失うもの
身体中から力が抜けるようだった。父上に言われたことが信じられなくて、まるで現実感がない。
そんな私を痛ましそうに見たのは僅かで、父上は淡々と話す。
「おまえが生まれた時、男と偽ったのは利用されない為だった。女で唯一の跡継ぎと知られれば、おまえとの婚姻で血脈に神久地の力を手にしたい輩や、おまえ自身を操って権力を握りたがる輩が群がるだろうと安易に予想できたからだ。だから18の成人になる頃までは男として育て、その間に神久地家に婿として入っていただけるふさわしい伴侶を見定めようと思っていた」
「私は………………このまま内裏にお仕えするものとばかり……」
「担保だよ。おまえが女として生きるには時期尚早だった場合、出仕する身分と立場によっておまえを守るつもりだった。だがその必要はなくなった」
燭台の灯りが、ゆらゆらと揺れて見える。
「葵」と、星比古が優しく名を呼んだ。
「幼い頃そなたに助けられた恩が私にあるのを知ったそなたの父上から縁談の打診があったのは、ちょうど第二皇子である兄上の落馬事故の直後だった。それが第三皇子雪比古兄上の仕業で、私自身も命を狙われていることに気付いていたから、縁談の話は私にも有難い話だったのだ。そなたと夫婦になれば、入り婿になった時点で皇位争いからは退くことができ身の安全は保証される。またそなた自身も他者から干渉されることもなくなるだろう」
「………………最初から私が女だと知って近付いたのですね」
「ああ。だがそなたもたまにボロが出ていたぞ。いつ兄上にばれるだろうと内心ひやひやして見ていた」
乾いた笑みが浮かぶ。
自分なりに懸命に男として生きてきた。例え偽りだったとしても積み重ねた今までの人生が無駄ではないと思っていた。それなのに、私は父上に『守ってもらっていた』のだ。
父上の芝居の役を演じていただけだったのと何が違うだろうか。
私が膝の上に置いた拳を握りしめるのを、やや俯いた父上が見ていた。
「今この時に告げるのは、第三皇子様がおまえに目を付けて女だとも気付いていると推測したからだ。実際に昼間、おまえは第三皇子様に呼ばれたであろう?お陰で、おまえと懇意にしている星比古様に危害が及ぶ可能性が高くなったこと。何より星比古様がおまえとの婚姻を快諾されたことから話を進めることにした」
「黙っていて悪かった」
父上の言葉に付け加えるようにして、星比古が謝罪した。
「この縁談、最初は迷っていたのだ。こう見えて私にも野心があったからな。皇子でいれば皇位を継ぐ日もあるかもしれない。母上も口には出さなかったが、私にそれを期待していたことは薄々分かっていたし、兄上達に政治的な能力でひけを取らない自負もあった。だからまずは相手を知ってから決めようと、そなたに近付いた」
「星比古様、父上、この話………………決定なのですか?」
星比古の話半分も聞かずに問えば、二人は小さく…………だがはっきりと頷いた。
「既にお上にも話は届き、これを御許しになられた。もはや覆すことはならぬ」
「そう、ですか」
「それから、そなたの従魔のことだが………………」
ハッとして顔を上げれば、星比古が一旦言葉を切った。
「そなたはもう神久地家の能力を行使せずともよい。これからは女人らしく自由に生きたらいいのだ。そなたのことは私が一生守ると誓う。だから契約術を解き、あの男を解放してやれ」
「私は……………」
上手く言葉が見つからない。頭では分かっている。それでも……………
「葵、おまえに契約術の為に召喚石を渡したのは私だ。おまえが神久地家の『仕事』をするのに、水羽だけにおまえを守らせるのは些か心許なかったからだ。だがもう必要ではない。それにその魔……………話によれば、おまえに邪な感情を抱いているとか」
「そんなことは!」
「違うと申すか?私が何も知らないと思っているなら間違いだ。私は私なりに子であるおまえを守ってきたし見ていたのだ。我が妻が死ぬ間際に私に『子を頼む』と託してきてからずっと…………」
「……………父上」
関心がないのだと、憎まれているのだと思っていた。私がそう思っていただけなのだろうか。
「今まで、おまえが神久地家を盛り立てる努力をしたことは立派だった。女人となっても家の為を思うなら、従魔は捨てるのだ。そして女の責務として後継を産むことで貢献してくれればよい」
神久地家は、私の後に誰が継ぐのかと考えたことがなかったわけではない。こうなることも頭にあったはずだ。だが父上に問わなかったのは怖かったからだ。自分を否定されて、いずれ必要とされなくなるのではと。
実際は否定されるどころか、女としての私を認めてもらえた。
それなのに喜べない。ただ空虚な脱力感が占める。
「葵、異存はないな?」
拒むことの許されない父上の強い口調。
今まで家の為に生きてきた。どうして拒めようか。
「………………慎んでお受け致します」
ただ、我が従魔に心から伝えたい。
『君を、僕に縛り付けてすまない。自由になれ』と。




