姉の身代わりで嫁いだ相手に拒否される
「あれほど妻などいらぬと断ったのに、送ってよこすとはな」
あからさまに舌打ちをされてしまった。
「レディ、きみも災難だったな。こんな怪物公爵に嫁がされて。だが、安心しろ。おれは妻を迎えるつもりはない。迷惑なだけだ。それは、きみも同じだろう? きみもいやいやここまでやって来たのだろう。もういいから、帰ってくれていい」
「怪物公爵」と怖れられる人は、ほんとうに大きな人である。見上げるほど大きく、髭だらけでいかつい。しかも右目が潰れていて、とにかくその呼び名がピッタリな人である。
「ローマン様。それはあまりにもひどい対応です。この度の婚儀は、国王陛下と王妃殿下のご希望なのです。それを断られますと……」
「ヨハン。陛下や王妃殿下の機嫌を損ねると言いたいのか? かまうものか。いまさら機嫌を損ねようが怒らせようが知ったことではない。そんなことより、いいかげんバカ王太子が飽きて捨てたレディをおしつけるのをやめてもらいたいものだ」
「ローマン様っ! いまのは陛下と王妃殿下と王太子殿下だけでなく、こちらのレディに対しても失礼がすぎます」
「フンッ! 地位に目が眩んで結局、バカ王太子に捨てられたレディではないか。それが失礼がすぎるだと?」
「ローマン様ッ!」
「あの……」
わたしのことで揉め始めた二人に恐る恐る声をかけた。
わたしごときのことでケンカをしてもらいたくない。
だけど、このままだと路頭に迷うことになる。
「なんだ?」
「怪物公爵」に睨みつけられてしまった。だけど、それほど怖くは感じられない。
「申し訳ありません。じつは、わたしは違うのです。王太子殿下の地位に目が眩み、結局王太子殿下に捨てられたのは姉なのです。わたしは、姉のかわりに参りました」
お父様とお母様とお姉様には黙っていろと言われた。ぜったいに身代わりだということを告げてはならない。バレてはならない。隠し通すようにと、何十回も言われた。
しかし、だれかをだますなんて出来そうにない。それに、嘘やごまかしはいつかはバレてしまう。どれだけ隠そうとも、いずれは知られてしまう。
だったらだまさないこと。隠そうとしないこと。嘘をつかないこと。ごまかさないこと。
「身代わり、だと?」
「怪物公爵」と彼の執事のヨハンさんは、困惑したように顔を見合わせた。
「こいつは驚いた。いらない嫁をよこしたかと思うと、その嫁は身代わりなわけか。というよりか、生贄みたいなものか? 『怪物公爵』に対するな。なるほど。ブラントミュラー伯爵令嬢といえば、器量はいいがずいぶんと性格が悪いときいている。考えてみれば、そんなレディが素直にここに来るわけはないな。今回ばかりは、バカ王太子も持て余しての婚約破棄なのだろう。陛下と王妃殿下は、そのレディを王都から追い払いたかったに違いない」
また睨みつけられてしまった。
「身代わりだろうと生贄だろうと、おれの態度はかわらん。どのようなレディであれ、二度とごめんだ。愛するとか大好きとか、そういうものは虫唾が走る」
「ローマン様、いくらなんでもレディがかわいそうすぎます」
「知ったことではない」
「あの……。何度も申し訳ありません。その、ここに置いてもらえないでしょうか? いえ、働かせてもらえないでしょうか? なんでもやります。多少のことは出来ると思います。お願いします」
恥も外聞ももとからない。それをいうなら、プライドも。
わたしには、なにもない。
「『なんでもやります。多少のことは出来ると思います』だと? フンッ、どうだかな。ヨハン。適当にこき使ってやれ。すぐに音を上げて逃げだすだろう」
彼は、そう言うとさっさと居間を出て行ってしまった。
「よかったですね、レディ」
そう声をかけてくれたヨハンさんの顔には、とてもやさしい表情が浮かんでいた。
そんなやさしい言葉や表情に接したのは初めてかもしれない。
気がついたら、目に涙があふれていた。
止めようとしても止めることが出来ず、一滴二滴と頬を伝う。
「おやおや、大丈夫ですか?」
初老のヨハンさんに心配をかけてしまった。
「申し訳ありません」
泣き笑いしながら謝罪していた。
この日、わたしは姉の身代わりで嫁いできた。だけど、妻としては不要だった。だから、働かせてもらうことになった。
家族からやっと自由になることが出来た。
第二の人生を歩むことが出来たのである。
それがたとえ嫌われ者として働くことになろうとも、いままでの虐げられ、蔑まれ続けた人生よりかはマシかもしれない。
きっとマシなはず。
マシでなかったとしても、嫌われたり虐げられたり蔑まれることは慣れている。
だから大丈夫。
がんばろう。一日でも長くここで働くのよ。
そうかたく決意した。