ちがう世界が交差するとき
さまざまな陰謀も田村麻呂たちは家族とともに見事叩き潰し、いよいよ本格的な蝦夷討伐の開始です、と言いたいのですが、世のあらゆるトラブルを呼び寄せるこの一家に、そううまく歴史の流れは進ませてくれないでしょう。
高子が産んだ子は松丸、と名付けた。遷都造営が本格的になり、忙しくなった俺はなかなか会いに行けない。ころくは元服し、鷹継と名乗らせた。いまは家族が大いに増え、常に騒がしい坂上家であった。
家族が人、魔物も含め増えては来ていたが、しかし減った者もいる。先月、源じいが亡くなっていた。家族の中で一番俺を可愛がってくれた、母親を知らない俺を優しく見守ってくれていた、大恩人だ。出自も何もわからなかったので、源じいの身内の代わりに俺が喪主となり送った。
本格的な木枯らしが、長岡と洛外の山々に吹きすさび、一気に冬の相を呈してくる。久々に長岡の屋敷に戻った俺はすぐに高子と松丸の居室へと向かう。庭に面する廊下を通ると、庭の端で遊ぶ子らが見えた。一番末の弟の由松丸だ。もうひとりは誰だろう?女の子のようだが、家にはもうあのような小さな子はいない。まあ、ちいさいとは言っても十二歳くらいだが。由松が友達でも連れてきたのだろう。ガールフレンドか。生意気な。
「よしまつ、久しいな」
「あ、あにさま。おかえりなさいませ」
「うん。元気にしてたか」
「はい」
「みんなとなかよくやってるか?」
「はい、鷹継にいさんがあそんでくれます」
「そうか、あとで俺ともあそぼう」
「はーい」
「おまえはだれだ」
高子のところに行こうとする俺に、由松丸と遊んでいた女の子がそう言った。いきなり大人になんてこと言うんでしょう。しつけがなってないわ。
振り向くと、こちらをキッと睨んでいる。俺、なにした?まあ、俺も大人だ。そんなことに腹を立てては心の狭い人間と由松丸に思われてしまうからな。ここはやさしく対応だ。
「あーおじょうちゃん、ぼくはねー、田村麻呂って言って、ここのおうちのご主人様なんだよ」
まあ、兄がいるが、今は大和の国司として奈良に夫婦で住んでいる。
「重ねて聞く。おまえはだれだ」
まあー、なんて傲慢な言い方なんざんしょ。親の顔がみたいわ。
「あのね、おじょうちゃん。ぼくはねー」
「ひとの名など聞いておらん。おまえはなんだと、聞いている」
「っま、しつれいな。何だと言われてもぼくはぼくですよ」
「そのぼくとはなんだときいている」
「哲学ね。哲学言ってんのね。ぼくはなにものか?本質の主体、生命としての来歴、内面と外面の相克、無自覚をもあわせた観念性の理念原姿が総体性を持ち続けるため維持する常に変化する情念の統括」
「なにいってんだ、おまえ?」
スサノオがあらわれた。
「え?あ、いや、このお子さまが、俺はなんだと聞くから」
「だからっておまえの知らない単語ならべてどうすんだ」
「そっちの、でかいの。おまえは神だな」
スサノオを指さし、このガキはたしかにそう言った。おまえこそ何者だ?
「ああん?あれ、こいつ、人間だが、人間じゃねえぞ」
また哲学ですか?それとも妖怪?もうそういうのおなか一杯。
「どうしたんですか、にいさんたち。あれ、あ、なよちゃん。きてたの?」
「ころく、知ってるのか?」
「にいさんおかえりなさい。あー、その子は『なよ』ちゃん。由松の友だちらしくて、二、三日前から来るようになった」
「仏のパシリのおにいさんこんにちは」
「なんだこいつ。なにいってんだ?」
「あ、にいさん、この子、わかるらしいよ」
「わかるって、なにを?」
「正体が」
「あ?こいつ兎人じゃねえか。なんでこんなとこにいるんだ?」
スサノオさん、それなんですか?
「まって、まお。そんなに早く歩けないよ」
「文句言うならついて来なけれよかったのだ、ちえ」
「もう、そんなイジワル言わないでよ、クルスナ」
「ほら、ふたりとも、気をつけろ。ここは滑るぞ」
「ねえ、ホントにこんなとこに神殿なんかあるの?」
「猟師の人が見たって言ってた」
「酔っぱらってただけじゃないの?一人だけでしょ、そんなこと言ってるの?」
「一人だけじゃないらしい。だけどほかの猟師はみんな捕まっちゃったって言ってた」
「えー、嘘くさいじゃん。なんかそれ」
「行ってみればわかるさ。それに欲しい薬草もある」
「薬草馬鹿」
「なんか言ったか?」
本当にこんな山の中に神殿があるとは思えない。しかし見た猟師はまわりから信頼されている人間らしい。帰ってこない猟師の話も事実だ。たとえなにかの見間違いだったとしても、行って調べる価値はありそうだ。少なくても僕には。わくわくが、止まらない。
「もーーーほんと疲れた。おなかへった。足いたい。お団子食べたい」
「ちえはほんとこらえ性がないな」
「クルスナ。よく平気ね」
「山には小さいころからしょっちゅう入っていた。アテルイは何日も山を歩いたぞ。あたしも歩いた」
「だいたい、おかしいわよ。こんな山んなかに神殿なんて。しかもこんな金ぴかのキラキラ光った神殿なんて、あれえ?」
三人の目の前に、荘厳に眩く輝くに神殿のようなものが、あった。
うさ耳ですよ、兎耳。気がつかなかった。いや気がつかないほうがどうかしているほど頭から生えてますよ。なんかの飾りだと思ったけど。
「あー、兎人て、なに?」
「しらんのか?」
「しらん」
「まあ、俺もよく知らんが、なんでも月に住む人間らしい」
「月って、あのお月さまの?」
「そうだ。あの月だ」
「マジで」
「マジだ」
スサノオは冗談でなく本当に真面目な顔をして言った。
「親父に聞いた話だと」
「イザナギさんですよね。日の本つくった神様の」
「そうだ。高天原は神々のいる場所。この地を作るため親父たちは高天原からあそこに降りた。あれは天の浮橋という」
「なんですと」
「親父たちが降り立つと、その塵で人が生まれた。それが兎人だ」
「えーと。ということは月に住んでらっしゃるんですよね」
「そういうことだ。俺は見たことなかったが、話にゃ聞いてっからな」
「なんでここに?」
「知らん。聞いてみろよ」
「そこでコソコソ話してないで、ちゃんと答えろ。おまえはなんだ」
「まあ、生意気ちゃん。殴っていい?」
「いいが、えらいことになるぞ。どうもあいつは高位のものらしい。親が出てきたらヤバいんじゃないか」
スサノオが心配そうに言った。
知ってか知らずか、つかつかと歩いてきて、その女の子を平手で殴るやつがいる。え?鈴虫だ。
ぱちん。
「痛った。なにすんの」
「おれの、のはあたし的未来の夫。おのれのおまえは喧嘩をうる虎、うるとらバカ」
見れば同じ年かさで、背丈もいっしょだ。おかっぱ頭も一緒だから姉妹みたいだ。あ、ヤバい。変な話の方向になりそうだ。ここは他人の振りをしてしまおう。
「あーどちらさまか知らないですが、ふたりとも喧嘩はよそでしてね。もう早く帰って。ふ・た・り・と・も」
「おもてなしみたいにいうなひるな。他人のフリは不倫のあかし」
「なにこわいこと言ってんの鈴子。そいつ連れてどっかに行って」
そういってるあいだに殴られた子が、泣き出した。あーもー知らね。
「なに騒いでんだー。お、こりゃいったい」
鈴鹿がきた。はなしがややこしくなるの決定。
「なんでこんなとこに兎人のガキがいるんだ」
「鈴鹿も兎人て、知ってるのか?」
「ああ、ダーリン。お帰りー。知ってるも何も、そいつらとは千年前からあたしら魔界と戦争になってんだぜ」
あーきたよー。きちゃったねー。蝦夷とこれからいくさだっちゅーのに、やっちゃったよー。地雷踏んづけちゃったんだー。さっさと無視して通り過ぎりゃよかったんだよ。もー俺のばかばか。
「なに悶えてんのよ、ダーリン。とりあえずこいつウサギ汁にでもしちゃえば問題ないわ」
「えーこいつ人なんだろ?いくらなんでも汁はないだろ、汁は」
「じゃあ丸焼きとかがお望み?けっこうエグいわよ、それって」
「ちがーう。人は食べちゃいけませんっての。非常識ですから」
「魔界の常識、人の非常識。いいわ、あなたの薄らボケた頭にもわかるように美味しく料理してあげるから」
「そこの魔界の汚物。わたしの視界から立ち去れ死界に。汚濁をさらすな」泣きながら言うな。鼻水ふけっウサ耳。
「おじょうちゃん。言っていいことと、わるいことが、あるんですよ、世の中には」俺はやんわりと注意した。
「上等だ。刺身がご希望らしい」鈴鹿が『血吸』を抜いた。こんな子に本気ーーっ?
取り返しのつかない方向に向かっている。
「まお、さがれ。ちえを連れて逃げろ」
「どうした、クルスナ?」
「あれはクンネチュプのペンチャイ」
「なんすか、それ」
「月の船だ」
「いいか、よく聞け。この地へ人を生み出したワリウネクル、つまり神は、あの月にも人を生んだ。そいつらがこちらにやってくる船があれだ」
「んなばかな。人が月にいるなんて。僕らと同じ人がいるなんて信じられない」
「おまえとわれらは違う。和人と蝦夷は違う。あいつらも違う。あいつらは月の人、チュプイソポ。女と子供はチュプイセポ」
「まお。お話の途中のようなんだけど、あの中からなんか出てきた」
ちえが緊張感まったくなく言った。
「まお、逃げろ。命がなくなる。ちえを助けてやれ」
「クルスナはどうするんだ?」
「まおたちが逃げるまで足止めする。息の五十回、いや三十回は持たせる。いそげ」
クルスナは弓を構えていた。まおは両手をあげて出て来たものたちに向かっていった。
「あ、ばか」
クルスナの言葉と同時にまおたちは光に包まれていた。
「まったくひどい人たちね。よってたかって女の子をいじめるなんて」高子は『なよ』と呼ばれる娘の顔を拭いてやっていた。
「いじめてないもん。俺はなんもしてないもん」松丸を抱っこしながら俺は弁解した。いやそもそも、なにもしていないぞ。鈴虫と鈴鹿だもん。
「あにさまのだんなさま。いいわけはみっともないですよ」「ないぞ」
天姫とミコチが睨んでいる。こいつらが通りかかって高子に言いつけたのだ。あにさまのだんなさまって、なんだ?
「困ったことをしてくれたもんだ」道鏡、いや八尾がほんとうに困った顔をしている。
「だからなんもしてねえって」
「いいか、田村。朝廷の、ごく一部の者しか知らされてないが、われらとかのものの間にはある密約が交わされておる」
「かのものって、あのウサギ人間のことですか?」
「変な言い方すな。兎人だ。密約とは、決して存在を明らかにしないこと。そして魔人族との争いに首をつっこまないこと、じゃ」
あーもーだめじゃん。
「わたしもわるかった。物珍しさで都をあるくうち、そこの由松と知り合った。鷹継という仏のパシリが菓子などくれて、わたしも立場を忘れここに来るようになった。まさか魔の棲家とは知らずに。しかしパシリとは言え仏の使いとまして神までいるのに、なぜに魔族もいるのだ」
なよは泣き止むと、不思議そうに言った。
「そしてそこにいる男。人間なのか魔族なのか、神か仏か、まったくわからん」なよは少し震えていた。
「あーそうね。なんなんでしょうね」
鈴鹿の言葉に全員が相槌をうっていた。
「で、なよ、ちゃんだっけ。どっから来たの?」俺は怖がらせないよう優しく聞いた。
「都の北の山の奥に船がある。そこから来た」
「帰らなくていいの?」
「え?帰れるのか?魔人に捕まったのではないのか?」
「捕まえてないから。あんたが勝手に上がり込んでんだから」
「よせよ鈴鹿。怖がるだろ、なよ姫ちゃんが」
「なよ姫ではない」
「はい?」
「なよは家の名だ」
「はあ」
「わたしの名は、なよ竹のかぐやじゃ。かぐや姫と呼べ」
建物の中にいた。そこらじゅうが金属のようなもので出来ていて、それはうっすらと光っている。周りは箪笥のようなものが並び怪しげな小窓が無数についている。それぞれに文字のようなものが映し出され、しかもそれは目まぐるしく変わっていく。
「まお、大丈夫?」
「あ、ちえ。そっちこそ。クルスナは?」
「あっちで倒れてる。あ、でも大丈夫そう。気を失ってるだけみたい」
「そうか。僕らどうしちゃったんだろう?」
「光に包まれて、それから何かに吸い込まれたみたいな気がしたわ」
「あーまたなんか来たよ。最近おおくね?」
「着陸場所もう少し考えた方がよかったかも」
「もう遅いし」
「姫が帰ったらとっとと帰るぞ」
「こいつらは?」
「知らん。宇宙空間にでも放り出せ」
「あのー」
「なんか言ってるぞ」
「ここはどこでしょう?」
「どうする?」
「密約があるぞ」
「騒がれてもまずい。何とか誤魔化せ」
「はいなんでしょう?」
「あの、ここは」
「今度出来るテーマパークで、遷都の超目玉になります」
「きっとウサギのアトラクションだわ。ラビットランドとかいっちゃって」
「ちえ、強引に話に割り込むのヤメテ」
「だれこいつ」
「あ、ちえって、いいます。僕はまお。そこに寝てるのはクルスナ」
「さらっと自己紹介ありがとう。ということで、その施設なんですよ、ここは」
「それは変です。僕の友人がその遷都に関わっているのですが、そういうの聞かされてません」
「それは秘密だからです」
「そういう秘密があると、明かさずにはいられない性格なんです。そいつ」
「やっかいなご友人をお持ちですね」
「まったく」
「あなたもですよ。もうめんどくさい。ここで死んでください」
「そうですよね。そうきますよね」
「驚かないんですか?」
「あいにく、そういう友人を持つと」
「そのお友達に、一度お会いしたかったですね」
「すぐに会えますよ」
「ふ、まさか」
空間に空洞ができた。
「お、なんだここは?」
「早く帰るの。夕飯なの」
「あ、田村、じつは」
「いいから来い。ちえとクルスナは?」
「あ、そこ」
「あー、クルスナ寝てんのかよ。おぶってくの?俺が」
「いや僕が」
「あたしがおぶるわよ。触んないでよヤラシイ」
「なんで」
「早く行く。ご飯冷める」
「まて、まだ話が。そちらさんがな」
「いやことわる」
「田村、ちょっと」
「後で聞く。じゃ失敬」
空洞が閉じた。
「何だったのだ?」
「なんらかの異空間移動だと思います。高度な技術です」
「転移先を調べろ」
「無理です」
「なに?」
「計器類がすべて焼き切れています。どんな技術にしろ恐ろしいエネルギーコストです」
「姫の回収もできんのか」
「回収どころか月とも連絡がとれません」
「修理は?」
「時間がかかります」
「くそ。こんなところを魔軍に襲われたら」
「かぐやさまが魔物に見つからなければいいのですが」
「そういうフラグたてんなよ」
ウサ耳の兎人たちは深刻な事態に青くなっていた。
どたどたと広間に集まる田村麻呂家族。夕飯の準備が整いつつあった。
「もー、はなし聞いてくれてもいいじゃないかー」
「すまん、夕飯に遅れそうだったんだ。それに変なウサ耳の人たちもチラって見えたし」
「あ、だったらよけい」
「余計に話がややこしくなるんで、そういうのはおことわり」
「もー」
「遅かったわねむにゅむにゅ」
「なにやってんのよ、はやく座りなさいよもぐもぐ」
「今日はテンコが天ぷら揚げたんだからもしゃもしゃ」
「食いながらしゃべるな」
「あ、ウサ子も食ってるのか」
「かぐやよ」
「失敬」
「あれ?この娘?」
「まお、知ってるのか?」
「さっきいたひとたちと同じ耳」
「兎人?」
「チェプイソポ。こいつはチェプイセポ」
「クルスナ、それって」
「そう、月の人」
「ちょっとこっちおしんこないわよっ」
「ちえ。はしたない」
「おばさん醤油とって」
「だれがおばさんやっ。ウサ耳切るぞっ」
「鈴鹿ー、行儀悪いぞー。太刀どっか置いてけ」
「はい醤油とったぞ、ほれ飲め」
「ありがと飲まないけど」
「さっきはぶってごめんねとあやまるが悪気はある」
「いいのよ。あたしも態度わるかったしあとでころす」
「うふふ」「うほひ」
鈴姫は笑い方が変だな。だれかに直させよう。
湯けむりシスターズが手を振っている。千手観音が八尾と酒盛りか。平和だな。まだいんのか、千手。
ついに現れた兎人。あのキャラクターが兎人だった。この展開にあらゆるところからくるクレームは仕方なしですが、展開の要因やその詳細につきましては沈黙を貫かさせていただきます。次回は、亡くなった源じいの秘密が明かされます。そして兎人と魔界とのたたかいは?どうする、田村麻呂?




