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12:仮婚約の解消を申し出ました

アリア視点


***

ララス家の屋敷を出て直ぐの所で、多分内心は混乱しているだろうラトル様を見て苦笑します。そんなに直ぐに受け入れられるとは思ってなかったから、この反応は寧ろ予想内。そしてわたくしは。


「仮婚約を解消しましょう」


と、申し出ました。


「なっ……何故だ」


「ラトル様が受け入れられるかどうか、それは解りませんけれど。直ぐに理解出来るとは思っていません。どうしても時間を置く方が良いでしょう? そして、時間を置くならば、わたくしとの仮の婚約時に結んだ“月に一度は必ず会う”という、わたくしの条件は守れないと判断したのです。わたくしは……先程もお話したように、リリーの記憶で、いつも婚約者から待たされる惨めな気持ちを持っています。それはリリーの気持ちですが、わたくしの記憶でも有りますから。会えないと解っているのに、期待してしまうのは……辛いのです」


「それは、リリー嬢はパテレス子爵令息を好きだったという事?」


「いいえ。先程も伝えました通り、トマス様との婚約は汚点です。好きより嫌いでした。


でも、多分、幼なじみだったから何かしらの情は有った。だから来ないかもしれない。でも来るかもしれない。そう思いながら待っている日々を送り……遅刻して来た時に、まともな謝罪も出来ないトマス様に、更に嫌悪が増しました。来ない日もまともに連絡を寄越さないトマス様に呆れ……その繰り返しに疲れていて。挙げ句、婚約破棄を申し出られた時には何らかの情も消え失せていました。

でも、婚約解消と破棄では全く違う。破棄ではされた側に何かが有ったと示すようなもの。だから。婚約を解消出来た時は何より安堵したのです。もう、疲れなくていい、と。だけど、アリアとして生きて来て。リリーの記憶を思い出して。


ラトル様はトマス様と違う、と理解しながらも会えないのに仮でも婚約を続けている事は、わたくしが思う以上に、わたくしの負担になっているみたいで。ラトル様が受け入れられるか受け入れられないか、その判断をして下さるのを待つ事すら、今のわたくしには出来ないのです。わたくしの我儘で、あなた様と仮婚約を結んだというのに、やっぱりわたくしの我儘で、あなた様との仮婚約を解消したい、と言い出してごめんなさい。あなた様に時間が必要なのは承知しております。だけど、それを待つ事が出来ないわたくしを、許せとは申しませんが、受け入れて欲しいのです。


こんな心の狭いわたくしを責めて頂いて構いません。そんな情すら浮かばないかもしれないですが。弱いわたくしは……待つ事が出来ないのです。だから我儘を申し上げますが、仮婚約を解消しましょう」


「勝手だな」


「はい」


「こちらを振り回すだけ振り回して」


「……はい」


「俺を信じられない、か?」


「信じられる、信じられないでは……無いのです。わたくしが弱いだけ」


いつの間にかラトル様を見ている事も出来ずに、わたくしは視線を俯かせていました。わたくしの視界にラトル様の足や重たそうな本を持つ手が入ります。そして……ラトル様はそれ以上何も言わずに去って行きました。

踵を返された時から顔を上げたわたくし。

振り返って欲しいような、そのまま去って行って欲しいような。よく解らない感情に振り回されて。その背中を見続けました。


ーーもしかしたら、これでもう、ラトル様とは終わり、なのかもしれませんね。


いえ、もしかしたら、ではなく。終わりなのです。


だってわたくしから仮とはいえ婚約を申し出て成立させておきながら、結局わたくしの秘密を知られた事で、どんな反応をするか解らないラトル様を見る事も待つ事も出来ずに、仮の婚約を解消したい、と申し出たのですから。


もう、ラトル様と、なんの関わりも無くなったのです。


その事実は途端に、この3年間の記憶に飲み込まれました。互いに家名を呼び合っていたわたくし達。ぎこちなくても名前を呼び合う事を決めた日。それから名前を呼び合って、王都の図書館でこっそりと手を繋いだ日は胸が大きく鼓動を鳴らして、とてもうるさくて。その日の夜はなんだかいけない事をしてしまったような、そんな昂った気持ちで中々寝付けず。わたくしの好きな花。好きな色。ラトル様が好きな色。好きな食べ物。少しずつ少しずつ互いに知って。


ナッツの入ったクッキーがお気に入りのラトル様。お気に入りのクッキーが有ると、いつもよりも多くクッキーを口にして。

語学が苦手なラトル様は、国外の本を読み始めるとウトウト寝てしまい、図書館でそんなラトル様の姿を見て、胸をときめかせた事が有りました。

冒険譚の物語が好きで新作が出るとソワソワしながら図書館の新刊コーナーを見て回るラトル様は、こう言っては申し訳ないかもしれないけれど、とても可愛らしく思えて。


……ああ。

今になって気付きました。

わたくしは、いつの間にかラトル様が好きなのです。興味を持った方だから、きっと好意を持てるとは思っていました。でも今は。


好きになれそう。

そんな軽い気持ちでは無いのです。

この3年間でわたくしの生活の一部になっていた程、ラトル様の存在は大きくて。

わたくしの心がラトル様の事を想うたびに幸せになれていたのは。

全て全て。


ーーラトル・ゼフ男爵令息様が好きだから、なのです。


こんな状況になるくらいなら、何故もっと早くにリリーの事を話さなかったのでしょう。

いいえ。早くに話していたら、もっと早くこんな状況になっていました。

そうしたら、わたくしはラトル様を好きだ、と気付かなかったかもしれない。

いいえ、好きだと思わなかったかもしれない。

それとも……もっと早く、ラトル様を好きな気持ちに気付いたのでしょうか。


でも。どれだけ早くても、遅くても。きっとこんな状況になるまでわたくしはラトル様への想いに気付かなかった。そんな気がします。

そういえば、リリーの時に読んだ本の一節に。


失って初めて大切なものだった、と知った。


というものが有りました。何の本当だったのか忘れてしまいましたが、今ならこの一節の意味が理解出来ます。ラトル様を失って初めて、ラトル様を好きな気持ちに気付いたのですから。


「姉上」


どれだけララス家の前で立ち尽くしていたのでしょう。そっと呼びかけて来る声に振り返るわたくしは、ラークに微笑んでいられたでしょうか。いいえ。どうやら失敗していたようです。だって、ラークが悲しそうに目を逸らしたし、その向こうでわたくしを待つローレンスお兄様が、やっぱり悲しそうな目をしているのですもの。


「お兄様、わたくし、家に帰りたいです」


「……ああ。そうしよう」


ラークの気遣いにもナビアちゃんの気遣いにもハリーお父様とビアンカお母様の気遣いにもわたくしは気付きながら、それでもララス家ではなく、フォードネス家に帰りたい、とお兄様にお願いしました。また後日、訪ねる事だけ約束して、わたくしは帰りの馬車の中。何も言わないお兄様のお心遣いに感謝しながら静かに静かに涙を流し続けました。





ラトル視点


***

ーー何を言えば良いのか、解らない。


それが多分本音で、それ以外の言葉なんて何も無かった。


アリアがラーク・ララス殿と親しそうだった。ララス家をフォードネス家のように案内し、使用人にもごく自然に指示を出していた。……他家の者のはずなのに。そして語られるアリアの隠していた真実。


生まれ変わり、なんて誰が簡単に信じられると言うのか。その一方でそれが真実だとララス家の人達も、ローレンス殿も信じているように思えた。アリアの振る舞いも、使用人がアリアを「お嬢様」 とずっと呼んで来たように自然に呼びかけるのも、ラーク殿がアリアを「姉上」 と呼びかけてアリアも当然のように受け入れるのも、全部全部


ーーそんな荒唐無稽な話が真実である、と信じているようだった。


アリアは俺が信じていない事に気付いていた。信じていないどころか受け入れる、とも思っていないようだった。その事を否定出来ない事が俺の全てだと思う。信じられない話を受け入れられるわけがない。受け入れる振りでもしろ、と?

受け入れる振りをして欲しいならしてやる。だけどそんな事は一言も言われていない。振りを望んでいるわけじゃない。


それが解ったから、俺は何も言えなかった。


そう、言わないのではなく、言えなかった。何を言えば良い? 信じる、と? 受け入れる、と? そんなお伽噺みたいな話を? ララス家もフォードネス家も受け入れているから受け入れろ、と? 俺が心から信じた、受け入れた、と言えないのに?


そんな俺の気持ちをアリアは見抜いていて。

だから。

アリアは、俺に婚約解消を申し出た。

俺が混乱しているから。

そう言っていたけれど、多分違う。

俺が受け入れられると思っていないから。

俺が信じると思っていないから。

俺の拒否する気持ちを……アリアはきっと気付いていた。


アリア自身が解っている。

こんな事は有り得ない状況だ、と。それを受け入れられない、信じられない俺は悪くない、と。

でもきっと。

そんな俺を見たくないから、アリアは仮婚約の解消を申し出た。きちんとした契約では無いから、きっと簡単で。もしかしたら……こんな事も有るかもしれない、と予想していたから仮婚約という形を取っていたのではないか、とそんな考えに及ぶ。


俺はアリアを詰った。

初めての事だった。

勝手だ、と。俺を振り回して、と。俺の言う事を予想していたのか、それとも何を言われても仕方ないと思っていたのか、アリアはただ認めるだけ。受け入れるだけ。仮婚約とはいえ婚約者からこんな風に責められているのに、反論一つしない。アリアの父親は伯爵位を持った人だ。その父親にお願いすれば、俺の家・ゼフ家は潰される事は無くても落ちぶれるくらいにはなるだろう。

そんな事を頭のどこかで冷静に考えている。家の事を考えれば不利になるから止めろ、と警鐘が響く。


それなのに、俺はアリアを詰って。謝れもしない。


これ以上は何を言うのか自分でも解らなくて。

俺はもうアリアを見ている事も出来なくて逃げた。

ーー逃げたんだ。

あれ以上何かを言ったとして、それが罵倒だったとしても。きっとアリアは聞く。何一つ言い訳せずに。

そっちから仮婚約を申し出て来て、勝手に解消したいとか言うな! ふざけるな!

とか。

結局のところ伯爵令嬢が身分が下のしがない男爵家の俺を振り回して気が済んだから捨てるのか。

とか。

怒鳴っても自嘲してもアリアはきっと聞く。そしてそれを誰にも言わない。


ーー知っている。もう3年も仮でも婚約者だった。交流して会話して互いの好きなもの、嫌いなもの、アリアが望む学院生活、少しずつ少しずつ知った。だから、アリアが気紛れで俺を仮でも婚約者に選んだわけじゃない事も理解していた。爵位を笠に着るような令嬢じゃない事も、我儘とか傲慢とかそういう貴族令嬢じゃない事も。

俺はもう知っていた。理解していた。


……アリアを疑う事無く、その心を信じられていた。


そこまで俺は気付いているくせに、アリアから大切な話をされて逃げた。受け入れられない、とか。信じられない、とか。それも有るけれど。

俺が受け入れるまで、信じられるまで、待っていてくれない事が衝撃で。

いや、俺が受け入れられない、信じられないと思っている事が許せなくて。

……いいや。違う。本当はもっともっと単純な気持ち。


そんな大事な話を、俺には話してもらえずに黙ったまま、今まで通りに俺と付き合っていこう、と考えていた事がショックだった。何故ショックなのか。簡単だ。俺と一緒に居たいとか言っておいて、俺だけ仲間外れにされかけていたから。俺だけ何も知らされない所だったから。


婚約者と言っておいて、知らされなかったかもしれない話


それを俺は認めたくなかった。俺がアリアだったら、話せたのかと考えれば、解らない。アリアのように話さない、という選択を取っていたかもしれない。それなのに、アリアがその選択を取って、偶然にも俺が知らなかったら、一生知らなかったかもしれない事が悔しいのだ。

悔しくて狡くて許せなくて。

その根本は……ただの子どもじみた嫉妬だ。俺だけ仲間外れにされたかもしれない、そんな子どもっぽい嫉妬。

14歳にもなって何を子どもっぽい嫉妬をしているんだ、と誰かに言われれば何も言えない。本当にただ只管嫉妬しているだけ。


なんで俺が一番じゃないんだ、と。

なんで俺に教えてくれなかったんだ、と。


アリアにとって俺の存在はなんなんだ。

アリアにとってこの3年間はなんだったのか。

そんなどうしようもない、情けない、子どもっぽい嫉妬とちっぽけなプライドと素直になれない意地で。


俺はアリアから、逃げた。

お読み頂きまして、ありがとうございました。

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