デビュタントの準備
「リリ!リリシャ!見ろ!この素晴らしい岩のフォルムを!」
ハロルドの自室の机の上を侍女と共に片付けをしていると、窓の外から自分を呼ぶ声がした。
もうすぐ十五歳になる第二王子ハロルドの声だ。
リリシャは窓から外を見る。
すると王族の居住区である東翼棟に面する広場に、ゴツゴツとした巨岩で形作られた巨躯を持つゴーレムが聳え立っていた。
「またもう、あんなコトして……」
リリシャは窓から顔を出し、相変わらずド肝を抜く行動をするハロルドを慣れた調子で諌めた。
「こらハロルド様っ!王宮の敷地内にゴーレムなんて出現させてはいけません!」
「驚けリリシャ!“どこでもゴーレムくん”という便利な魔法陣を完成させたぞっ!」
「またそんな無駄な開発を」
「無駄なものか!この魔法陣があれば困った時にいつでもゴーレムくんを呼び出せるのだぞっ」
「ゴーレムくんを呼び出さねばならない困った時ってどんな状況ですか」
「うーん、旅の商団が魔獣に襲われた時?」
「あぁなるほど、それは便利ですね…って、だからといって王宮に出現させてどーするんです!さっさとお片付けをなさいっ!」
「存分に見たかリリっ?ゴーレムくんを堪能したかっ?」
「はいはい。充分に拝見しました。ほら、騎士の皆さんが右往左往されているではありませんか、早く引っ込めてください」
「そうか!リリに一番に見せてやりたかったのだ!お前が楽しんだのならもういい」
そう言ってハロルドは手をかざし、複雑に組まれた術式が刻まれた魔法陣ごとゴーレムを消した。
そして満足そうにどこかへと去って行く。
逃してなるものかとリリシャは慌ててその背中に声をかけた。
「ハロルド様っ!そろそろ午餐のお時間ですよ!もうお戻りくさださいませっ」
「食事は要らん!それよりこれから山に行って魔石を採ってくるのだ!」
「ダメですよ!今日は午後から予定が目白押しなのです!私とずっと一緒にいてもらいますからねっ!」
リリシャが窓からそう告げると、ハロルドの足がピタリと止まった。
「……リリと……ずっと一緒に?」
「ええ。今日はずっと一緒にいてください。(いてもらわなきゃ予定が進まない)」
「仕方ない奴だな……わかった、リリがそこまで言うのなら……」
ハロルドが気恥しそうに鼻の下を人差し指で擦りながらそう言うと、
「こらハロルド様!アデリオールの王子ともあろうお方が鼻の下を擦ってはいけません!」
とリリシャがピシャリと叱った。
リリシャが第二王子ハロルドのお世話係と称した“ご友人”にあてがわれて早や五年が過ぎた。
リリシャはすでに先々月で十五歳となっており、ハロルドは遅れて再来月に十五歳の誕生日を迎える。
王家にとって十五歳とは節目の年。
そのためハロルドの誕生日にはお披露目の夜会が開催されることになっている。
なのでお世話係のリリシャはその準備に余念がない。
ハロルドにとっては王族の一員として国内外に広く顔見せとなるデビュタントでもあるのだ。
言動に難ありだが見た目だけはピカイチなハロルド。
そのピカイチな容姿で破天荒さをカムフラージュして、当日は来賓客の目を欺く。
それがハロルドを恙無く社交界デビューさせるための、王家の家族会議で決議された作戦である。
リリシャはハロルドと共に昼食を食べながら午後からの予定を話した。
「ハロルド様。食後ぽんぽこりんのお腹が落ち着きましたら、朝届けられた夜会の衣装の袖通しをお願いしますね。お直しがあるなら早めに出さねばなりませんから」
本日のメニュー、チキンのコンフィに添えられた人参を端に寄せながらハロルドが言った。
「べつに衣装なんてなんでもよくないか?」
「なんでもいい訳ないでしょう?ハロルド様の晴れの舞台ですよ。これを逃したら次にハロルド様が注目されるのは、結婚式かお葬式くらいになってしまいます」
「葬式は確かに皆が俺に注目するだろうな……いやそれより、デビュタントなんて面倒くさくてかなわん。今からでも取りやめにしないか?」
リリシャは見事なカトラリー捌きでチキンを切り分けながらそれに答えた。
「そんなことできる訳ないじゃないですか。王族なら生まれた時からこの夜会に参加するのは決められているようなものなのです。それに今度の夜会でハロルド様のイメージアップ作戦を決行すると既に決まっておりますから」
「決まってるって、どこで決まったんだ?」
「王家の家族会議で」
「なんでその家族会議に俺ではなくリリが出てるんだ?」
「私はハロルド様のお世話係ですから」
「なるほど。まぁ父上も母上も兄上も義姉上もみんな、リリを家族だと思っているからな」
「畏れ多いことですわ。私はただの男爵家の娘ですのに」
「そんなことは関係ない。リリはリリだ。親の爵位なんて関係ない」
「………」
そんなことを言うのは、そんなことを本気で思っているのはハロルドだけだ。
だってリリシャは知ってしまった。
リリシャがハロルドよりも先に十五歳になった時、
お祝いに訪れた叔母にそろそろ王宮を辞して結婚相手を探した方がいいと言われた時に。
リリシャは叔母に、まだ手のかかるハロルドの側を離れる訳にはいかないと言ったのだが、叔母はリリシャが側に居ればいずれハロルドの縁談に差し支えてくるとそう言うのだ。
リリシャは所詮男爵家の娘。
当然そんな身分の低い者が王子の側にいて、王子妃に相応しい家格の高い令嬢やその家門の者たちは良くは思わないだろうと。
そしてそれによりリリシャの評判が下がり、今後の人生に影を落とすのではないかと叔母は懸念していた。
それにリリシャとてブラウン男爵家の一人娘だ。
いずれは婿を取り、家を継がねばならないとも言われた。
リリシャはその時はじめて、自分とハロルドの間には身分差や後継問題という大きな壁があることを知った。
これまで共に手を携えて歩んで来たが、
その壁の向こうでは道が二つに分かれていて、それぞれ別の道を歩いて行くことになるのだろう。
大国の王子と領地領民を持たない歴史だけは古い男爵家の娘。
父親が王家の信任厚い騎士団の団長(五年の間に出世した)であるゆえに王宮に出入りすることが許されているが、本来なら王家の人間と言葉を交わせる身分の者ではない。
その事実をリリシャは叔母の発言の中で知った。
いや、知っていたはずなのに忘れてしまっていたのだ。
ハロルドとの、王家の皆との日々の暮らしの中でいつしかそれを頭の隅に追いやってしまっていたのだ……。
リリシャはそんなことを思い出しながらテーブルの向かいに座るハロルドの皿を見つめた。
そして彼に告げる。
「……ハロルド様、その器用に寄せられた人参は全部食べなくてはダメですよ」
「ぐっ……人参は嫌いだ。野菜のクセに甘いなどとふざけてる」
「人参は真面目に畑で育ったのです、ふざけてなんていませんわ。それに料理長がハロルド様が食べやすいように調理してくれているのです。お残しは許されませんよ」
「ぐっ……」
リリシャにそう言われて嫌々ながらも素直に言うことを聞いて人参を口にするハロルドを、侍従や侍女は微笑ましそうに見つめていた。
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好き嫌いのシーンは、
『いつか終わりがくるのなら』のオマージュでおま☆