乗馬を教えてもらう
ローマン様は、約束を守ってくれた。
翌日から、乗馬のレッスンを始めてくれたのである。
厩舎で一頭の馬を紹介された。
まるで人間を紹介してくれるかのように、それはもう丁寧に。
その馬の名前は、「ローテ・ローゼ」。赤いバラという名にふさわしく、赤毛のレディである。
その牝馬を見た途端、すぐに気にいった。ローゼは、わたしの短い髪をハムハムしてスキンシップを取ってくれる。それがまた可愛い。
さっそくレッスンを開始したけれど、ローマン様は厳しかった。
先生に教えてもらうこともまた、初めての体験。
お姉様の先生たちは、お姉様にすごくやさしかった気がする。
どの先生も、お姉様のさまざまなわがままにふりまわされていた。拭き掃除や掃き掃除をしているとき、そんな様子を見たりきいたりした。何十回と見聞きしたけれど、真面目に授業をしているところを見たことがなかった。
訂正。ひとりだけ、お姉様の美しさにも媚びにもまったく興味のない先生がいた。お姉様がどんなにさぼろうとしても許さず、授業を強行していた。が、その先生は一日でクビになってしまった。
じつは、わたしはその先生に読書を勧められた。そのとき、わたしはまだ五歳か六歳だった。文字や数字の表をそっと渡してくれた。
『ブラントミュラー伯爵家の図書室には、子ども向けの話から大人向けの小説や専門書まで、さまざまな分野の書物がたくさん揃っている。それを読みなさい。ご家族は、図書室にある本にはまったく興味はなさそうだが、きみはきっと本を読むことが好きになる』
それから、そう言ってくれた。わたしは、それを実践した。
いま、その先生のアドバイスに従ってよかったと実感している。先生に教えてもらったり学校に行っていなくても、文字や数字がわかるだけでなく必要最低限の知識はあるのだから。
それはともかく、他の多くの先生が厳しいのかやさしいのかはわからない。でも、とりあえずローマン様は厳しかった。それも、かなりである。
「馬に乗るということは、わが身の危険だけでなく馬にとっても危険な場合がある。どちらもが楽しくすごす為には、いい加減な気持ちや態度ではダメだ。危険を招くだけだから。気を引き締め、集中して乗ること。その上で楽しむ。このことを忘れてはならない」
ローマン様は、そのように何度も言う。
とはいえ、厳しいけれど要領よく教えてくれる。三日間みっちりレッスンしてもらったら、馬場内をグルグル駆ける程度には乗れるようになった。
そのタイミングで遠乗りに出かけた。ちょうどドレスの一部と乗馬服が届いたので、それを着用して領地内を案内してもらった。
ローマン様とクルトさんは、ゆっくりではあるけれど様々な場所に連れて行ってくれた。
ブラントミュラー伯爵家の敷地内からほとんど出たことのないわたしにとって、ガイスラー公爵家の穏やかな土地やきれいな景色を眺めるのは、新鮮だし癒される。
そうして領地内を巡っていると、町や村の人たちもまた街の人たち同様ローマン様のことをとても尊敬しているのだと実感する。
「たいていの領地では、領主のことを領主様とか爵位で呼ぶ。しかし、ここは違う。みんな、ローマン様のことを親しみをこめてローマン様と呼ぶんだ」
クルトさんがそう教えてくれた。
町や村の人々だけではない。彼らと接するローマン様もまた、彼らを尊敬しているように感じる。
ガイスラー公爵領の人々は、ローマン様のもとしあわせで充実した日々をすごしているに違いない。
遠乗りがてら領地内を巡るたび、それを実感する。
その日もまた、三頭の馬はいつものようにときには並び、ときには前後して街道をゆっくりス進んでいる。馬車同様、乗馬もまた心地よく揺れる。だけど、ここで居眠りしたらぜったいに転がり落ちてしまう。ローマン様の教え通り、わたしが大ケガをするだけでなくローゼもケガをするかもしれない。
ダメダメ。気を引き締め、集中するのよ。
ローマン様の言葉を、心の中で何度も繰り返す。
「領地内の多くの人たちは、穏やかで不自由なく暮らしている。だが、すべての人たちが満ち足りた生活を送っているわけではない」
そんなわたしのたるんだ心を咎めるように、ローマン様が口を開いた。
「見ろ」
ローマン様は、いかつい顎で民家の立ち並ぶ一角を指した。
ある民家の前で、子どもたちがケンカをしている。
(ケンカ、ではないのかしら?)
よく見ると、粗末な衣服を着た兄妹らしき二人を、他の子どもたちが囲んで揶揄っている。




