朝のルーティン
「ローマン様、おはようございます。今朝は、クルトさんと遠乗りに行かれるのですよね?」
いつもよりすこしだけ早くローマン様の部屋に行き、彼を起こした。
クルトさんに「明日の朝早くから、ローマン様と領地の視察も兼ねて遠乗りに行くんだ」と、昨夜きかされたからである。
ローマン様から早く起こすようにと頼まれたわけではない。しかし、クルトさんが朝早くからと言っていたから、早めに起こした方がいいと勝手に判断した。
ローマン様は、いつものようにわたしの挨拶を無視している。布団に潜り込み、寝たふりをしていることはわかっている。
ガラス扉や窓のカーテンを開けながら、「今日もいいお天気になりそうですよ」とか「朝食はローマン様の大好きなスクランブルエッグとカリカリベーコンみたいですよ」とか、一方的に喋り続ける。
これもまた、毎朝の日課になっている。
ローマン様にしてみれば、すごくうるさいし鬱陶しいと思う。
しかし、そうせずにはいられない。
どうせ嫌われているし、というよりか存在を認められていないから、開き直っている。
かといってなんでもしていいというわけではない。でも、放り出されるまでは側でメイドの真似事をしていると実感したい。
これは、わたしの自己満足にすぎないのだけれど。
「うるさいっ!」
わたしの一方的なお喋りに、ローマン様が怒りだすのもいつものこと。そして、怒鳴ってからモゾモゾと起きだすのもいつものこと。今朝もやはり、いつものように怒鳴ってから起きだした。
すぐに彼が身支度を始められるよう、洗面台の準備をする。
左側に鏡と剃刀と髭剃り用のクリームと歯ブラシを置いておく。
右目の見えないローマン様が使いやすように。
ローマン様は、わざとらしく欠伸をしながら洗面室に入ってきた。
「ローマン様、髭剃りをしましょうか?」
「必要ないと言っているだろう。出て行け」
これもまたいつものやり取り。
「承知いたしました。タオルは、いつものようにここにかけておきます」
タオルかけにタオルをかけ、洗面室を出て行くのもいつものこと。
ローマン様が身支度している間に寝台をさっと整え、クローゼットに入って乗馬服の準備をする。
そうだわ。愛用の乗馬用のムチも準備しなくては。
現役時代から使いこまれたそれは、持ち手がボロボロになってもなお握りやすいので使っているのだとか。
クローゼットの棚の上の方にあるので、踏み台を運んできてそれに乗って取ることにしている。背がすごく高いローマン様には必要ないけれど、小さなわたしには踏み台は必須アイテム。だから、クローゼットの片隅に置いている。
乗馬用のムチをつかもうとし、一瞬躊躇した。だけど、すぐに思い直す。
(大丈夫。もう大丈夫なのよ)
自分に言いきかせる。
それでも体は正直なもので、伸ばす腕も手も指もわずかに震えを帯びている。
(しっかりするのよ。ローマン様のお役に立てなければ、すぐにでもここから放り出されるのだから)
頭を振って自分を叱咤する。
そうしてやっとムチを手に取ると、踏み台から降りて乗馬服といっしょに置いておく。
最後に乗馬用の靴も揃え、これで終了。
このように、彼の支度の準備をするのもまたいつものこと。
これらすべて、ここにきてお情けで雇ってもらってからずっと続いている朝一番のルーティンなのである。
ローマン様が洗面室から出てきた。着替えている間、洗面室を片付けて磨くのもいつものこと。
というわけで洗面室に入って片付けようとして、あることに気がついた。
「ローマン様っ」
洗面室を飛び出すと、彼は姿見の前に立って大きな背中をわずかに鏡へ傾けている。
その大きな大きな背に駆け寄った。
「ローマン様、ここに座って下さい」
がっしりとしたつくりの木製の椅子をひっぱってくる。
もちろん、これはいつものことではない。だけど、初めてのことでもない。
「なんだ、鬱陶しい」
彼は、背を向けたままぶっきらぼうに怒鳴った。
「はやく、この椅子に座って下さい」
言いながら、洗面室から持ってきた脱脂綿に消毒液を浸す。