鳥籠の姫3(朱明視点)
「ん…………」
頬にかかる髪を指で後ろへ流せば、葵が身動ぎをして目を開けた。
「お帰り朱明」
「ああ」
気だるく身体を起こして伸びをした葵が、ふふ、と笑う。
「君の帰りを待つなんて、なんだか不思議だね」
言われてみれば、確かにそうだ。今までは葵の都合に従っていた俺が、こんな風に葵の待つ部屋に戻るようになるとは。
「こっちへ」
葵が自分の横を手でポンと叩く。
「休んだらいい」
長雨は終わり、瘴気の隙間からここだけを照らす陽が、薄く部屋を浮かび上がらせる夜明け。背中に朝日を浴びながら、白い寝間着を纏った葵が俺を誘う。
「…………………」
「うん?私は起きて朝食を頂いて来るから、遠慮せずに一人広々と眠っていて大丈夫だ」
寝台に俺が上がれば、葵がそう言いながら下りた。
そんなことだろうとは思った。
俺の顔を見てキョトンとした葵だったが「ゆっくり眠れ」と笑みを溢し、食事を用意させている続きの部屋に行ってしまった。
自覚はなかったかもしれないが、命じる形となった為に俺は抗えず寝台に横になった。
常に帯びていた堅さは鳴りを潜め、重荷を下ろしたように彼女は柔らかい表情を取るようになった。傷から回復し目が覚めた彼女が、勝手に拐ったと怒って逃げ出したらと思ったのは杞憂だった。
だが、なぜ何も聞いてこない?例えば夜、俺がどこに行っているかとか。皆に口止めはしている………しているが、彼女へのあまりに懇切丁寧な対応から期待の大きさが窺える。
いつかは葵に『女王の力』を奮ってもらうように頼まねばならないのに、言い出せずにいた。
全てを知った時、彼女が俺に何を言うか。
手に入れたと思ったのに、俺は葵を信じ切れていないということか。
目覚めた時、昼を幾分過ぎた頃合いだった。軽く食事を摂ると、葵の気配を追えば中庭が見渡せる部屋に着いた。彼女は他の魔の女に庭の植物について説明を受けていたらしく、興味深そうに相槌を打っていた。
「起きたのか」
こちらに直ぐ気付いた彼女が、窓硝子に添えていた手を下ろした。目で合図すれば魔の女が退出して行き、俺は窓辺に置かれたソファーに腰を下ろした。
「この世は面白いな。まだまだ私の知らないものがたくさんあるよ」
「来い」
まだ庭に関心を向けている彼女の腕を引くと、俺の胸に倒れ込んで来た。よく分からないのをいいことに裾の広がる蒼色のドレスを着せられた葵は、口調を除けば若い娘そのものだ。
「朱明、う……………」
信じられないなら、確かめたらいい。
見上げる彼女の腰を浚い、口づけをする。舌を絡めて翻弄して息が上がっている首筋に吸い付く。
「う…………んん」
思わずといった様にしがみつく娘は、もっとねだっているように見えた。
「やめ…………傷に響く」
「もう傷は閉じている。痛みは無いはずだが」
俺が与える行為に、頬を赤くしながらも結局は受け入れる葵に愉悦する。
華奢な鎖骨に顔を埋めれば、肌の下で激しく脈打っているのが分かる。一度唇を押し当てれば小さく喘いで良い反応を返す。
そんな女を、以前のようにどうして憎めるだろうか。
両腕で包んでやるように抱けば、当たり前のように身体を預けてきて手を回してくる。
「何を考えている?」
しばらくそうしていて、息が整った葵が静かで考え事をしているのだと気付いてしまった。
「まだ向こうの世のことが忘れられないのか?」
「……………私の生まれた場所だからね」
「忘れてしまえ」
今この腕にいる娘が本来の葵なら、自分を偽って生きねばならないような世は必要ない。
葵は向こうが生まれ育った場所だと執着があるようだが、俺にしてみればここが彼女の元々いるべき世なのだ。
「朱明、私はここにいていいのだろうか?」
馬鹿なことを。
肩に頭を凭れて呟く彼女に、溜め息が出る。いい加減諦めたらいいのに。
「葵、おまえは誰のものだ?」
「…………………私は君に捕まった。私は朱明のものだ……………と答えると思ったか?」
少し浮かれていたようだ。急に我に返ったような気分になった。
「まだ契約術は有効だ。だから君は僕の…………私の従魔のまま。私が君のものなんて有り得ない」
「ここから逃げることもできない癖に」
「確かに私は次元を開くなんて分からない。でも朱明に命じることはでき…………う!?」
手首を掴み長椅子に押し倒す。
俺の腕の中に囲われているくせに、言葉だけは減らない。そんな減らない口なら塞いでしまえばいい。
「俺のものだとまだ分からないなら、体から教え込んでやろうか」
「ん…………!」
噛み付くように口づけをし、労りを捨て肌をまさぐる。
「あ、んん…………」
露わになった肩に唇を這わせれば、葵は耐えきれないように熱い息を溢した。
「ま、まだ………私は、肌を許していない」
「…………………」
素直じゃない。言葉など、自らを偽る膜のようなものだ。だったら破いて暴いてやればいい。
「朱、明」
「……………そうやって直ぐ意地を張るな…………葵」
もはや彼女の言葉は無意味だ。呆れるように言えば、観念したのか葵は目を閉じた。
「おい、いつまで女に構って…………あ、お邪魔だったかな、うがあっ」
「貴様にはノックをするという気遣いも無いのか?ああ?」
全く遠慮せずに扉を開けた翆珀に為す術は無かった。かつてこれほどまでに奴に殺意を抱いたことは無い…………はずだ。
だが下位の魔の侵食が増してきていると言われれば、行かなければならない。
見送る葵の黒蒼の瞳を見た時、何となく予感めいたものはあった。
それは終わりのような始まりのような説明のつかないもので、俺は無視を決め込んだ。
後に、気がおかしくなる程に悔やむことも知らずに。




