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第23話 蓬田葉月、心の俳句

 メンズのTシャツに、裾を緩く捲ったこれまたメンズのジーンズ(メンズの方が尻ポケットが大きくて良いんだよね)、そしてバックストラップなしのサンダル姿である。

 これでもか、というくらいに女を捨てた恰好――というのは言い過ぎかもしれないけど、あたしの場合、まともなレディースサイズのTシャツは割と危険なのである。薄くて柔らかい生地なら胸元がびよんびよんに伸びるし、厚めの生地ならパツパツに張って苦しい。生地を取るか、己の肉を取るか、という決断を迫られてしまうのだ。


 かといって、単純にレディースでサイズを上げれば良い、という話でもない。女物は比較的鎖骨辺りの露出が多いからである。サイズアップすれば必然的に胸元も大きく開くこととなり――あとはもう言わなくてもわかるな?


 なので正直なところ、メンズのMサイズ辺りが丁度良い。メーカーによってはそれでも多少窮屈な場合もあるけど、そこまで見苦しくないし、何よりデコルテが出ない。肩はかなり余るけど、メンズだから仕方ないと開き直れるし、袖が長いのも二の腕が隠れてちょうど良いのだ。


 この中で唯一女物なのがサンダルなのだが、これは単にあたしの足が小さいだけだ。いくらサンダルといえど靴だけはある程度サイズに合ったものを履かないと危険なのである。スニーカーでも良かったんだけど、アキレス腱の靴ずれが痛くてさ。

 そんでこれは足の甲まですっぽり覆うタイプの合成樹脂製サンダルなので、色気の欠片もないはずだ。大丈夫、これを脱いだところでペディキュアなんてしてませんとも。そんなギャップ萌えの隙もない。ていうかそもそもペディキュアの習慣もないし。


 とまぁ、昨日とは百八十度テイストの違う恰好でやって来ました、『珈琲処みかど』である。髪だって一つに結わっただけのポニーテールである。シュシュ? 着けない着けない。化粧? めんどいめんどい。日焼け止めと薬用リップくらいは塗るけどさ、って感じ。


 さぁどうだ! これがあたしの真の姿よ!


 頼もう! とばかりにそのドアの前に立つ。

 もう学習したから。これ、慶次郎さんじゃないと開けられないんでしょ? ほら、とっとと開けなさいよ。


 ――と。


「そんなところで何突っ立ってんだ?」


 そんな声が聞こえて振り返る。

 そこにいたのは、片手にレジ袋、そしてもう片方の手にお肉屋さんのコロッケを持った純コさんだった。焦げ茶色のもふもふ耳ともふもふ尻尾に何の違和感もなくなっている自分が怖い。ていうか慶次郎さんの言う通り、本当に買い食いしてやがるこいつ。


「何、って。開けてもらおうと思って」

「え? 開いてないのか?」

「いや、昨日、慶次郎さんしか開けられないって」

「いつもはそうなんだけどさ。今日は開けとくって言ってたんだけどな。まぁ良いや」


 おおい慶次郎、開けろぉ、と純コさんが声を張ると、開いてるんだけどなぁ、というのんきな声が聞こえてきた。からり、とそれは開き、昨日と全く同じ、濃茶色の着流しを着た慶次郎さんがひょこりと顔を出す。


「ああ、はっちゃんでしたか。おはようございます」

「おはよ、ざいます……」


 やはりまだあたしは『はっちゃん』なんだな、などと思いつつ。

 慶次郎さんは、何だか寝起きのような空気を纏っている。寝癖がついているわけでもない。着物が乱れているわけでも、口の端によだれの跡があるわけでもないし、背筋だって伸びているけど。何だかとにかく、ふにゃ、としている。だけどそれでもイケメンなんだから腹が立つ。顔が良いって得だわ。


 イケメンは

  締まりがなくても

   イケメンか


 思わず一句詠んだっつーの。


「どうぞどうぞ。朝ご飯は食べましたか?」

「んー、コーヒーとチョコは食べた」


 朝ご飯は食べないことの方が多い。朝から授業がある時は、ギリギリに起きてわたわたと家を出ることが多いし、休みは休みで昼まで寝てる。だって先輩と出掛けるのは決まって昼すぎだったから。


「いけませんね。お腹空きませんか?」

「んー、空くけど、慣れたかな。その分昼にがっつり食べるから」


 大丈夫大丈夫、とチョコとコーヒーしか入っていないお腹をぽいんぽいん叩きながら言うと――、


「駄目だよぉっ!」

「わぁっ」


 慶次郎さんとの間に割り込んできたのはゆるふわ金髪のおパさんである。金色のもふもふ垂れ耳をひこひこさせ、ふわっふわの尻尾はふるんふるんと揺れている。


「そんな食生活をぼくは認めなぁいっ!」


 その手に握られているのはお玉だ。何でこんなにこのアイテムが似合うのよ、この人。いや、人?


「ねぇねぇ葉月、食べるでしょ? 今日の朝食も花丸のやつだよ? ぼく絶対葉月が食べてくれると思って用意したんだよ?」

「いや、あたしのためなの、それ?」

「僕のご飯じゃなかったの……?」


 しょん、と肩を落とす慶次郎さんに、おパさんは腕を組んで「だってさぁ!」とご立腹の様子だ。ぱたぱた、と足まで踏み鳴らしている。


「慶次郎は食べさせ甲斐がないんだよ! 美味しいんだか美味しくないんだか、もそもそもそもそ食べるしさぁ!」

「お、美味しいよ!」

「ピーマンはきれいに避けるし」

「わあぁっ! そ、それは……!」


 あわわ、とおパさんの顔の前に手をかざして視線を泳がせる。こんなにわかりやすく動揺する人久しぶりに見た気がするわ。何これ? コント?


「いや慶次郎さんよ、もうバレてっからな? 苦手なんだな? ピーマン」

「いや、その、青椒肉絲とかなら何とか」

「味付けが濃いやつしか食べないでしょ!」

「ぐぅぅ……」


 別に嫌いな食材の一つや二つあったって良いと思うんだけど。ただ、あの料理をもそもそ食べるのはいただけないわ。めちゃくちゃ美味かったもんな、ヒレカツ定食。


「ぼくはね、歓太郎から、きつーく言われてるんだ。慶次郎に好き嫌いさせず何でも食べさせるように、って」


 好き嫌いせず食べさせるって、五歳児かよ! 

 ああもう、おパさんの頭の上に『ぷんすこ』って文字が浮かんで見えるわ。あのいかにもな湯気も確実に出てる。そんな感じで怒ってる。ただ、本人はものすごく真剣なんだろうけど、ケモ耳尻尾も相まって、申し訳ないけどひたすら可愛いだけだ。


 いや、ていうか歓太郎さんの命令を聞いてんじゃん!? 誰の式神なのよ!


「だからって、毎日毎日ピーマンづくしは酷いよぉ……」


 そんでこっちは主のはずなのにこんなだし。そりゃあ舐められるって。


「まぁまぁおパさん。それで? 今朝の花丸ご飯はどんな感じなの?」


 そう尋ねると、ぷんぷん状態だったおパさんは、よくぞ聞いてくれました、とばかりに瞳を輝かせて尻尾をもふんもふんと振った。


「ご飯はつやっつやだしね、お味噌汁のお豆腐はふるっふるだしね、うっとり金色の出汁巻き卵に~、皮はパリっ、身はしっとりふっくらの焼き鮭。それからピーマンの煮浸しと、納豆と、ぼくが漬けた梅干しでしょ~、それから~」

「食べます!」


 元気よく挙手。

 いや、こんなの聞かされて食べない選択肢はないでしょ。満場一致だったでしょ、あたしの脳内。誰一人として「異議あり」とか言ってねぇもん。あれ? よく見たらうんと隅っこの席のやつが恐る恐る手を挙げてるな。よし、どうした。お前はさっきのインスタントコーヒーとチョコレートで満足だっていうのか? おおん? ……おかわりは何杯までよろしいでしょうか、って?! そんなの胃袋の限界までオーケーに決まってらぁ! そうだろ!? なぁ、オーディエンス?! 一体何合炊いてんだか知らねぇけどな、食いつくす勢いで食ったらぁ!


 などと僅かコンマ数秒の間で脳内の全あたし達によるスタンディングオベーション、胴上げ、さらにはビール(ただしノンアル)シャワーまでしっかりこなしたあたしは、「さ、行こ行こ」とご機嫌なおパさんに手を引かれて昨日と同じ席に着いたのだった。


 いや、客はよ。

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