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ローマン様の気持ちに感謝する

「体や心が傷ついている、あるいは病んでいるといったような心身にまつわる問題。環境要因。ただ単純に怠惰によるもの。なんらかの事情で働けない、もしくは働かないことによって、収入がなくなってしまう。それは、当人の問題だけではない。家族にも影響を及ぼす。あの兄妹のように貧しいからと他の子どもたちに虐められ、蔑まれる。そういう問題は、たしかにある。どれだけ心を配ろうと削ろうと、そういう問題をすべて消し去ることは出来ない。解決や予防は出来ないのだ。クルト」


 ローマン様の命を受け、クルトさんが馬から降りて子どもたちのところに走って行った。彼は、いじめっ子たちを追い払うと兄妹を連れてきた。


 きけば、兄妹の両親は離縁し、二人とも母親に引き取られたらしい。が、母親は過労で体調を崩し、寝込んでいるとか。それがもう何週間も続いていて、貯えは底をついてしまった。母親を医師に診せることも出来ず、かといって兄が働こうにもまだ幼すぎて雇ってくれるところはない。妹は空腹だと泣き、もちろん兄もお腹がすきすぎている。そのような状況の中、兄はつい魔がさして先程の子どもたちの中のひとりの親が営む店から果物を盗んでしまった。盗まれた店主夫妻は、その兄の事情を知っているので許し、しかも果物を分けてくれたらしい。しかし、子どもたちはそうはいかない。


 子どもたちが妹を虐めの標的にしてひどい虐めを行っているところに、兄が駆けつけかばっていたところだったという。


「そうか」


 ローマン様は、兄の説明が終わるとただひとことだけ言った。


「クルト、頼む」

「承知いたしました」


 兄妹と並び立っているクルトさんは、ローマン様に了承の旨を伝えると兄妹を順番に抱えて馬に乗せ、去って行った。


「盗みが悪いということは、本人が一番よくわかっているだろう」


 ローマン様は、その背中を見送ってからつぶやいた。


(ローマン様は、だから盗みについて触れなかったのね)


 盗んだ当人が一番よくわかっている。だから、わざわざ言う必要はない。


「クルトさんは?」

「まず母親がどこにいるのかを確認し、正確な状況を判断した上で医師と当座の生活の手配をする」


 なんてことかしら。ローマン様は、そのように援助をするのね。


「ただの偽善にすぎない。このようなことは、一時しのぎにもならぬ。とにかく、これは自己満足だ。先程も言ったように、いまのようなことはこの領地内だけでなくどこにでも実際に起こっている。それをすべて把握出来るわけはないし、把握出来てもすべてを救えるわけではない」

「それでも、ローマン様のように考えたり思ったり心を砕くことさえ、ふつうの人はしません。わたしだって自分のことしか考える余裕がありませんので出来ないと思います。このようなことが出来るローマン様は、やはり素晴らしい領主様であり公爵様なのです」


 わたしごときが褒めるのは、おこがましすぎる。


 それでも伝えたかった。


 ローマン様がどれだけ素晴らしい人なのか、ということを。


「おれなど、ただの独りよがりの人殺しだ」


 ローマン様は、そうつぶやくと元来た道に馬首を返した。


 


「ローマン様。あの、ムチはどうなさったのですか?」


 乗馬にすっかり慣れた頃、ローマン様の愛用の乗馬用のムチを見ていないことに気がついた。ローマン様の部屋にもないし、使うべき乗馬の際に使っているところを見ていない。それは、クルトさんも同じである。彼も乗馬中にいっさいムチを使用していない。


「ああ、あれか。ずいぶんと使い込んでくたびれていたからな。『長い間ありがとう。ご苦労だった』、と感謝を伝えて廃棄した」

「そうだったのですか。では、新しいムチを購入されたのでしょうか」

「いや、もういい。あのムチほど手になじんだものはなかったからな。当分、必要ないだろう。いまはもう現役ではないしな。それに、おれの馬は優秀だ。ムチなど使わずともおれの意を察してくれる」


 ローマン様にムチのことを尋ねると、彼はそう言って笑った。


 その後、クルトさんにこっそり教えてもらった。


 ローマン様は、先日わたしがムチを見て倒れたことにショックを受け、それですぐにムチを処分したのだとか。


『もう二度と、ミサの前でムチを握らない』


 そのように何度もつぶやいていたという。


(ローマン様……)


 衝撃的だった。


「わたしのことなど気にせずムチを使って下さい」


 そのようにお願いしたかった。


 しかし、それはしなかった。


 ローマン様の気持ちがうれしかったから。


 その気持ちを大切にしたかったから。


 だから、なにも言わず彼のその気持ちに心の中で感謝した。


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