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主従ではなく

 柔らかくそよぐ風は止んだ。夜の闇に流れの見えない川から小さくせせらぎが聴こえる。私はそれを耳にしながら待った。

 抱き締めたままの朱明は静かで、眠っているかのように動かない。呼吸は落ち着いていて、規則正しい鼓動を密着した頬に感じる。


 ふいに身体が揺れ、彼の腕がゆっくりと動き私の両肩を掴んだ。


 そしていきなり強い力で突き飛ばされた。


「あ、うっ!」


 地面に背中を打って痛みで息を詰める。


「…………………誰だ?」


 薄金の月を背にした朱明が、凍える眼差しを私に向けている。手をついて見上げながら、こんな時でも彼は綺麗だとぼんやりと思った。


「おまえは人か?俺に何をした?」


 初めて会った時のように、いきなり人の世に呼び出されたと思ったのか矢継ぎ早に質問が為される。混乱しているのだろう。


「………………さあ」


 痛い。分かっていたはずなのに、胸が抉られるような苦しさだ。


 朱明は、もういない。私と繋いだ縁は切れた。

 この男は私の知らない、私を知らない男だ。


「答えろ!俺に何をした!?」


 震える腕に力が入らずにいれば、襟首を掴まれて乱暴に引き摺り起こされる。

 あんなに熱を帯びていたというのに、私を睨む彼には余熱の欠片もなかった。


「………………夢でも見たんじゃないの?」


 クスクスと笑えば、奇妙なものを見るような顔をしている。仕方ない、自分でも抑えられないのだ。


 後から後から涙が溢れて止まらないのだから。


 この男は私に対して何も思うことのない魔だというのに、初めて会った他人以下の扱いを受けているというのに…………愛しいんだ。

 愛しくて、どうにかしてこの想いのまま彼に触れたいのに、もう許されないことが悲しい。

 自分で決めた結末だというのに、未練がましい自分が愚かで滑稽で、苦しくて苦しくて嗤える。


「………………朱明っ」


 涙でぼやける視界の中、目の前の者の名を呼べば、襟首から手が外されて地面に座り込んだ。


「俺の名を知っているのか?」

「……………………」


 知っているよ。全てではないけれど、君の美しさや思いがけない優しさまで。私を欲しがってくれたその唇も。


 いくら言ったところで今の彼には素通りするだけだから、私は答えずに嗚咽と共に名を唱えた。


「朱明………………朱明……」

「おまえ………………」


 手で顔を覆う情けない私の姿を、彼はどう思っているのだろう。俯いて首を晒して、このまま殺されてもいいかもと考える。


 けれど朱明は私を見て立ち竦んでいた。やがてジリッと一歩私の方へ脚を踏み出した気配がして、迷ったようにまた一歩後退したようだった。

 困惑の視線を頭に感じていたが、ふいにそれも消えてしまった。


「っ、あ……………!」


 気付いて顔を上げたら、朱明はいなかった。

 呆気ない別れに、また笑いが溢れた。私はどこかで期待していたのだ。


「フフ……………思ったより苦しい」


 悲しみというより絶望に近い。何もなかった最初に戻ったはずなのに、今になって既に私の心に住み着いて消えない存在を痛感する。

 もうこんなに恋しいだなんて。


 自らの肩を抱き締めて、私は初めて私の為に泣いた。闇に紛れて長い間涙を溢し、虚ろな心と引き換えに乾いた目蓋になる頃にふらりと立ち上がった。


 その脚で、家を目指した。

 長い距離を歩き続けて、住み慣れたはずの屋敷の前で立ち止まると夜更けにも関わらず明かりがついていた。


「あ、あなたは!」


 門番が松明の明かりをかざし私を見るや屋敷へと走って行った。


「葵!」


 直ぐに屋敷から人が出て来て私に駆け寄ってきた。よく見れば、靴も履かぬままの父と鈴音だった。


「葵様!」


 鈴音が私の頭を抱えるようにして抱き締めてくれ、その細くなった肩越しにやつれた父を見た。


「無事だったか」


 心配してくれたことが伝わり、私は重たい目蓋を閉じて頷いた。


「………………ただいま帰りました」

 

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