10:あれから3年が経ちました
アリア視点
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わたくしは13歳を迎え、仮では有りますが婚約者のラトル様は14歳です。ラトル様は去年から学院に通っておりますが、わたくしは来年まで入学しません。我が国では貴族は必ず学院に入学する必要も無く。入学する年齢も決まっておりません。大体、令息は12〜13歳になられると入学する者が増えて来ます。大概は上位貴族です。下位貴族や上位貴族でもお金に余裕が無い家は、14〜15歳くらいには令息が入学します。それでも入れないのは、余程の事情が有ると考えられます。
令嬢は大体13〜14歳。若しくは15〜16歳くらいには入学させます。令息より遅い入学なのは、学ぶ量の違いでしょうか。ラトル様(3年の間には互いの名前を呼び合うようになりました)は、裕福な家では無いけれど、どうやらわたくしのお父様と同じ裁判官の道に進みたいそうで、早くから学びたい、とご自分のお父上様を説得されたそうです。お父上様は政務官ではないのか⁉︎ と驚いた後に嘆かけれたとか。でも、ラトル様の気持ちは変わらなかったみたいです。
ラトル様のお父上様は、あまり我儘を言わないラトル様のたっての願いという事で、元々は通わせるつもりは有ったから……と何とか金銭面のやり繰りをして、1年早くご入学が決まったそうです。元々は14歳になられたら……という事で今年の予定だったとか。ラトル様は学院に入って直ぐから、既に学院に通われている知人の令息様方にお聞きして、学院のお手伝いをしているそうです。先生方のお手伝いをする事で賃金を貰い、文具等を購入するお金に充てていらっしゃるとか。
そんなわけで、本日は学院の長期休暇中のラトル様と王立図書館で久しぶりにお会いしています。
「お久しぶりにございます、ラトル様」
「久しぶり、アリア」
「背が伸びましたの?」
「まぁ成長期だから」
久しぶりにお顔を合わせたラトル様は、入学前にお会いした時は、わたくしが少し顔を上に向ける程度でしたが、今は結構上に向けないとお顔が見えません。ラトル様の頭一つ分伸びた感じでしょうか。わたくし、小さいですわね……。
「お元気そうで良かったです」
「勉強は難しいけど、覚えるのは楽しいから何とかやってる。アリアは、来年入学予定だったよな?」
「はい。14歳で入学し、卒業の年は18歳の予定ですわ」
入学する年齢が決まってないのと同様に卒業する年齢も決まっていません。
ご自分で学びたい勉強をどんどん終えれば卒業される方もおりますし、勉強はこなしながらも人脈作りに重きを置いている方は長めに居ます。早めに卒業される方で凄かったのが、過去に12歳でご入学。卒業試験は結構難しくなっているそうで、ある程度の学力が無いと卒業試験の合格は出来ないそうで、大抵の場合入学してから4年から5年を掛けて覚えていく知識を、3年で覚えきって14歳という若さでご卒業された方がいらっしゃるそうです。
まぁ、我がフォードネス伯爵家の出身の方らしいですが。お父様の大伯父にあたられる方らしく、その方がフォードネス家の爵位を伯爵へと押し上げた方です。お父様の3代前だったか4代前だったか……の当主様ですわね。まるで生き急ぐように、人生を駆け抜けたとかで、お若くして亡くなられてもいます。尚、余程の事が無い限りは降爵される事は有りませんから、そこからずっとそのまま伯爵位を賜ったままです。
フォードネス一族の間では、フォードネス家の爵位を伯爵まで陞爵させるために生まれて来た人、と話題にされるようですが。わたくしはリリーの記憶が有るからか、もしかしたら元々病弱だったから、自分が生きた証に……という事も有り得るかもしれない、と想像しますが……まぁ真相はその方では無いので解りませんね。
「そっか……。1年早く、卒業する気はないかな?」
珍しくラトル様がわたくしに頼み事をされましたが……。卒業を1年早く、ですか。それは……どういう意味なのでしょう。
いえ、わたくしの自惚れでは無いなら、その、わたくしとの婚約を“仮”ではなく本当に結びたい、という意味に捉えられるのですが。
お父様曰く、わたくしが学院を卒業するまでは“仮婚約”のまま、ですから。もちろんラトル様もゼフ男爵もその事はご承知ですし。その上で学院を早く卒業して欲しい、というラトル様の望みは、わたくしの自惚れで無ければ、その……本婚約を結びたいって言うことではないか、と思うのですが。
わたくしの予想通りでいいのでしょうか。
いえ、わたくしは、もちろん嬉しいですけれども。でも勘違いだったら恥ずかしいですし。……いえ、わたくしがラトル様の事を好きかどうか、という事も有りますけれど、ラトル様がわたくしの事をどう思っているのかも解らないですし。此処は慎重に答えるべきでしょうか。
「1年早く、ですか?」
わたくしは首を傾げてみせます。ラトル様の本心が解らないうちに即答は出来ません。
「……いや、ごめん。アリアのことを何も考えずに勝手な事を言った。今のは無しにしといて」
「はい」
残念。
ラトル様の本心が聞けるかなって思ったのですけど。
「アリア」
「はい」
「約束、覚えてる?」
「はい」
仮婚約を交わした時に、わたくしとラトル様の間で約束を交わしました。仮だからこそ、互いに約束をする事で、互いの立場を尊重する事が出来るかもしれないから、というラトル様の提案をわたくしが了承した事が切っ掛けです。
ラトル様がわたくしに望んだ約束事はーー
「俺に隠し事は無し」
でした。
ですが、リリーの記憶を持つわたくしは、それを話しても良い、と思える程、仮婚約者になった頃は、ラトル様の事を信用していないのは確かで。それに、アリアとして生きて来て、その約束が出来ない理由も有りました。
それですので、わたくしはあの時お断り致しました。
「隠し事はしたくないですが。お父様のお仕事の都合上、わたくしも知り得ない事が有っても、時にわたくしは知っているフリをしなくてはならない事も有るのです。お父様からそう命じられて人を見極める事が有るのです。ですから知らない事を知っている。或いは知っている事を知らない。そんなフリをする事も有りますので、隠し事はしない、というゼフ男爵令息様の約束は守れません」
実際、お茶会を始める前から、お父様に言われて使用人達を相手に言葉は悪いですが、人を騙す練習も受けていました。
というのも、フォードネス伯爵は法の番人と言われる一族の当主。
裁判官で有る事から、その裁判を有利にさせようと企む人が後を絶たない事も多く、それ故に家族を人質にして言うことを聞かせよう、という人も中には居るのです。そのために護衛は雇っていますが、絶対、護衛に守られる、とは限らない。例えば誘拐されたとして、その時に裁判内容をわたくしは知らないけれど、知っているフリをして相手の情報を得る事をしてもらうかもしれない。若しくは世間で知られているような大事件の内容を知っているけれど、子どもである事を活かして知らないフリをする必要も有るかもしれない。
そういう事をお父様は教えて下さいました。ローレンスお兄様もそうやって身を守る術を身につけて来たそうです。
だから、わたくしは隠し事はしない、というラトル様からの約束事を断ったのです。説明をしてお断りしましたら、ラトル様は、身を守るために必要ならば仕方ない、とご理解を得られまして。
ですから、ラトル様からの約束事は
「俺に嘘は言わない」
というものに変更されました。
ラトル様が仰るのに。隠し事をしなくてはならない事も有って、それは俺に言えない事だろうから、だったら言える範囲でいいから、その代わり、嘘は付かないで欲しい、というもの。それなら……とわたくしは頷きました。
仮婚約者となった3年前の約束を振り返りながら、わたくしは改めて口にします。
「ラトル様に嘘は付きませんわ」
「俺もアリアとの約束をきちんと守る」
わたくしが約束を口にすれば、ラトル様は満足そうに笑ってから、わたくしからの約束事を口にしてくれました。
「もしも他に婚約をしたい相手が出来たら、破棄ではなく、話し合って解消にする。その為に月に一度は必ず会って互いに話し合いの機会を作る」
わたくしは「はい」 と微笑みました。
多分、ですが。
リリーの記憶を思い出して。別にトマス・パテレス子爵令息の事は何とも思っていませんが、引っかかったのは、何の話し合いも無い一方的な「婚約破棄」宣言だったのかな、と思います。
政略的な思惑も無く、けれど恋愛的な関係では無かったですけれど。
それでも、一応、リリーなりに何らかの情……多分、知人程度の、ですが……はありました。だからこそ、トマス・パテレス子爵令息の態度が酷いものでも、わたくしからは「婚約破棄」ではなく、お父様に当主同士で話し合ってもらう「婚約解消」を申し出ていたのです。
でも、お父様にはそれを受け入れられなかったのに、トマス・パテレス子爵令息はわたくしの気持ちやわたくしの事情など何一つ考慮せずに、「婚約破棄」を宣言したのです。
結果的にトマス・パテレス子爵令息側が悪かったものの、互いに話し合い納得して婚約解消にしましたが、下手をすれば、破棄を宣言されたわたくしに何か悪い部分が有ったから、婚約破棄を申し出られた、と世間に思われる可能性も有ったのです。
たとえ、わたくしの家で第三者が居なかったとしても、婚約を取り止めた以上は世間から少しは注目を浴びますし、それが解消ではなく破棄だったとしたら、わたくしもトマス・パテレス子爵令息も面白おかしく噂されていたかもしれなかった。
話し合う機会はいくらでも有りました。だって婚約者としての交流会を月に一度から2ヶ月に一度は有ったのですから、そこで話し合ってくれさえすれば。
たとえ夜会で見染めた相手が出来たとして、それを話し合う機会はいくらでも有ったのに、その話し合う手間を惜しんで勝手に婚約破棄を告げた。恋愛の情は無くともそれなりの年月を共にして来た情くらいは有ると思ったのに、あの方には、わたくし……リリーに対してそんな情など無かった、と言わんばかりの宣言。
それが引っかかったのだと思います。
婚約解消ではなく、婚約破棄になる事で起こる様々な事柄を全く考えなかった元婚約者の事が記憶に鮮明に焼き付く……いえ、焦びり付いていたからこそ、ラトル様への約束事は、話し合いをして互いに納得した上での婚約解消を願ったのだと思います。その為には月に一度、必ず会ってもらう。互いに話し合う機会を失わないために。
この約束事をお願いした時は、ラトル様は不思議そうな顔をされましたけれど、何も言わずに了承してくれました。それが嬉しかったです。
でも。
ーーいつか、わたくしはリリーの記憶が有る事を、ラトル様に打ち明ける必要性が来るのでしょうか。
ラトル視点
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長いような短いような3年で、俺はアリア、と彼女を呼び。彼女は俺をラトル様、と名前で呼び合うようになっていた。きちんとした婚約者でも無いけれど。仮の婚約者だから、それくらいは許されるだろうと思って。
俺とアリアは仮婚約者になった3年前に互いで約束事をしていた。俺は隠し事はして欲しくないなって、それだけの事だったけれど。
アリアは、その約束は出来ない、と断った。理由を説明してくれた時、正直言って、領地は無くても伯爵令嬢としてチヤホヤされて甘やかされて育った箱入り娘、だと勝手に思っていた事を恥じた。
アリアは、法の番人の一族の娘。
俺が考えた事も無い苦労をしていた。使用人相手とはいえ、時に人を騙す事が有るかもしれない、と騙す練習なんてしていた、という。でもそれは、アリアの身を守る術だと。
フォードネス伯爵だけではなく、その家族も罪を犯した奴から狙われる事が有る、と。アリアも幼い頃に1度や2度は誘拐されかけた事も有るという。
そういえば、アリアの外出には、護衛が1人や2人ではない事を思い出した。公爵家や侯爵家より多いかもしれない。そういった所でも多くて3人くらいなものだが、アリアは男性の護衛が3人。女性の護衛が2人。それと侍女を伴って外出する。尤も、近くでアリアを守るのは女性2人の護衛で男性の護衛は少し離れたところから、だったが。
そういう所からもアリアがただの箱入り娘だと思っていた所以だったけれど。実際に誘拐されかけた事が有る、とか。罪人に狙われそうになるのも良く有る、と聞かされれば、護衛が多いのも納得出来た。
そういった経験から隠し事をしなくてはならない事も有る、と言われてしまえば無理に約束出来ない。
俺とアリアには何の絆も無いから。だからこそ、約束をすることでお互いが信じられるものを、と思っての提案だった。
隠し事をしない、が無理なら。
当時の俺は11歳なりに知恵を絞って。
嘘を付かない、ということにしてもらった。
これなら、隠し事が有っても、「話せない」 と一言言ってもらえばいい。そして話せる事は嘘を言わないなら、俺はアリアを信じられるだろう。
その約束通り、アリアは隠し事をしなくてはならない件は「話せない」 と言ったし、俺もそれについて尋ねなかった。その代わり、話せる事は嘘は付いていない、とアリアは言葉を尽くして説明してくれた。だから、俺は今、アリアを信じられる。
アリアから提案されたのは
「他に婚約したい人が出来たらきちんと話し合って解消する。そのために月に一度は必ず会う」
というもの。破棄にはしないで欲しい、と。確かに破棄ではどちらかに有責が有る事になるし、大概はされた側に何かが有ったという事になりかねない。だからアリアの懸念は解る。
でも、10歳の女の子がこんな事を普通は言わないだろう、とも思っていて。少し不思議には思った。
だって、学院の女の子達なんて、婚約者が居る子は皆、幸せそうでフワフワと笑っている。婚約破棄とか、婚約解消とか、そんな事は夢にも思っていないような、それくらい婚約者のことを考えているみたいなんだ。
だって婚約解消をする事になった時のために、月に一度は必ず会う事を約束するなんて、考えないと思う。
もちろん、婚約者が居る子が全員そんな感じだとは思わないけれど。上位貴族の令嬢程、少し冷静になっている事もある。それを見ると、アリアも上位貴族だからだろうか……と思うけれど。
なんだかそれだけでは無いような気もする。
だからだろうか。
アリアに1年早く卒業をしないか、と自ら提案しておいて。アリアにそれをやんわりと拒否された時、やはり何か有る、と思ってしまったんだ。でも俺は。そこに踏み込んでいいのか分からなくて、結局その提案を自分で無かった事にした。
この時、アリアにもっと踏み込むべきだったのか。それとも踏み込まない判断が正しかったのか。それは俺にも解らないけれど。きっとまだ14歳の俺にはアリアの抱えている秘密を背負うのは重荷だった事を、アリアに見抜かれたんだと思う。
だから、あんな事になったんだろうな。
お読み頂きまして、ありがとうございました。