第24話 早速ギブアンドテイクなの?
「いやいやいやいや」
もぐもぐと咀嚼の合間に、ついそんな声が漏れる。
「どうしました、お冷ですか? さすがにいまはコーヒーじゃないって、僕も学習しました」
「おう、それはようござんした。そうじゃなくてさ」
「どうしました?」
「いや、あのさ。あ、おパさんごめん。半分――いや、三分の二くらいご飯もらえる?」
「はいはーい!」
にっこにこと空の茶碗を受け取って、もふもふと尻尾を振り、おパさんは炊飯器をかぱりと開けた。ほんとはね、土鍋で炊きたかったんだけど、ほら、葉月が何時に来るかとかぼくわかんなかったからさ、と言いながら。ちなみにそれを聞くのはかれこれ三度目だ。つまり、これは三度目のおかわりである。彼はおかわりをよそう度にこれを言うのだ。よほど土鍋で炊きたかったのだろう。
「いや、慶次郎さんさ」
「何でしょう」
「お冷か? おれの出番か?」
「違くて」
ずい、と背後から割り込んで来たのは純コさんだ。彼はあたしの後ろでお冷の入ったピッチャーを構え、周りの水滴をこまめに拭き拭きしながら待機してくれている。いや、置きなよ、重いから。
「いや、あのさ。このご飯めちゃくちゃ美味しいのに、何でもそもそ食べられるの、って不思議で仕方ないんだけど」
「えっ」
「一見ね? パっと見はあれよ? チェーン店の牛丼屋のさ、朝定食と変わらないよ? 内容的にはね? でもさ、クォリティが違うじゃん? こんなのホテルの三ツ星シェフのやつじゃん?」
「ホテルの三ツ星シェフが果たしてこんな庶民の朝ご飯を作るでしょうか」
「ものの例えだっつぅの」
ぴしゃりとそう言うと、慶次郎さんは「ひぃ」と小さく叫んだ。
わぁい、ぼくのご飯三ツ星シェフのだって~、と無邪気に笑うおパさんは今日も百点満点の可愛さだ。可愛いけど、少し黙ろうか。
「まずね、そういうところからなんじゃないの」
鰹節のかかったピーマンの煮浸しで、ほわほわと湯気の上る白米を一口。あたしの箸がピーマンを掴んだ時、彼の眉がほんの少し寄せられたのを見逃さなかった。ほらまた、とそこを指差す。
「好き嫌いがああだこうだとかでね、いちいちしょんぼりしてんのがまず駄目よ」
「えぇ?」
「もっとビシーッとしてなさいっつぅの。主人としての威厳が0だわ、そんなんじゃ。いい年した大人が、弱味握られてんじゃないよ全く」
そう指摘すると、「おや」と口を挟んできたのは、黙々と食器を洗っていた麦さんである。
「慶次郎、まだ私達を手懐けようとしていたのですか」
銀縁眼鏡をキラリと光らせ、横目で彼を見る。いや、手懐けようとって、それが本来の姿なんじゃないの? 知らんけどさ。
「それは……もちろん。だって、君達は僕の式神なんだから」
背中を丸め、口を尖らせてぽつりと言う様は、『千年ぶりに現れた安倍晴明レベルの陰陽師』感の欠片もない。少なくとも、あたしの知ってる『安倍晴明(といっても漫画とか映画で見たやつ)』はこんな感じじゃない。何かもっと堂々としてて、飄々としてて、ミステリアスで素敵だったのだ。
「まぁ、せいぜい頑張ってくださいね」
さらりと返されてしまい、慶次郎さんはやはりぼそっと「言われなくても」と呟いた。ああもうどっちが主なんだか。
「さて」
腹も膨れたところで。
いやもうマジで膨れすぎちゃって、ちょっと休憩。
今日の目的は、今後の打ち合わせというか作戦会議なのである。
この『安倍晴明要素0』のヘタレ陰陽師の自信を何とか取り戻して(いや、『取り戻す』ってことは、元々はあった、ってことになるんだけど大丈夫か?)、それであたしの恋の方も成就させてもらわないといけないのだ。
座敷の方に足を投げ出して座り、ふぅ、と一息ついていると、慶次郎さんは、すそそ、と畳の上を滑るようにしてあたしの隣に座った。こういう所作だけは抜群にそれっぽい。そして、手をついて言うのである。
「何卒、ご指導ご鞭撻のほどを」
「いや、ご指導もご鞭撻もないって。あたしに陰陽師の何たるかなんて語れるわけないじゃん」
「いいえ。僕がはっちゃんに求めているのはそこではありません」
「じゃ、何」
「さっきのようなことです」
「さっきの――ああ、はいはい」
「まずは食べ物の好き嫌いからなくしていこうかと、決意致しました」
「お、おう、頑張れ」
うわ――……道のり険しそ――……。そこからなんだ――……。
「つきましては」
「ん? 何?」
「僕に一つ『気付き』を与えてくださった、ということで、そのお返しをさせていただきたく」
「固いなあ。まぁ良いけど。でも、お返しって何?」
そう言うと、まずは――、と言って、着物の袂の中に手を入れた。ごそ、と取り出したのは、お守りである。袋の色は白だ。
「お守りじゃん」
「そうです。我が『土御門神社』の誇る、最強のアイテム(千円、送料別)です」
「最強のアイテムって」
いや、ただのお守りじゃん? しかも厄除けの。縁結びじゃないの、この場合!?
まぁピンクじゃないだけまだ良いけどさぁ。
「侮るなかれ」
「いや、侮ってはいないけど」
「これはですね、はっちゃんのために作った特別製なんです」
「ほぉ?」
「ここに並べるお守りというのは、基本的に個人に向けて作るわけではありません。もちろん、個別注文されれば別ですが」
「まぁ、お守りってそういうものよねぇ」
「ですが、これははっちゃんのためだけに作ったものです。僕はあの三人を手懐けることも出来ない駄目陰陽師ですけど、これに関しては一流です。そこだけは胸を張って言います」
「そこだけ胸を張んなや。でもありがと」
ありがたく受け取ったは良いけれど、お守りなんて受験の時に買ったくらい(しかもソッコーでなくし、後日なぜか母さんの鞄の中から発見された)だからなぁ。どこにつけりゃ良いんだろ。
「これってさ、やっぱり肌身離さず持ってた方が良い感じ?」
「出来れば、そうですね。いつも持ち歩くものにつけていただけると」
「ううん、そう言われるとなぁ。財布もスマホもたまに忘れちゃうし……」
どうすっかなぁ、と首を傾げていると――、
「紐を長くして、首から下げたら良いんじゃん?」
そんな声が頭上から振ってきた。
「おわぁ! 出たな、わいせつ神主!」
気配もなく現れたのは歓太郎さんである。
「ちょっと、わいせつ神主って酷くない? 俺まだわいせつなことしてないじゃん。せめて一回くらい何かしてからその称号を賜りたいもんだなぁ」
「一回でも何かしてみろ。ガチでポリスマン呼ぶからな」
「あっはっは、この空間は治外法権なのだ! 慶次郎、結界は張ってあるな?」
あーははは、わいせつし放題~、などとあざといキメ顔と共にとんでもないことを叫んで万歳している兄を、慶次郎さんは思い切り冷めた目で睨みつけた。おう、その調子だ。
「結界なんて張ってないよ」
「うえ? 何で?」
「何でって言われても。張る必要なんてないじゃないか」
そうだそうだ、言ってやれ! そんで良きところでこいつを警察に突き出せ!
「マジかよぉ。そんじゃあちょっとシャキッとしないと駄目じゃん~」
「いや、マジで神主なら結界云々関係なしにシャキッとしようや」
「何だよぉ、今日のはっちゃんも辛辣ぅ~」
ちぇー、と口を尖らせたものの、彼は、まぁ良いや、と膝を打ち、「おパ、ご飯俺の分もある?」と立ち上がった。今日も彼は白い着物に紫の袴の神主スタイルである。すらりと伸びた背筋は正直ちょっと見とれるくらいに美しいんだけど――、
はいはい、今日のピンはウサギなのね。あー、可愛い可愛い。こっち見てアピールしてくんな、うっざ!




