初陣
千手観音のお告げから三年。いよいよ元服の儀を迎えた松尾丸あらため田村麻呂。旅立ちの日は来た。新たな仲間とそして思わぬ出会いと、いよいよ戦いの火ぶたが切って落とされる。
「たーむらくーん、あそびましょーっ」
「あーとーでー」
「なんで」
家じゅうの者がニコニコしている。元服の、俺の晴れ姿を見るため、ではなく、ふるまわれる酒食への期待が百パーセントだからである。源じいはさっきからつまみ食いして炊事のおばちゃんにどつかれている。
「みなもうす、このことほぐほまれ、けうのひにぞ――」
「もう知らねえ古語は使わねえほうが楽だぞ、親父」
「うるさい、ケジメぞ」親父はもう酔っぱらっている。
「父上におかれましては恐悦至極。今日の良き日に賜りました御心を、ますますの文武修練で御奉じたてまつります。本日より『田村』の名、ありがたく拝命つかまります」
ちゃんと言えたな。まあ、夕べ百辺ほど練習したからな。
「主さま、烏帽子が逆ですよ」
「ひいい」
テンコが笑っている。もちろん晴れの席にキツネなんぞ呼べない。こういうしきたりのやかましい席に、ペットなど入れていいわけがない。
「ペットちゃいますよ」
「だまってなさい」
今はおなごの子供に化けている。最初に会った十一歳のときに、俺に合わせたらしい。なぜおなごなのか聞いてみたが、趣味です、としか答えやがらなかった。それにしても成長とかせんのか。
にしても、俺も大きくなった。日、一日と成長を感じるほどで、戴いた大人並みの大刀も違和感がない。
「重畳重ぅ畳ぅぷ、まことたくましやかなこと、げふ」親父はさらに酔っていた。
「知ってのとおりわが一族は阿知使主を祖とし、東漢氏より出でたる武門一筋の名家。天武聖皇おわしますとき忌寸の姓を賜いし」
「あー、長くなる?それ」
「もう、玄関にだれか遊びに来てるから、行くね僕」俺はとっとと席を立った。
「これ、またんかぁー」あー親父、ヘロヘロやん。
俺はもらったばかりの大刀『騒速』(そはや)をひっつかんで飛び出した。
「ごめーん、おまたせー」
「ひどいよー、あとでーって。約束したじゃないか」
「すまぬすまぬ」
「あれ?テンコちゃんは?」
「家で御馳走食ってる」
「あはははは」
俺は立派に(自称)元服し、今は名を『田村』と名乗る。坂上田村麻呂が正式だな。どれが名字でどこが名だかわからないが、親父がテキトーに「あーもーここの地名でいいんじゃね?」と決めたのでそうなった。
「式は終わったの?」
こいつは俊哲。百済王俊哲という近所の幼馴染だ。こいつも元服したばかりで、お互い名前を言い合うとき、くすぐったい顔をしてしまう。
「田村くん」
「いいよ、田村で」
「なんか中学生みたいだね」
「なにそれ」
このころのガキは、いいとこの坊ちゃんであれば大きな寺で学問とか武術とかを習うしきたりになっていた。が、おれらはいつもつるんで御影堂の裏あたりで剣術の稽古をしたり、子供は読んじゃいけない本を声をひそめながら読んだりしていた。
「ねえ、本当に行くの?」
「おう、なんか宿命ってやつらしいんだ」
「マジか」
俺が元服したら、鬼退治に行くことをこいつは知っている。最初は笑って本気にしなかったが、ある夜、こいつの夢の中にあの『千手観音』が現れて、「ぼく、じゃましないでね。じゃないとおねえさん怒っちゃうぞ」と気味の悪いことをお告げになったそうだ。
それからいつも懸命に剣の修業を助けてくれたが、ほんとうはテンコ(人間の姿の時)と遊びたがっていると知っているのはここだけの秘密ね。
「あー、また二人で変な本読んでるー」
「ち、違いますよテンコさん。ぼ、ぼくはただお兄さんとおはおはなしが」
噛んでるぞ、俊哲。テンコ、どっからわいた?
「おとーさんが、もう旅のしたくしなさーいって」
いつから妹さんになったんですか?テンコさん。おとーさんて、親父取り込まれてんじゃねえか。
「は、で、ではぼくはまた後ほど」
「マジついてくんの?やめとけよ俊哲。ケガしても知らねーぞ。てか、生きて帰れねーかも」
「ぼくは本気だ。少しでもきみのチカラに」
「あーわーった、わーったから」
「じゃあテンコさんも、のちほど」
「え、あたしも行くことになってんの?」テンコさん、シッポ出てますよ。
都をでてから四日が過ぎた。
「もー飽きた。帰ろーぜ」俺的に、も―無理。
「はやっ」ふたり同時。ステレオかあんたら。
「ちょっと、まだ半分ぐらいしか来てないのよ。そんなヘタレでどーすんのよ。ばかなの」
「ちょ、テンコさん言い過ぎ」
「あんたは黙ってなさいよ」
最近、テンコは偉そうになってきた。親父に気に入られ、すっかり家の中であれこれ仕切っている。いつだったか肩を揉まれ、にやけ切っている親父を見た時から、ああ狐憑きってホントにあるんだー、と気の毒になった。
東海道から少し外れ、『鈴鹿山、こちらです』『危険、鬼出没地帯』『地元名産、焼き蛤』などの看板が目につきだした。すすけた街道の端に小さな茶店みたいなのが見えた。
「あ、あんなところに可愛いカフェが。ねえお茶していかない」
女子高生か、テンコ。カフェってなんだ。
「相変わらずだな、ガキども」
「え、だれ」
「忘れたか? 道鏡だよ」
えーーーっ?
「死んだんじゃなかったの」
「まあ、いろいろあってな」
黒い着物は相変わらずだが、短い裾たけと、ちぐはぐな長い振袖を纏った長い黒髪の女がそこに立っていた。
「お師匠、支払いしてきました。あ、ぼうず、ひさしぶりー」
「坊主はおまえだろ。あいかわらずちいさいおじさんだな」
「やかましい」
樽海までいやがる。なにしてんだこんなところで、ってなんか昔言ったことなかったか。
「お前を待っていたんじゃないか」
俊哲は道鏡の大きく張った胸元を凝視している。児童視線保存の法則だ。
「そんなとこばかり見てるんじゃない」
俊哲はテンコに蹴られた。
都を左遷された道鏡は、あれから東国のけっこう大きな寺に着いて、観光したり食べ歩きをしていたそうだ。俺が鬼退治に行くと知った親父は、道鏡に俺の力になってくれるよう頼んだらしい。さすがに左遷の身では自由にはならないので、いっそ死んだことにしちゃえ、と謀って聖皇さまにまで報告したという。一般人ではこれほどないという位にまで登りつめたひとが、これほどまでにしてくれることに、俺は感動した。
「お前の親父には借りがあるしな」
「うまくいけば父上殿となかよーくしてくれるとの、お約束も頂いたようで」樽海が下卑た笑顔で補足した。
おとうさん、あんたというひとは。息子が鬼に食われるかってときに、そんなヤラシイ約束なんか。
「感動、返してくれ」
「なんのことだ?」
「じゃあ、あんたがあたしらの新しいおっかさん?」
ちがいます。ぜんぜんちがいます。おかあさんじゃありません。あなたもいもうとじゃありませんテンコさん。
「そうよ、よろしくね、って、んーーー誰?あなた」
「テンコです」(キ・ツ・ネ・の)ぽそぽそ
はーい、そこ、ないしょ話しなーい。
「ああー、大きくなったわね。あーんなにちっこくてフサフサだったのに」
「ん、フサフサって?」おいおい、俊哲が不思議そうに二人を見ているぞ。
「と、とにかく目的地はすぐそこなんじゃないかな?」と俺は話の方向を強引に変えた。
「ん?ん?」
悪いな俊哲。これが終わったらちゃんと話すからな。いまは大事な戦力が一人欠けても惜しいのだ。バレて屍になったおまえは、もう使い物にならないからな、堪忍してくれ。
俺と樽海が先頭立って歩き始めた。
「さあ、急ぎましょう。じき陽も暮れまする」
「樽海」
「あぁ」
「きびだんごいる?」
遠くから太鼓や笛の音が聞こえる。
「あれ、こんな山奥でライブかな?」
おれの眼には山の中腹辺りで、たくさんのかがり火とうごめく人影が映っている。
ライブってなんだよと全員突っ込みを入れたそうだったが、どうやら敵の本拠地らしく、みな緊張した面持ちでそれを見つめていた。
「こぞう、『羽黒』は持ってまいったか」
「こぞうじゃない。田村だ。もってきた」
「名字みたいだな。これを渡しておこう」
「ほっとけ。これはなんだ」
「たむちゃんとか呼んでいい?矢だ」
「だめにきまってるだろ。かわった矢だな」
「じゃたむりん。千手から預かった」
「ころすぞ。千手観音からか」
「おまえらやめろ」
千手観音から預かったというその矢は、一本一本が違う色に見え、それが七本あった。
「たった七本でどうしろと」
「しらん。預かっただけじゃ。それとこれも。おい樽海」
樽海に背負わせていた布包みを俺に押し付けると、道鏡はすっくと立ち上がり静かに、透き通る声でみなに言った。
「われわれはこれより死地に向かう。いかに不意を襲うも敵はつわものと知れ。ゆめゆめ油断めされるな」
粗末な丸太で組んだ柵の向こうに、何百もの魔物がうごめいていた。
このころの年表をみると、だれだれ天皇がだれだれなにがしかを追放し、なにがしかが自害しなにがしかが呪詛してだれだれが訴えた、みたいにドロドロしまくりです。実際、数年間でこんなことがあったら、もう都だって移したくなりますよね。むしろ鬼の方がさっぱりしている。力押ししてるだけで、呪ったり祟ったりしない。告げ口も陰口も言わない。自分の気持ちに正直に生きている。あれ?誰がわるものか、わからなくなりました。ちなみにはばかるわけではないのですが、本文中は天皇のことを聖皇と言い換えてます。こんな恥小説に失礼ですからね。




