主への反逆(朱明視点)
古びた鉄製の扉の前で手を翳せば、俺の魔力に反応して重々しい音と共に左右に開いた。城の片隅にある書庫は、普段はこうして魔力探知の鍵が掛かっている為に人の出入りはない。これは俺の母が仕掛けた鍵で、母と同等ほどの魔力を持つ者しか入ることはできない。もう随分ここに誰も立ち入ることは無かった為に、カビ臭さが鼻につく。
窓を一つ開けて、整然と並ぶ書物を探る。
ろくに読むことも無かったが、母が遺した書物だ。もしかすると女王の力に関して詳細に記述された物があるかもしれないと思い出したのだ。
下位の魔を従えることのできた女王、光紫。
生前、母は俺に女王のことを良く語っていた。彼女への憧憬、親しみ、それを越える妬みの滲んだ繰り返される昔話を俺は哀れんで聞いたものだった。彼女の語る女王は、女王であった時のことばかりで、人の世に渡ったことや、まして自らが殺したことには一切触れなかった。
母は女王そのものではなく、自分の思い描く女王の理想像だけを語っていたように思う。
葵。
邪魔が入る直前の、彼女の縋るような表情が目蓋によぎる。
そのまま拐ってしまいたかった。助けでも求めているかのようだったから。
なんとなく分かってしまったのだ。従魔として俺を縛っているくせに葵の方が、がんじがらめに縛られて身動きできないということ。
あれほどの力があるのだ。言葉で人間共を支配することもできるだろうに、きっと彼女は考えたこともないのだろう。家や生まれ、身分、親、そういった支配から抜け出せず、そこから抜けようともしない。無自覚に縛られた生き方を強制されている。
だが、俺を自分のものだと何度も告げるのは、彼女自身の望みだからではないだろうか。
葵は拒まずに所有印を受け入れて震えていた。契約術を言い訳にしながら、本当は俺自身を求めていると思うのは自惚れだろうか。
知らず、人と同じ位置にある心の臓の辺りを掻き毟るようにしていた手を、そのまま額に持っていく。
なんて愚かなのか、俺もおまえも。
利用されているのに逃れられないとは。
彼女の肌に唇を付けても、満たされたのは一瞬だった。足りないのだ、あの娘の何もかもを欲しすぎて。
一つ重い溜め息をついて気を取り直すと、また棚に目を滑らす。
あの娘の契約術という武装を取り払わなければ、彼女自身は得られない。
葵の契約術が女王の造り上げた能力の完成形だとするならば、女王を妬んでいた母なら対抗策を考えていても不思議ではない。どこかに手掛かりはないだろうか。
独自の書物に混じって、人の世の書物らしきものが棚に幾つかあるのを軽く目を通し、次の棚を探る。大体どんな内容の物がどこにあるかを思い出し、母の手記のある場所を見つけることができた。
どうせ心酔する女王のことを書いているのだと読む気も無かったそれを初めて手に取るとパラパラと捲る。
最初は二人が仲の良い友人としての日々を送っていたことが月に一度ぐらいの頻度で書かれていた。だが手記は突然数年間書かれずに白紙の頁が続く。
そして一言『許さない』とあり、また白紙。
次には、びっしりと書かれた頁。
『光紫は、もう私の知っている女王ではない。人間などに心を寄せるとは許しがたい。居場所を突き止めて必ず連れ戻す。だが抵抗する時は』
「…………言葉の力を無効にする術を造り上げた。その方法は………」
探していた記述に、俺は何度も読み返し方法を頭に叩き込む。
ふいに視界が暗転する。
「っ…………」
「また最初からやり直そうと思うんだ」
契約術で無理矢理呼び出されたようだ。
屈辱を受けた最初の地下室に、葵が肘掛け椅子に座っている。まるで玉座だ。
俺は手記を放り投げて嗤った。肘掛けに置かれた彼女の手が緊張できつく握り締められて、男のように振る舞っている割りに、頬を赤らめ唇を震わす女の表情をしているのを見てとったからだ。
「ちょうどいい、俺も試したいことがあったからな」




