【最終話】約束されたしあわせ
「ローマン様、それは違います」
なんとか顔を上げ、彼の左目を見つめて否定した。
「わたしだけがしあわせになるのではありません。ローマン様とわたし、二人でしあわせになるのです」
そして、さらなる決意を伝えた。
「その通りだ。だが、それも違うな。当分はきみとおれ、しばらくすればきみとおれと子どもたちだ」
「まぁっ、気のはやい」
笑ってしまった。あまりにも気のはやい話だったから。
「いいや、そうでもないぞ。不幸の中にいるときには、ときの流れはまるで止まっているかのように遅く感じられる。しかし、しあわせの中にいるときにはその流れはあっという間だ。驚くほどはやく、みんなでしあわせを噛みしめることになる」
「そうですね。たしかにそうです」
「ミサ……」
ローマン様の持論に同意した途端、ローマン様のワイルドな顔が急接近してきた。
いくら世間知らずのわたしでも、この急接近の意味はわかる。
だから、これもまた無意識の内に瞼を閉じていた。
昔読んだ書物の中でそのような描写があったことを、頭の中の片隅に浮かんだからに違いない。
瞼を閉じた瞬間、ローマン様の唇がわたしのそれに重なった。
「ギイイイイッ」
同時に、軋むような音が耳に飛び込んできた。
「まぁぁぁぁっ! なんてロマンチックなのかしら?」
直後、黄色い叫び声が執務室内を駆け巡った。そのときにはもう、ローマン様の唇はわたしのそれから離れている。
「オリー、やめないか。失礼ではないか」
「そうだぞ、オリー」
「なによっ! ヨハンさんもクルトもわたしのせいにするわけ? こんなおめでたいこと、みんなで享受しないともったいないでしょう?」
たったいま、黄色い雄叫びをあげたオリーだけではない。開いた扉の向こうに、彼女とヨハンさんとエルヴィスさんとルディさんとクルトさんが立っている。
(もしかして、ずっと扉の向こうにいて盗み聞きしていたの?)
わたしの目も口も大きく開いているに違いない。
ローマン様の目や口もそうなっているから。
「あー、ローマン様、ミサ、いえ、ミサ様、おめでとうございます」
ヨハンさんが姿勢を正して表情をあらためて言うと、男性三人も同様に姿勢を正した。
「われわれ使用人一同、心よりお祝い申し上げます」
「おめでとうございます」
「おめでとうございます、ローマン様、奥様」
「おめでとうございます。お二人にこれまで以上にお仕えいたします」
ヨハンさん、エルヴィスさん、ルディさん、クルトさんの順に祝辞をいただいた。
「ミサ、よかったわね。これからもよろしくね」
最後はオリーだった。彼女は、わたしたちの前に立つと腰に両手をあてて言った。
それがまた、彼女らしいと思った。
「祝辞はありがたく頂戴する。が、いまは二人きりにしてくれないか……」
「ダメですよ、ローマン様。まだ婚前です。ミサはまだお預けですよ。それよりも、盛大にお祝いをしましょう。領民の人たちもいっしょに。ヨハンさん、予算は大丈夫? さっそく緻密な計画を練らなきゃ。ほんと、楽しみよね」
ローマン様の言葉をさえぎったオリーは、まるで自分の結婚のようにウキウキしている。
やはり、彼女らしい。
同時に、そんな彼女に感謝した。
「わかったわかった。ヨハン、この際だ。みんなにたらふく食って飲んでもらおう。心ゆくまでな。ミサ、いいか?」
「もちろんですとも。恥ずかしい気もしますけど、これがわたしのあなたの妻としての最初のお披露目。みなさんといっしょに食べたり飲んだりして楽しませていただきます」
「あー、ミサ。飲むのは葡萄ジュースにしておけ。葡萄酒で飲み潰れて他の男性に介抱されたくないからな。それ以前に多くの男性が集まるから、けっしておれの側を離れないでくれ」
ローマン様は、そう言ってからふたたびわたしの肩を抱いてくれた。
その言い方があまりにも子供っぽく、表情もちょっとすねたようだったので、可笑しくなって笑ってしまった。
笑いはすぐに伝染する。
オリーが笑いだした。もちろん、ヨハンさんたちも。
そして、ローマン様も豪快に笑い始めた。
しあわせになっていいのかしら、とは思わない。
しあわせをつかんだのだから、もっとしあわせになる。
ローマン様と、まだ見ぬわたしたちの子どもたちとともに。
(了)




