お世話係の矜恃
夜会から数日後、リリシャはこれまで以上に甲斐甲斐しくハロルドの世話を焼いていた。
世話というか躾といってもいいかもしれないが……。
「ハロルド様っ、衣服が汚れたらすぐに侍従に言ってお着替えをしなくてはなりませんよっ」
「ハロルド様、歩きながら本を読んではダメです。危ないでしょう?」
「ハロルド様!もう十五になられたのですから尖塔の上に登るのはおやめくださいと何度申し上げたら分かるのですか!」
と、こと細かくハロルドの身形や行動を注意した。
当のハロルドもさすがにガミガミと言われ続けて辟易としているようだ。
自室のソファーで魔導書を開きながら、机の片付けをしているリリシャに言う。
「なんだか以前にも増して小言が増えてないか?」
「私だってこんな当たり前なことを口酸っぱく言いたくはありませんよ。ガミガミ言い過ぎてなんだか年寄りじみたような気がしますわ……」
「あははっ、ガミガミばぁさんだ」
「しばきますわよ」
と、こんな会話をしながらもリリシャが口煩くハロルドを叱りつけるのには訳があった。
夜会の翌日、いつも通りに一日ハロルドのお世話係を務めてそろそろ帰宅する時刻。
国王と王太子アルスライドが王族の談話室にいると聞き、挨拶をしようと立ち寄った時の事だ。
何やら深刻な面持ちで話をしている国王とアルスライドの声が聞こえてきた。
「ハロルドの気持ちもわかるが、こればかりは慣例だからなぁ。最低でも候補者の一人とは必ず会わねばならん」
「そうですよね。まぁ父上も僕も、それで顔合わせした婚約者候補に一目惚れをして一発で婚約を決めたのですが」
「そうであったな」
「ハロルドの場合はそうでないにしろ、しきたりに倣い顔合わせだけはせねばな……それで?ハロルドはなんと?」
「時間の無駄だから嫌だと言っております」
「やはり……」
「とりあえず一度会うだけでよいのだからと言い聞かせましたが」
「納得はしておらんのだろう?」
「はい……ですので、日時を決めてエドモンズ公爵家のレティシア嬢に登城してもらい、そこにハロルドを投入して偶然を装って顔合わせをさせようかと」
「騙し討ちになるが致し方あるまい。とにかく一度でも会えば議会も納得するだろう。それでいつ引き合せるのだ?」
「週明けすぐには」
そこまで耳にして、リリシャはそっと踵を返す。
談話室前を警備していた新しく配属された若い近衛騎士がリリシャを不思議そうに見ている。
リリシャは小さく微笑んで人差し指を唇にあて「内緒」だと無言で伝え、その場を後にした。
今の話の一部だけでだいたいわかった。
いよいよハロルドの婚約者選定が始まるのだ。
そしてその婚約者候補の筆頭はやはりエドモンズ公爵令嬢レティシア。
まずは彼女との顔合わせからと決まっているらしい。
まぁ魔法関連以外は全て面倒くさい、できれば魔法の勉強だけをしていたいというハロルドが顔合わせに時間を取られるのを渋ったというのも頷ける。
そんなハロルドにレティシア嬢を会わせるための策も打ったと聞き、リリシャは自分もハロルドのために出来ることをしようと心に決めた。
まずは当日の衣服である。
放っておいたら魔法薬の染み付いた騎士服で王宮内をウロウロしかねない。
(騎士服は生地が軽くて丈夫、そして動きやすい完璧な服なのだそうだ。ハロルド談)
偶然を装うにしても公爵令嬢と会うのだ、変な格好はさせられない。
だけどキメ過ぎても何か感じ取って警戒され、姿を晦ます可能性もある。
リリシャはハロルドのクローゼットの中を腕組みして睨みつけた。
「リリシャ様、如何されました?そのように殿下の衣服を親の仇のように睨みつけられて……」
ハロルド付きの年嵩の侍女の声にリリシャは衣服から目を逸らす事なく答えた。
「ハロルド様の普段着の中で一番王子らしく見えるものはどれかしら?」
「そうですねぇ……」
侍女はリリシャと同じように腕組みをしてハロルドの衣服を睨みつける。
「これなんて、如何です?」
「私もそれがいいと思っていたの!」
侍女とリリシャが選んだ衣服は、仕立ての良いシンプルな白のシャンブレーシャツにチャコールグレーのグレンチェックのテーパードパンツ。
テーパードパンツと共布で誂えられたベストも合わせれば完璧である。
どちらも質の良いものだから、ただラフに着ているだけでも品よく見せてくれる。
「これに決まりね」
あとは当日、ハロルドをレティシア嬢の元へと向かわせるだけだ。
私の大切な王子様が良縁に恵まれますように。
と、願い込めて衣服に触れる。
『陛下もアルスライド様もこの顔合わせで相手を気に入り、婚約を決めたと仰っていたもの……』
ハロルドもレティシア嬢と改めて顔合わせをしたら、きっとかのご令嬢をお気に召すことだろう。
夜会で遠巻きに見ただけだったがとても美しい少女であった。
生まれながらにして王族に次ぐ高貴な血筋を持つ公爵令嬢。
きっと教育も妃に相応しいものを受けてきたに違いない。
そんな彼女と彼女の実家であるエドモンズ公爵家が第二王子の後ろ盾となってくれる、素晴らしいことだ。
国政にも、かといって臣籍に降りて領地経営するのにも向いていないハロルド。
だけど妻の実家が力を持つ家であれば、ハロルドの行く末は安泰だ。
ハロルドとレティシア嬢の婚約が正式に発表されるまではちゃんと見届ける。
そう決めたのだ。
一度引き受けたことは最後までやり抜く。
それが五年間、ハロルドの世話係を務めたリリシャ矜恃だ。
侍女が去った後もリリシャはクローゼットに残り、ハロルドの衣服をじっと見つめていた。
リリシャがお世話係の役目を辞して、王宮を去る日はきっと近い。
この賑やかで温かな日々も終わりを告げるのだ。
リリシャはそっとつぶやいた。
「もうすぐ、さよならね……」




