戦 -いくさー 侵攻
唐突に訪れたまおとちえの危機。なんとアテルイの娘とちえが婿取り勝負に。そんな状況にも関わらず、あいかわらず田村麻呂は叱られている最中。そしてついに田村麻呂は動く。いよいよ蝦夷との戦いの最初の幕開け?なのか。
「まお、こっちだ」
「クルスナ、ちょっとまて」
「もう、遅い。苔が生える」
「生えるもんか」
「あははははは」
「ねえ、ラッシー?あいつらって、なんか変じゃない?」
「ワゥ?」
アテルイの娘、クルスナ。色白で凄い美人。そりゃさ、あたしなんて、讃岐の田舎者だし。でもさ、ちょっと距離がさ、なーんか近すぎない?
「どうした、ちえ?しょんべんか?」
「マジしね」
「おい?」
「クウゥ」ラッシーは困っていた。
「それでな、おまえの主について聞きたい」
アテルイがようやくそれを口にした。
それを口にすれば、正式に俺たちに敵対関係が成立する。もはや客ではいられなくなるのだ。それでもアテルイは言った。もう俺たちの処分が決まったんだろう。すまないな、ちえ。こんな俺についてきてくれて。死ぬときは一緒だな。ははは。
「僕に主はいません」
「は?じゃだれの命令なんだ}
「だれの命令でもないんです。ただ僕が来たかったから」
「そんなばかなはなしはない」
「じゃあ、言い換えれば、友達の」
「はあ?」
「友達のために来たんです」
「よくわからん」
「友達はね、ばかなんですよ」
「ぷ」ちえが吹いた。
「なんだ」モレが怒っている。
「ちっ」クルスナが舌打ちをした。
アテルイが制した。
「僕にあなたを説得しろと」
「なに?」
「僕の友は、名を坂上田村麻呂。そう、太陽、みたいなやつなんです」
「チュプみたいなか」
「そうです。強く大きく優しく」
「ふん。そんなものがいるか」
「ほんとうです」
「まあ、そうだろ。それがおまえの依り代なんだから」
「そんなんじゃないです」
「まあ聞け」
アテルイはいつになく真剣に言った。モレは苦悩しているようだ。なにがあるのだ?
「クルスナがおまえを婿にする」
「はいい?」
「おまえはこの村でクルスナと暮らすのだ」
「選択肢はないようですね」
「ない」
しあさっては新月。ミコチがやってくる。問題は犬だ。奴は強く賢い。殺せなくはないが、殺したくない。様々な薬草を試したが、奴に効きそうもない。ミコチが現れた時、奴は躊躇なくミコチをかみ殺すだろう。
俺は身震いした。
だがちえは助かる。ちえさえ生き延びればいいのだ。そう決めた。
「それには反対します」
「ほう」
「わたしはそれを許さない」
ちえ、なに言ってんだ。死にたいのか?
「それじゃあれか。クルスナと戦うのだな」
「戦ってやろうじゃないの」
「ばかが。クルスナはひとりで熊を仕留める戦士なのだぞ」
「あたしだってキツネぐらいお手のもんよ」
「あっはっはっは。キツネ、だと?」
「アテルイ、シャネムクイの儀式を」モレは重々しく言った。
シャネムクイ。婿取りの儀式。嫁候補が小屋に三日三晩入って、生きて出てきた方が婿を獲得する。強い血を確保する極めて合理的な方法だ。
「よせ、ばか、ちえっ」
「おまえはだまってみてるしかないな。色男」
「くそ、ラッシー、こいつらを止めてくれ」
犬は悲し気に伏せている。
いえ、この状況は俺のせいではありません。
「なに逃げようとしているんです?あなた」
「いえ、にげようなんて」
「おねえさま。そんなことを言っては、だんなさまが、可哀そう」
「あたしはね、たいていのことは我慢してきました。でもこれは何?なんで嫁が五人もいるの?おかしいでしょ。そりゃ戦うわよ。嫁の座を守るため、戦うのが普通よね?高子がね、産んだ子供と一緒に、やめてっていうからやめたけど、あんたにそんな、高子とあたしの気持ちがわかるの?」
「あのー俺の気持ちとか」
「そうやって男は大事な時に情ではぐらかそうとする。ほんと男って汚い」
鈴鹿さん、どうした?意味が分からん。
「かあさんがさ」
「え?」
「いつも泣いていた」
「はあ?」
「魔界の王って言ったって、所詮はひとりの男。そりゃいろんなとこに女つくんのは甲斐性かもしんないけど、母さん泣かすのだけは許せなかった。母さんそれで寿命縮めて死んじゃった。あたしの母さん、死んじゃったのよ」
あの第六天のくそじじい、おまえのせいじゃないか。
「俺は鈴鹿を泣かせたか?」
「え?」
「冷静に考えろ。俺は鈴鹿を、泣かせたことが、あるのか?」
「 」
「どうなんだ」
「ある、わよ」
「え?」
「いっぱいあるわよ」
「ええー?」
「ひとりでさびしいとき、黙って抱きしめてくれたわよ。あたしは人間じゃないけど、ちょっと疎外感あったとき、あんたは慰めてくれたわよ。いつも泣いたわよ。愛しているっていわれたとき、心の底から嬉しくて、涙がいっぱいでてきたわよ。いっつもいっつも泣かせてるんじゃない、あたしを」
「鈴鹿」
「そこどいて」
「え」
「またどっかの山吹っ飛ばしてくる」
「じゃあこうだ」
「なにを?」
「ぎゅーっとするから」
「みんなみてる」
「ぎゅーっとする」
「うん」
「ごめん」
「あんたが悪いんじゃない」
「うん。でもごめん」
鈴鹿はこの時間が、限りなく永遠に続くよう、あとでミコチを買収する計画を立てた。
ちえとクルスナは一緒に小さな小屋に入れられた。水も食料もなく、ただお互いに短刀を渡されただけだ。
閉じ込められたわけではない。出ようと思えば出られるのだ。だがそれは婿を諦めたことになる。蹴り飛ばして出してもいい。殺してもいい。だが三日目の朝に出てこなくてはならないのだ。
パチパチと火のはぜる音が響く。
「なんかしゃべりなさいよ」ちえは空気に耐えられなくなった。
「そんなことではシャネムクイは乗り切れないぞ」
「ほっといてよ」
「おまえはなぜまおを好きになった」
「え?」ちえは考えたこともなかった。いつも一緒にいるから。いつのまにかそういうものと思っていたから。
「わたしはまおが好きだ」ちえははっとした。嫉妬とかじゃなく、はっきりそう言われるのが驚きだった。
あいつが男として、他人とどこかへ行ってしまう。ちえにはそう映った。
「それはご愁傷さま。わたしもまおが好きでーす」言ってやった。もう何年のわだかまりだったか。言ってやった。
「そ、じゃ、殺しあいましょ」クルスナはこともなげに、言った。
短刀を抜いたクルスナの瞳は少し、うるんでいた。
いきなり空間に空洞が現れた。犬は警戒をするように全身の毛を逆立てていた。
「やめろ」
聞かない。彼は忠実な監視者。そして殺し屋なのだ。
「ミコチっ、くるなっ」
ガウっと勢いよく飛びつく『セタ』。オオカミの血が混じる白きおおいぬ。熊の首もひと噛みでへし折る、ミコチなど粉々に砕けてしまう。
「やめろ、やめてくれーっ」
「いやよ」
バゥっ?弾き飛ばされた犬。だがまだ立っている。
「ハウス」
「クーーン」
耳を下げ、シッポを巻いてしまった。どうなっているんだ?
「しつけが足んないんじゃない?」
「あ、す、鈴鹿さん?」
「鈴鹿、犬をいじめるな」セタはミコチこそ恐れているようだった。ミコチが撫でようとすると犬が漏らして気を失った。ありえない。
「ほらおとなしい」
ミコチさん、それ意識ないですから。おとなしいとかじゃないですから。
「まあ、いいわ。そんじゃ単刀直入にいうわよ」
「はい」
「ミッションは進んでんの?」
「はあ、いまのとこまだ」
「しょうがないわねー。どういう状況なの」
「それが、なんというかー」
俺はかいつまんで説明した。シャネムクイという儀式をちえとクルスナが行っていること。それは婿取りの儀式ということ。そして殺しあうこともある、ということを。
「あんたばかなの?自分の嫁、自分で決められないの?そんなくそかったるい儀式に、自分の嫁決めさせんの?死んじゃったほうに、あんたなんとも思わないの?」
「くそ、じゃあどうすればいいんだよ」
「あたしのダーリンならね」
「ミコチのダーリンだもん」
「ゴホン。あー、田村麻呂ならね、迷わず死ぬわ」
「え?」
「死んだら終わりって思ったでしょ」「思ったでしょ」
「死ぬわけじゃないのよ。死ぬまでもがくって言ってんの」「言ってんの」
「まお。お前はそんなに大事ないのち?」
「命が大事じゃないわけないじゃないか」
「ならなんで二人を殺す?」
「え?」
「おそらくクルスナという娘が死んだらちえは死ぬ。ちえが死んだらクルスナも死ぬ。どうするんだおまえは」
「僕は、二人とも助ける」
「強欲な奴だな」「ヤツだな」
途中、ミコチの声が入らなかったのは犬が気がついたのと、ふたたび撫でられて気を失ったことにある。
「まあ、あたしのだんなさまは、そうかな」「そうだな」
「じゃーーん。お待たせしました。天姫でーーーっす」
「うるさいよ」「うるさいテンコ」
「なによー」
「なにしにきたのよ」「かえれ」
「ちょっとミコチ、いま明確に帰れって言ったわよね」
「そんなことない。聞き間違い」
「そうかなー?」「ばかはいいな」
「ああっ?」
「そうじゃなくてアンタたちは何しに来たんですか?」まおはげっそりとしていた。
「なんだっけー」
「いやだ、忘れちゃったの?」
「ミコチは犬と遊んでる」
犬は意識まだないですから。そんなぬいぐるみのようにもてあそんじゃ。ああ?首が変な方向に?ああ、どうやったらそういう格好に?
犬はとっくに意識を取り戻していたが、ミコチが恐ろしく、ずっとされるがままになっていた。
「あ、そうだ。だんなさまの言葉を伝えに来たんだわよ」
「あーそうね、おねえさま」
「にゃーはっはっは」「のーほっほ」
はやく帰って。
村はざわついていた。神聖なシャネムクイの儀式の最中に、わけのわからん娘が三人現れたからだ。
「なにがあった?」モレが弓をとって出てきた。
「おのれ化け物」モレはすかさず弓をつがえると鈴鹿に撃ちかけた。
「ふっ」薄笑いをうかべその矢を掴んだ。
「ねえ知ってる?なんでこの矢に塗られてる毒が、ぶすって言うのか?それはね、毒矢の当たった相手がね、酷くみにくい顔になるからよ」
モレは気がついた。これは相手をしてはいけないなにかだ、と。
「魔封じを」モレはいきなり叫んだ。
何人かの祈祷師のような奴らが出てきた。
「これで悪霊も近づけない」
瞬間、モレの隣に鈴鹿はいた。
「美しいわ、あなた。きっときれいな血をしているのね。あたしの『血吸』がすごく喜んでる」
なまめかしい色をした太刀がモレの目の前に現れた。みるみるそれは血の色に染まっていく。
「やめて、殺さないで」
ちえが叫んで小屋から出てきた。
「ほんとに、ころさないでくれ」
「あら?まお。あんたが殺されるところだったのよ。ちえも」
「わかってるけど」
「あんたが殺されるくらいなら、ここにいる蝦夷全部を殺してこいって、田村麻呂は言ってるのよ」
「そんなことは言わないはずだ」
「ちえ、あんたはどうなの」
「言わないと思います」
「なんでそう思う?」
「まおが、そう言ったから」
「天姫、皆殺しにしな」
「はい、ねえさま」
それは比重の非常におおきな火の玉が、空に現れたのを、すべての人が目撃した。
「ヌプカムイ、なぜに荒ぶる」アテルイが叫んだ。
「わたしをキツネと呼ぶおとこよ。神とあがめるおとこよ。神の怒りを知れ」
火の玉がゆっくりと落ちてくる。もう落ちたら辺りに何もなくなる。
「やめろーーー」まおが叫んでいた。
なにごともなく、辺りは鳥たちが鳴き、風はそよいでいた。
「は?」
村のすべての人間が幻覚を見ていたのか?
小鳥が空に浮かぶ娘の肩にとまってさえずっている。
「さて、神はそのちっぽけな男の頼みをきいた。ハレルヤ。じゃあ今度は魔のあたし。人間のお願いなんてきかないんだよ。あばよ、くそ人間ども」
鈴鹿は冷たい風をおこした。周りを絶対温度まで下げる。生物どころか原子も静止する。
「まって、お願い。ころさないで」今度はちえが、叫ぶ。
「お願いはきかないと言っただろう」
「じゃあわたしだけ殺してください」
「意味不明。却下」
「それまでにしてくれ」
アテルイは頭を下げた。
「いちど死の快楽を味わうといい」
アテルイはモレとクルスナの肩を抱きよせていた。
「魔に殺されるものは、魂は救われぬという。すまんなみんな」
足元が凍りついてきた。もってあと少し、息を三回したら終わりそうだ。
「ふ、本当だ。死は快楽なのかな」
アテルイは目を閉じた。
「すいません、なんか気分よさげなところ、お邪魔しまーす」
「え?」
辺りは再び陽光に満ちた、のどかで穏やかな村のなかだった。村人たちも戦士たちも抱き合ったり、座り込んだりして、不思議そうに周りを見回している。
三人の娘の前に、ひとりの若者が立っていた。
「坂上田村麻呂といいます。はじめまして」
「ひとのようだな」
「え、そっち?」
アテルイはしばらく考えて、口を開いた。
「あなたが、まおのご友人、ですか?ここには何を?そしてその娘たちは?」
「えーと、何から話そうかな?そうそう、俺はこんど蝦夷討伐の副司令官になりまして、あ、でも、このまえ辞めちゃいましたが。まあ、そういうわけで、いろいろこちらのことや、人とか知りたかったんですよ。そういうわけですので、うちのエージェント回収にきたわけです」
「よくわかりませんが、討伐ではないと?」
「まあ、そうですが、上司次第なんで、いつまた討伐の任命を受けるかわかりません」
「しかしいま、あなたには兵士がついておりませんが?こんなところにおひとりで?」
「え?ひとりじゃないんですが。先ほどの質問にお答えする形になるんですけど、これは俺の妻たちで、力はさっきお見せした通り、日の本の兵すべてをあわせても彼女らにはかなわないでしょう」
「そうですか。とても恐ろしかった」
アテルイは先ほどのことを思い出し、身震いした。
「では、まおと、ちえをお引き取りに?」
「ええ、ふたりにとてもよくしてくれたこと、感謝いたします」
「それでは、いつかあなたと戦場で相まみえることになると?」
「いいえ。それはもうありません」
「なぜ?いくさにでないのですか?」
「こんなこと申し上げるのは正直つらいのですが、妻がまだ怒ってまして」
「はあ?」
「たぶん俺じゃもう押さえられないかと」
「はああ?」
「いずれにしろこの地は消滅するでしょうから。もうほんと、すいません。もうわがままで」
まばゆい光が天に満ちていた。美しい、とアテルイはおもった。
「まって、鈴鹿さん、テンコちゃん、ミコチ」ちえが叫んだ。
「もうとめられない。時空が震えている。ミコチもとめない。ワンコは助かる」
「みっなさーーん、ごめんねーー」
「薄汚い人間ども、消えろっ」
「だから、ここけっこうおいしいものあんの。鹿のおにくとか。あ、しゃけのお刺身なんかもあるぞー」
空気の震えが止まった。
「とりあえず食べてからにしよっか?」
「まあ、そうね」
「ミコチ、ドングリはきらい。しかにくすき」
どたどたと四人の娘と、あわててモレとクルスナが追いかけた。
「なんなんだ」アテルイはもう倒れそうだった。
「肩を貸してやれ、まお。俺も急がなければ。しゃけがなくなる」
田村麻呂が走っていく。
「まお、教えてくれ。どうなったんだ」
「あー、これはですね、かれら流の侵攻作戦なんだと思います。ぜったい行き当たりばったりですが」
「ちえはおまえにふさわしい嫁だな」
「まあ、そうですね」
「クルスナはだめか」
「いい娘、ですよ」
「なら安心した」
「え?」
「ありがとう、息子」
「なんでそうなる」
「ミコチ、しかもうくえない」のびてろ、そこで。
「もう、いいのか?わだかまりはないのか」
俺はちえに聞いた。
「うん、たぶん、慣れるよ」
「慣れる、か」
「だって、クルスナちゃんとってもいい子なんだよ」
「へえ?」
「小屋で言ったの、あの子」
「なにを」
「まおを苦しめるのは嫌だから自分は死ぬと」
「強いな」
「だからわたしも一緒に死のうと」
「おまえらは、まったく」
「ふたりで泣いちゃった。そこへアンタたちが来たの」
「これからどうする?」
「とうぶん半分半分で生活するつもり。月の半分を都で、半分をこっちで」
「三人ともか?」
「そ。三人で」
「楽しそうだなあ」
「だからここらあたり消されたら困るんですけど」
「あいつら見ろ」
「え?」
「鈴鹿と天姫が、蝦夷の女たちと楽しそうだろ」
鈴鹿と天姫は、モレとクルスナとなかよく蝦夷の料理を食べている。ミコチはそばでのびている。白い大きな犬を寝床がわりにしている。犬は俺に助けてくれと言わんばかりに目線をよこす。
「すまんな。気に入られたおまえがわるい」
「なにそれ」ちえは不思議そうに言った。
翌日、俺たちは、約束をかわした。蝦夷征伐のさいは、けっしてアテルイとモレの部族は攻めない。この土地は守る。アテルイたちも俺たちとは戦わない。不戦不可侵条約が締結された。
「よう、どうだった」スサノオが姿を見せた。
「そべてうまくいった」俺はスサノオの肩をたたいた。
「こいつら落とせば、すこしは楽に戦える。まあ、味方につけちゃったのは意外だったが、おまえらしいっちゃ、おまえらしいな」
「犠牲は少ないほうがいい。おんなこども、老人、泣かせてはならん」
「あいよ、御大将」
「なんだよ。それ」
「がっはっはっは」
山々が白く色づいてきた。もう直ぐ冬だ。春になれば、蝦夷討伐への進軍がはじまる。
いくさがはじまる前に勝負は決まっている。第一次征伐軍はすでにいくさの前に敗れていました。田村麻呂たちは同じ轍を踏まないよう、周到に準備をしています。彼と彼の仲間たちの主眼はひとつ。やがて討伐軍の命がおります。




