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生温い水

 翡翠色の椀には、地下深くから湧く清水が注がれていた。透明な水面がゆらゆらと椀の色を揺らしている。

 良く冷えているのだろう。ひんやりとした椀の縁を唇に宛て、傾けて一口水を口に含んだ。

 こくりと喉を潤わせ、自らの唇に触れる。


 腹立ち紛れに乱暴に合わせられた唇から強引に水を移されたことが思い出された。

 何もかもが熱くて呑まれそうだった。


「葵、どうした?」

「………………………何でもありません」


 両手で顔を隠したまま、こちらを見ている星比古に答える。


 あくる日は厚い雲が覆って陽は翳っているが、相変わらずの暑さは変わらない。むしろ蒸し暑さが増していた。

 今日は、本来の目的である皇祖の社へと詣でる為に朝から宿を出立していた。

 その道中、小休止の為に行列は停まっている。


 事前に用意された冷水が振る舞われ、参拝客で賑わう社前町の店の者が、これ幸いと甘味や土産を広げて売り歩いていた。

 長い間牛車に乗って強張った身体を解したくて、一旦下りて手ずから寒天でできた冷菓子を買って、再び乗り込み寛いでいる。


「昨日から変だぞ。のぼせたと言っていたが、やはり何かあったのではないか?」


 星比古の手の甲が、女の格好をした私の長い髪を耳に掛けるようにする。


「何でもありません。お気遣い頂きありがとうございます」


 私はどうしてしまったのか。

 昨日の出来事が頭から離れない。あの時の朱明の言葉や眼差しや触れた唇さえ、まざまざと思い出されて心がかき乱される。


 何より、首や肩を吸われた痕が、まるで忘れることを許さないとばかりに鮮やかに残っていた。

 そこまでされれば私だって気が付く。


 朱明は、私を『男』としては見ていない。本当に知っているのかは定かではないが、いつからかなんて知るよしもないが…………


「これは何だ」


 星比古から目を逸らして物思いに耽っていたら、彼の指が髪を払い、つつっと首に触れた。

 ハッとして慌てて手で隠したが、見られてしまったらしい。


「……………あいつに、何をされた?」

「……………………っ、何も」


 低く抑えた声音で、星比古は『あいつ』と断定して聞いてきた。

 顔にぐんぐん熱が上がるのを感じて答えたら、彼の表情が更に険しくなった。


「そんなわけないだろう!何があった?」


 腕を掴まれて強い口調で重ねて問われて、私はその剣幕に驚いた。

 外にも聴こえたらしく、控えた者達がざわつく気配を感じた。


「星比古様、落ち着いて下さい、私は平気ですから。外に聴こえてしまいます」

「構わん。言え、何をされた?」


 私の身を案じてくれているのか。彼は良い人間なのだろう。


 憤る星比古を見ていたら、逆にこちらは次第に頭が冷えてきた。


「………………私が従魔相手に何かされるとでも?」


 くすり、と笑みを浮かべると、尚言い募ろうとする彼の手を振りほどいた。


「葵?」

「これは……………奴が刃向かおうとしてできただけです。勿論直ぐに灸を据えてやりましたので、あなたが心配するようなことは何一つございません」

「しかし………………」

「私は魔を従える神久地家の者です。彼らの好きにさせるはずがないでしょう?」


 そうして冷菓子の皿を星比古の前へと押し出して勧め、自分の菓子も小さな串で切り分けて口に放り込んだ。

 水気の豊富な菓子は、舌で崩れるぐらい柔らかかった。


「大丈夫なのだな?」


 煮え切らないといったように、星比古が念押しするのに頷く。


「ええ」


 逃げるように見えたかもしれない。星比古の探る視線を素知らぬふりをして菓子を食べた。


 でもお陰でだいぶ我を取り戻すことができた。


 次に朱明と会う時は、しっかり向き合わなければ。

 そして分からせるのだ。

『葵』は、主だと。誰のものにもならない存在だと。


 菓子を平らげて、椀を両手で持って残った清水を口に含む。

 ひんやりと冷たかった水は暑さに当てられて生温くなり、喉を滑っていけば胸の奥が疼いて痛んだ。











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