は引きこもり生活を楽しんでいる齢70過ぎの爺。
引きこもりになったのには訳がある。
儂は病弱な母親と2人暮らしの貧困家庭で育つ。
だから小学生低学年の頃から新聞配達や、家が貧乏だと知っている近所の飲食店で皿洗いのアルバイトをさせてもらっていた。
その母親も儂が中学を卒業する間際に亡くなったので、中学卒業後は住み込みで働ける会社に就職する。
転機は就職してから5年後の20歳の時。
そのチャンスを見逃さず零細企業ではあったが創業する。
それから50年、少しずつ会社を大きくして来て今では業界最大手で日本有数の企業になった。
儂がトップで会社の舵取りをしていた時はワンマン経営だったが創業50年の節目に引退を決め、息子たちや儂が育てた部下たちに権限を委譲。
此れからはノンビリ、子供の頃読むことも所持することも出来なかった漫画を読んで過ごそうとした。
それが、お前たちに会社の舵取りは任せたという気持ちで権限を委譲したのに、ワンマン経営をしていたツケで何かある度に会長に据えた長男や社長を任せた部下がお伺いに来る。
まだお伺いに来る長男や社長は聞きたいことを聞いたら直ぐ帰るからまだ良い、面倒なのは副会長にした次男や副社長に据えた部下かご機嫌伺いに来る事。
初物のフルーツや珍しい菓子が手に入ったとそれらを手土産に持って来て、なんだかんだと儂の貴重な読書時間を浪費して行く。
お前らの魂胆は長男や社長の首を切り自分たちをあと釜につけてくれだろ、そんな根性だから権限が少ない副会長や副社長にしたんだ。
そんな事も分からん馬鹿どもにこれ以上貴重な読書時間を削られるのを嫌い、人里離れた山奥の山を買い取ってそこに引きこもりの為の家を建てて住んでいる。
家といっても小さな物では無く、鉄筋コンクリート造りの大きな屋敷。
と言うのは、ワンマン社長をしている時に知った秘書課の部下に漫画が大好きだと言う男がいて、今では秘書課の課長のこの男や彼の漫画仲間に頼んで集めた沢山の漫画本を収めてある書庫、此の沢山の漫画本を収めてある大きな書庫を屋敷の中に造ったら想定以上の大きな屋敷になってしまったのだ。
漫画本も少年漫画や青年漫画だけで無く、少女漫画や幼児向けの漫画も集めさせたからな。
山奥の此の屋敷に引っ越しする前日、権限は移譲したが権力は把握したままなので会社に行き、会長の長男や社長を任せている男に「これからは儂を頼らず自分たちだけで舵取りしろ」と発破を掛ける。
逆に貴重な読書時間を奪った次男や副社長に任命していた男には、「勤務時間を使って儂にご機嫌伺いに来るような怠け者を人の上に置いておく訳にはいかない、だからその職を返上しろ」と権限も責任も無い名前だけの課長に降格してきた。
此の屋敷にはヘリコプターでしか辿り着けない。
一番近い林道から20キロ以上離れているからだ。
そのヘリコプターが着陸するヘリポートも普段は偽装してあるので、連絡も寄越さずに来ても着陸出来ない。
屋敷から外出するのは1ヵ月に一度病院で精密検査を受ける時だけ。
外出する際に迎えに来るヘリコプターに食料や生活必需品、それに1ヵ月前の精密検査を受けたあと出版された漫画本が積み込まれて来る。
それらの荷物は屋敷で食事の支度や掃除洗濯などを行うアンドロイドたちが屋敷の中に運び込む。
アンドロイドは良いぞ、人間と違って余計な事は喋らないし気を使う必要もないからな。
書庫から持って来た漫画本数冊をソファーの前のテーブルに置き、ソファーに腰掛ける。
台風が近寄って来ているらしく、分厚い二重窓の外からカミナリの音と雨音が微かに聞こえていた。
テーブルの上には間食のフルーツやナッツが山盛りに盛られた皿が置かれ、アンドロイドの1体がポッドのコーヒーをマグカップに注いでくれる。
コーヒーを注いてくれたアンドロイドに「ありがとう」と声を掛けて、窓の外から微かに聞こえてくるカミナリと雨音をBGMに儂は漫画のページを捲った。