夜会の終宴には……
第二王子ハロルドの十五の年を祝う特別な夜会。
宴もたけなわとなった頃、ようやくブラウン男爵家が第二王子ハロルドに祝辞を述べる番となった。
リリシャは父に伴われ、王家の面々の前に立つ。
父が渋~い重低音なバリトンボイスで祝辞を口にした。
「ハロルド殿下、本日は誠におめでとうございます」
「あれ?それだけ?」
父のその簡潔な祝いの言葉にハロルドは面食らった顔をした。
「もう散々有難い祝辞は聞いてこられたでしょう?簡単に済ませるのが、私どもからの祝いでございますよ」
それを聞き、ハロルドははにかんだ笑みを浮かべ、肩を竦めた。
「……ったくプゥサンには敵わないな」
『あ、いつものハロルド様らしい表情……』
他の貴族たちに見せていたものとは違う柔らかな表情にリリシャの胸がキュンとなる。
今日のリリシャの心はハロルドの所為で大忙しだ。
「有難いぞブラウン。さっきまではもう、いつハロルドが爆発するかとヒヤヒヤしていたのだ」
ハロルドの父でありこの国の君主、国王陛下が大きな息をひとつ吐いてそう言った。
それを受け、父は笑いながらリリシャを見る。
「いえ、今日の殿下はまるで別人のようです。見違えましたぞ、なぁ?リリシャ」
「そうだわ、リリシャちゃんからもハロルドを労ってあげて?そうしたらきっとあともう少し頑張れると思うから」
王妃殿下がそう言うと皆の視線が一斉にリリシャへと向いた。
「私ですか?」
このような席では令嬢は父親の影に隠れじっと大人しくしているのが世の常であるが……良いのだろうか。
「それにしても今日のリリシャは本当に綺麗だね。まるで天使が舞い降りたのかと思ったよ」
王太子アルスライドの言葉にリリシャは思わず困り顔になる。
「アルスライド殿下までそんな事仰って……」
「他の誰かにもそう言われたの?」
「え?」
ふいにハロルドにそう訊かれ、リリシャは驚いた。
見ればハロルドは明らかに不機嫌そうな顔をしている。
さっきまであんな穏やかな表情をしていたのに。
「お、お父様が大きな声で会場入口で“天使が舞い降りた!”って騒ぐから……」
「なんだ、プゥサンに言われたのか」
あからさまにほっとした顔をしたハロルドに王太子妃アンネットが言う。
「ふふふ。ハロルド様、心配しなくてもブラウン卿が側に居て、他の令息たちがリリシャちゃんに声を掛けられるわけがないわ。ましてや歯の浮くような賛辞なんて……」
「歯が浮く前に二、三本歯をへし折られそうだよね」
「ははは、違いない」
「いくら私でもそこまではしませんよ」
一体皆でなんの話をしているのやら。
さっぱりわからないリリシャだがハロルドに向き直り、彼の澄んだ瞳を見た。
「ハロルド様。本日はおめでとうございます。先程の皆の前でのお言葉もとてもご立派でしたわ。さすがはアデリオール王国の王子殿下にあらせられます」
「ホントに?ホントに良かった?」
「ええ。完璧でした」
「よしっ」
そう笑うハロルドの笑顔にリリシャの胸が再びキュンとする。
いつものハロルドの様子に、嬉しいような困ってしまうような。
複雑な胸の内を抱えながら、ブラウン男爵家の挨拶の時間は終わりを告げた。
その後、もう一度父と踊ると、完璧なステップを踏んでいたにも関わらず父はリリシャの腰を掴んで高く掲げターンをした。
浮遊感がとても楽しかったがリリシャは今宵、父親としか踊っていない。
普通は他家の令息とも踊って、そこから婚約に繋がったりとの出会いを図るものではないのだろうか。
どうしようか。リリシャの側にベッタリ付き添う父から離れて、少しは同年代との交流に挑戦してみようか……。
リリシャが女性専用のレストルームでそんな事を考えていると、同じくレストルームにいた壮年と老年の女性の話し声が聞こえた。
「それにしても第二王子殿下もご立派になられたものねぇ。ついこの前お生まれになったばかりだと思っていたら……」
「ええ。時が経つのは本当に早いわ」
十五年がついこの前なのか……そういえば亡くなった祖母が年々月日が経つのが早く感じるようになると言っていたが、あのご夫人方もそうなのだろう。
自分もいつかそうなるのだろうなと思っていると、次に聞こえた言葉にリリシャの耳は釘付けになった。
「そういえばお聞きになられた?エドモンズ公爵家のレティシア様が王子殿下の筆頭婚約者候補にと推す声が議会で増えているそうよ」
「まぁ……それは初耳でしたけれど、お家柄とご年齢から見ても妥当ですわね」
エドモンズ公爵令嬢レティシア……。
確か年齢はハロルドと同じ十五歳。
今夜同じくデビュタントを迎えているはずである。
公爵令嬢でありながら未だに婚約者がいないのは、偏にハロルドの成長を待っていたのだろうか。
国内最高位の貴族令嬢として王族との婚約の可能性を踏まえて、その席を空けておいた……と考えられる。
『………公爵家のご令嬢か……』
そして壮年女性が少しだけ声のトーンを落として言った。
「今夜の夜会、王子殿下とエドモンズ公爵令嬢のラストダンスが予定されているのではないかと皆が囁いているわよ」
「まぁ、そうなの?知らなかったわ」
老年の夫人の声を背にリリシャはレストルームを後にした。
リリシャも知らなかった。
もうじき夜会は終宴を迎える。
ラストダンスを公爵令嬢と踊るなら、きっと夜会のマナーからハロルドはラストダンスの相手を自宅まで送り届けねばならない。
リリシャはポーチの中にぽつんとある青いリボンの箱に思いを馳せる。
今日中に、誕生日である今日という日にプレゼントを渡すのは無理そうだ。
心にぽかんと穴が空いた気がした。
この穴は一体なんなのだろう。
いや本当は、リリシャは知っている。
これは喪失感だ。
ずっと側にいた人を失う。
ずっと側にいた人の隣を他の人間に明け渡す喪失感。
それを失ったと感じるのはリリシャにとってハロルドが特別な人だからだ。
ハロルドにだけ抱く特別な気持ち。
この気持ちに名があることを、リリシャはずっと前から知っていた。
いつの間にか胸の中に育っていたこの気持ち。
初めて異性に心を寄せる。
その人の事で心がいっぱいになる。
その気持ちを初恋、と呼ぶことに気付いたのはいつだっただろう。
『そんな答えを探しても意味は無いわね。初恋は実らない、昔からそう言うらしいじゃない……』
リリシャはレストルームの外で待つ父の元へと戻った。
「戻ったかリリィ。のどが乾かないか?果実水でも飲みにいくか?」
父にそう訊かれ、リリシャは少し考えた。
出来ることならもう帰りたい。
疲れた、と言ってそれで途中で帰るのは不敬だろうか。
でも、出来ることなら、ハロルドのラストダンスは見たくなかった。
今日逃げたとしても、これから先は事ある毎にハロルドと婚約者、ハロルドと妃のダンスを目の当たりにしてゆくのだから意味は無い。
意味はないとわかっていても今夜は……婚約だけは知ったばかりの厳しい現実から目を逸らしたいのだ。
父に体調が悪くなったと言ってみようか。
でも嘘を吐いて父に無理を強いるのは気が引ける。
そして迷いに迷うリリシャのその様子に父が気づいた。
「リリィ?どうした?気分でも悪くなったのか」
「あ、あの…あのね、お父様……」
リリシャが思い切って父に告げようとしたその時、ふいに真後ろに人の気配を感じ、耳元で声が聞こえた。
「プゥサン、リリをちょっとだけ連れていくぞ」
「……え?」
その瞬間、後ろから手を回されお腹の辺りでガッツリ拘束される。
そして急にどこかへと引き寄せられる、そんな感覚がした。
ぐにゃりと空間が曲がり、まるでその中に飲み込まれる感覚。
「っ……ハロルド殿下っ!!転移魔法っ!?いつの間にっ!?」
父がそれに気づき手を伸ばすもリリシャに触れるに及ばす、
リリシャはハロルドにより転移魔法にてどこかへと連れ去られた。