9:そんなわけで仮婚約です
今話から暫くはアリア視点とラトル視点の両方で話を進めます。
アリア視点
***
「どういう事でしょうか」
静かな声音が我が家の応接室に響く。声の主はゼフ男爵。問われたのは、お父様。
「今、言った通りです。この前の茶会で娘のアリアがご子息の事を気に入ったようで。婚約をしたい、と」
「揶揄うのはお止め下さい。フォードネス伯爵家のご令嬢が愚息と? 有り得ません。フォードネス嬢。あなたのお遊び感覚で愚息とはいえ、我が息子と婚約しよう、などと言うのは辞めてもらいたい」
キッパリとゼフ男爵が申して来ます。あー、つまり、なんか毛色の変わった令息ね、感覚で婚約者になれ、と言っていると思われているのですね。どうしましょうか。
「ふむ。ゼフ男爵。そのように受け取ったか。もちろん、爵位を笠に着て婚約を押し付けるつもりは此方もない。だが、どうだろう。ゼフ男爵令息と我が娘の2人で話し合いの機会を持たせて貰えないだろうか。その上でゼフ男爵の子息が娘を拒絶するならば、諦めよう」
お父様がそのように提案します。爵位を笠に着る事は無い。つまり無理やり婚約は結ばない、とフォードネス伯爵が口にした事で、ゼフ男爵も流石に言い過ぎた、と思われたようで渋々頷いて下さりました。わたくしはゼフ男爵令息様をお庭に案内します。このくらいは予想範囲内です。ちょっと傷ついてますけども。
お父様は、ゼフ男爵に経緯と仮婚約の話までして下さるはずで。わたくしも、仮婚約の話をゼフ男爵令息様にするつもりです。
「フォードネス嬢。先程父も伝えましたが、婚約はお断りさせて頂きたい」
予想通り、婚約は拒否されました。
まぁ、そうだろうなぁとは思ってましたけれど、ちょっと傷付きます。いえ、ゼフ男爵令息様が悪いわけではないですし、勝手に傷付くわたくしが悪いのです。
でも、婚約を拒否する理由は聞いておく必要があります。多分、コレかな? という予想は有りますけど、合っているか解りませんし、わたくしがどれだけ予想しても、それがゼフ男爵令息様のお考え、では無いのです。話し合ってみて初めて相手の思う事が解るのですから、予想通りだとしても、決めつけてはいけないのです。
「理由をお聞かせ下さいませ」
「揶揄っているのでしょう?」
やはりゼフ男爵令息様はそのように勘違いされています。わたくしはゆっくりと首を振って、殊更にゆっくりと口を開きました。彼の顔は見ずに話します。
「先日のお茶会。わたくしのお茶会デビューでも有りました」
ゼフ男爵令息様は、返事も有りませんが聞いてくれているのは雰囲気で理解出来ます。
「あのお茶会には、幾つかの思惑がございました。一つ。わたくしに友人を作ること。一つ。わたくしの婚約者候補を集めること。一つ。わたくしの目を養うこと」
「目を養う……? 他の二つは理解出来ますが……」
思わず、と言った風な口調で問われます。
「わたくしはフォードネス伯爵が娘。法の番人の娘、なのです」
息を呑む気配を隣から感じて、やはりこの方は聡明な方なのだ、と理解しました。この一言でわたくしの目を養うことで、わたくし自身に危険と安全を覚えさせるものだ、と。とても足元を掬われやすい立ち位置に居るのだ、とご理解されたようです。
「ですから、わたくしは挨拶だけでなく少し踏み込んだ会話もするように心掛けていました。まぁ何人かの家の方とはそれなりのお付き合いをする、と話した所、家族からも了承を頂きましたが」
此処で言葉を切れば、隣から成る程、と呟く声が。
「そしてわたくしは、あなた様方の様子に気付きました」
どんな様子、というのは言わずとも理解出来たのだろう。
「少し様子を見ていましたら。あなた様は先ず、爵位を気にせずに同じフォードネス家に招待された招待客同士として、彼らに諫言をしておりました」
隣から、穏やかでない気配が少しして来ましたが、気にせず言葉を紡ぎます。
「ですが、その諫言は振り払われました。それどころか爵位を笠に着た発言。ですから2度目は爵位を理解した上で発言されました。そしてそれも振り払われた上に、寧ろ爵位によって彼方はあなた様だけでなく、あなた様の家族にも悪意を向けられました」
「……っ。情けない所を」
隣から振り絞るような声音がしました。チラリと横目で見れば、鈍色の髪の毛先がふるりと揺れています。同じ色のまつ毛が芯を感じさせる強い色ーー黒の目を隠しました。
「いいえ。あなた様が拳を握って黙った姿を見て、この方は目の前に居る方達よりも、きちんと立場をご理解している、と判断しました。あなた様は、最初からメーゼ子爵令息様よりご自分の爵位が下だと解っていた。それでも、我が家が爵位を気にせずに招いていることは、お茶会の顔ぶれを見れば理解出来ること。故に、同じ招待客で有る、という対等の立場で最初にメーゼ子爵令息様を諫めた。それに対して彼方は、そんな事も理解していない発言をした。だから次にあなた様は、爵位の差を理解しつつも、同じ“令息”の立場として申し上げた。それすら彼方は拒み。権力を振り翳した。故にあなた様はご家族のために黙ってしまわれた」
そこまで話してようやくわたくしは彼を見ました。ゼフ男爵令息様は驚いた顔でわたくしを見ます。その目から目を逸らさないように、わたくしは言葉を続けました。
「そして、わたくしはあなた様に興味を持ちました」
「興味」
「ええ。わたくし、実は恋をしてみたい、と常々思っておりましたの。尤も伯爵家として生まれたので政略結婚をお父様から命じられれば、それに反対する気は有りませんでしたが。ただ、今のところお父様は婚約者を作る気は無かったようですので、それならば、興味を惹かれたあなた様と婚約しても良いか、と思いましたの」
「つまり、俺は興味を持った玩具ですか」
「そういう風に捉えられると否定しますわ。あなた様が聡明な方なのは、あのお茶会の日に解りましたので。親しくお付き合いしたい、と思いましたの。友人でも良いのですけど只の友人と婚約者でしたら、婚約者の方がお互いに世間体には悪くないと思いましたのよ」
「それは……そう、でしょうが」
まぁ確かに“フォードネス伯爵家”の娘であるわたくしと男爵令息では身分差が……とは思いますよね。逆の立場ならば、考えますし、裏が有るかと疑いたくなるでしょう。
「では、こうしませんこと? 実はお父様からも提案されていたのですが。きちんとした契約書を交わして国王陛下の承認を得て公表する婚約、ではなく。仮婚約、という形」
「仮婚約……。ああ、公表もしない。陛下にも報告して承認を得る必要の無い、でも一応の婚約者の立場……」
「ええ。お父様が、わたくしの夢である恋愛結婚をしたくなった時に、簡単に解消出来るように、と。もちろん、ゼフ男爵令息様にお好きな方が出来ても同じですわ。或いはゼフ男爵令息様かわたくしに政略的な婚約を結ばないとならない事情が出来た、とか。そういった事を考えて、仮婚約ならば如何でしょう?」
わたくしの提案にゼフ男爵令息様は吟味するように考え込みます。
「確かに互いにメリットがありそうですが。父の意向も聞かないと」
「お父様がゼフ男爵様にはお話されていると思いますわ。取り敢えず、戻りましょうか。わたくしは興味を惹かれたあなた様と婚約したい。其方は我が家の後ろ盾が得られる。そしてきちんとした契約ではないから、解消もしやすい。仮婚約はかなりメリット有るお話だと思いましてよ?」
わたくしは、ふふっと声を上げてエスコートをして下さるゼフ男爵令息様に笑いかけました。
ラトル視点
***
フォードネス伯爵家からのお茶会の招待状をもらった時は、こんな事になるなんて思ってもみなかった。
法の番人の異名を取る、裁判官を輩出することが多い伯爵家。それがフォードネス伯爵家だった。当主選定は実力行使、という事で。現当主には跡取りは居るが、その跡取りが当主になるかどうかは分からない。そんな家。父上は現当主と顔見知りだそうで、招待を無碍にする事も出来ず、母上と共に参加した。
俺の1歳下だという令嬢の茶会デビューだそうで。挨拶したら関わらないで良いだろう。
ライトグリーンの髪は柔らかな新緑を思わせ、太陽の光の加減で煌めくようにも見える金と茶の中間のような目の色は、宝石にも見えた。それが、フォードネス伯爵令嬢との出会いだった。
愛されて育った事がよく判るドレス、と母上が評価していた。どうやら常に流行を生み出すデザイナーの店のドレスだとかで、正直なところ小金持ち程度では支払えないような額のドレスなのだと言う。フォードネス伯爵家の裕福さも知れるだろう、と。
外見も白い肌にちょっと低めの鼻でややぽってりした唇をした美しいというよりは愛らしいといえる少女。それくらいの認識だったのに。
メーゼ子爵家のバカ息子……もとい、令息の所為で俺は彼女に謝罪を受ける事になってしまった。本当ならば此方が謝罪する立場だと言うのに。後日お詫びの品を、と言われて執事が本当に持って来た時には父上共々丁重にお断りした。が、直ぐに直接会う段取りをつけられて、こうして本日再びフォードネス嬢と会う事になった。
……と思ったら。
フォードネス嬢との婚約とか言われた。
お茶会の一件の謝罪(俺ではなくてメーゼ子爵令息が悪いはずだが)を強要される、とか。詫びの品を受け取り拒否したことの理由を説明しろ、とか。
俺も父上もそんな事を想像していたから、予想外で、俺は頭が真っ白。父上も後から聞いた所、ちょっと意識が飛んだらしい。ただ、直ぐに我に返って父上が思ったのは、こんな揶揄いは侮辱ではないのか! という怒りだった、と。
まぁ揶揄われたって思うよな。俺だって思った。
まぁ爵位は上だから揶揄われていると思っても、怒れないから父上は断るだけにしたのだけど。そこからどういうわけか俺とフォードネス嬢の2人(侍女や護衛は居るけれど)にさせられ、父上はフォードネス伯爵と話をすることになり。
俺は渋々、そして辿々しくフォードネス嬢をエスコートして、あの隣国から取り寄せたチューリップが咲く庭へ向かい、彼女の本音を聞かされた。
つまり。
冗談とか。揶揄いとか。ましてや嘘などでは全然無くて。
本気で彼女は、俺と婚約したい、らしい。
素直に恋をしてみたい、と言った。
でも、俺に恋したとまではいかない。だが、興味を惹かれた、と。そこまで言われても信じられなくて。興味を持った玩具か、とまで自分を卑下したのに。彼女はそうではない。俺を聡明な人だ、と肯定してくる。
なんだか擽ったい気持ちにさせられる。
だって、身分は彼女が上で。彼女は法の番人の異名を取るフォードネス伯爵一族の当主の娘で。婚約者など選び放題とまではいかないが、同じ領地を持たない貴族だけど、男爵家の嫡男という事しか取り柄がない俺を、聡明だ、なんて言うから。
でも、一方でまだ彼女を疑う気持ちがあって。多分、彼女はそんな俺の気持ちに気付いていたのだろう。
「仮婚約」
の一言を持ち出して来た。
陛下に報告をする必要が無く。きちんと交わした契約書も不要で。だから王城へも連絡をしなくていいし、お互いに合わなければ、解消もしやすい。互いに政略的な事や他の事情で別の相手が出来た場合も解消は簡単だろう。
ただ公表が出来ないから、婚約していないのに親密な付き合いは出来ない。
でも、デメリットはそれくらいだ。後は慰謝料の発生は無いかもしれないな。きちんと交わした婚約では無いから。
だが、これだと、此方にメリットが多くないか?
俺が考えてもそうとしか思えない。ただ、仮とはいえ婚約なら父上の意向を確認しなくてはならない。そう言ったら、フォードネス嬢は悪戯っ子のように目を輝かせて、フォードネス伯爵から父上に説明をしているはずだ、と言った。つまり最初から落とし所は仮婚約だったらしい。なんて周到な。
さすがはフォードネス伯爵とその令嬢と言うべきだろうか。
ただ、それを打ち明けて父上達の元に戻ろうと明るく笑う彼女を見て。
可愛らしい、と思うのと同じく。なんだか胸が騒ついて一体どうしたというのだろう、と自分の事ながら内心で首を傾げる。彼女をエスコートするために差し出した手に乗せられた彼女の小さな手も、なんだか胸を騒つかせる。
そうして、俺達が戻ると、どうやら父上もそれなら……ということらしくて、俺の気持ちを確認した上で、俺達は仮だけど婚約した。
この時、俺は正直な話、興味を抱いたって事だから、興味が無くなれば仮婚約も無くなるだろうと思っていたし、簡単に彼女の興味が無くなるだろう、毛色の違う男が気になったくらいだろう、とタカを括っていた。
それなのに、誕生日どころか、2ヶ月に1度の交流が無くなる事もないし、折に触れてプレゼントもしてくる。それも俺が何となく気に入った、と口にした物をプレゼントしてくるし。
だからと言って金を掛けるばかりじゃなくて。辿々しいこう言ってはなんだが、歪な剣の刺繍のハンカチとか。剣の刺繍は男に渡すには当たり前のデザインだ。後は家の紋章とか。侍女や料理長の手を借りてクッキーを作ったと言って渡してくれた。少し焦げたクッキーは自分で食べた、と失敗談付きで。
俺が何をあげれば良いか分からなくて庶民の花屋で適当に見繕ってもらった花束を嬉しそうに受け取って、その後に会った時は数本押し花にした、と俺に嬉しそうに報告してきて。侍女と一緒に作ったとそれを得意そうな顔で見せて来た。
交流する場所は、いつも俺がフォードネス伯爵家に行くと、婚約者でも無いのに、とそれはそれで噂になるから俺の家に来た事も有るけど、大抵は王都の図書館で。図書館のロビーで本の感想を話す人とか居るからそれに合わせて話をして、図書館で本を読む。さすがにプレゼントを渡すのはどちらかの家に行った時。
ただ、お茶が出来る空間で作ってきたクッキーを食べたり、刺繍したハンカチをもらったり。それくらいはしていて。図書館だからか変な噂にもならないし、何より全然フォードネス嬢は俺に飽きた、と言わない。
そうしていつの間にか3年の月日を過ごしていた。
お読み頂きまして、ありがとうございました。
活動報告にコメントを下さった方々ありがとうございました。おかげさまで、副反応の辛さが落ち着きまして、本日更新再開させて頂きます。熱の上がり下がりと息切れが凄くて辛い4日程でした……。