戦 ーいくさー 逆賊
三万の大軍を手に入れた田村麻呂。意気揚々と長岡京へ戻ります。しかしその先に大きな陰謀が待っていたのです。鈴鹿は。集めた将兵は。逆賊の汚名をきて、ついにヤマトを滅ぼしてしまうのか?
守山峠に差し掛かった。懐かしい場所だ。むかしここで野盗に襲われたが、ミコチところくが退治した。
俺は三万の軍を従えている。遠征時に随時招集することもできたが、訓練や経済効率を考えて、随行させることに決めた。
「よく、氏族豪族はこれだけだしましたね」文屋が小声でいう。
「新都造営に差し出さねばならない賄がこれだけで済んだのだ。やつらは敏くなっている」
「つまり自領の経営第一と?ありえません。この律令の下、それは朝廷、いや帝の威光が下がったということですが」
「文屋。律令制はもはや崩壊寸前なのだ」
「それは力をつけた氏族豪族が帝に反旗を?」
「ちがう。むしろ帝を囲む朝廷そのものが律令を壊しているのだ」
「なぜでございましょう。戒律や制度をたてまつる朝廷に、なにうえ律令を」
文屋は納得いかないようだった。
「むしろ律令の心を守ろうとするのは、地方の力あるものかも知れん」
「朝廷こそが、律令の」
「文屋よ」
「はあ」
「律令とは、帝のもと、全ての万民が平等なことなんだよ」
万民が平等。
おそらく地球史のなかで、民族レベルで共有したこの思想は19世紀以前にはない。思想家はいたが、国家レベルでの実践はない。ただ、ふるくヨーロッパの北辺に、同じような考え方があり、それがそこだけに広がり定着したのは、ただの偶然だったのだろうか。
田村麻呂の律令とは、身分こそ平等であるが、力あるものはないものを守り、ないものでも自らを助け、相互に善の行動をする。その象徴が帝であり、その精神のよりどころなのだ。
「戦闘訓練するわよーっ」
唐突に鈴鹿が言い出してきた。
いついかなる時も戦時は存在する。常在戦場、鈴鹿の言葉だ。
帰還中、行軍中でも野営地でも常にそれは発動された。歩き、陣形を組み、寝て起こされ陣形を組まさせられる。鈴鹿は都への到着前に、完全な精強軍を構築していた。
陣形に変化があった。空気の流れを肌で感じられるように、軍の微細な動きを捉えられるのだ。
兵の何人かが、村人か何かを連れてくる。文屋が見分し俺に報告してきた。
「田村麻呂さまにお話ししたいことがあると、あの、まあちょっとアヤシイやつなんですが」
「へー、文屋、なんか歯切れがわるいな」
「それが、えーと」
文屋の話によると、かつて鈴鹿山の鬼征伐の帰りにこの峠で野盗に遭遇した、そんときの野武せりだというのだ。至急、どうしても知らせたいことがあると、言ってきているらしい。ただ、文屋としてはそれを信用していいものか、迷っているところなのだ。
「なつかしいなー。なんのはなしかなー」
てってけ田村麻呂が駆けてゆく。
まったくもー、子供みたいだと、文屋は思った。
「よお、ひさしぶり。どうした?また襲いに来たか」
「は、滅相もない。大恩あるお方にそのような」
あのときの野武せりの親玉だった。
あれからこいつらは俺がやったわずかな金を元手に、田を耕しわずかに商いも起こし、地道だが一族を養えるまでになっていたという。それで恩を感じたこいつらは、常に俺たちの安否を気遣い、陰に見守っていたらしい。
「まあ、元気でなにより。まともな暮らし、してて嬉しいよ」俺は心からそう思った。
「あれより心入れ替えました。そう言っていただけると嬉しゅうございます」
「で、今日はなんなの。お礼のあいさつ?」
「この先に行ってはなりません。いえ、都に向かうのも危険です」
「おいおい、なに言ってるんだ。こっちゃ、三万の軍なんだぜ」文屋が呆れたように言った。
「十万の軍がいます」
「はい?」
第一次蝦夷討伐軍の敗残兵五万と、どこからかかき集められた兵が五万、それぞれ都の手前で待ち構えているとのこと。
「長岡の屋敷はどうした?」俺は心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
「約一万の兵が囲んでおります」
「ばかな。朝廷はわれらを敵と?」文屋が怒った。
危機になればミコチがすぐに連絡してくる。天姫もいるのでそれほど心配はないとしても、やはり報せが来ないのは腑に落ちないことだ。
「神域の結界をお屋敷の周りに張り巡らしています」
「なんだと」
それではミコチも天姫も屋敷から出られない。
俺はわけがわからなくなった。
朝廷の使いで軍を集め、帰ってきたら朝敵になっていた。
「それもこれも紀古佐美と安倍猨嶋墨縄が図ったこと。蝦夷討伐の敗戦と勝手な軍解散の責任を逃れるため、田村麻呂さまに謀反の疑いをかけたのです」
「えー、でも弟麻呂さんとか多治比浜成はいったい何してる?桓武聖皇だってそれ信じちゃってるの?」
なんか深刻になってきた。
「皇后のお一人とそのお子が人質となっています」
「なんですとー」
「藤原式家をおさえられれば、聖皇さまを押さえたも同然」
大地が震えた。黙って聞いていた鈴鹿御前が怒っているのだ。
「弟麻呂さまと浜成さまはそれぞれご自宅に監禁され、野足さまは墨縄の軍に捕まっています」
「俺の家族は無事なのか?」
「はい。囲まれてはおりますが、おいそれとは攻め込めないようです。しかしこれも時間の問題かと」
「でもお前たちはこれほどのこと、よく知ってるな」
「もはや長岡に田村麻呂さまのお味方はひとりもおりません、が、ただ一家がございます。しかし表立っては動けませんゆえ、存在の知られていないわれらに命じられたのです」
「その一家ってもしかして」
「はい。藤原式家でございます」
情報戦にたけ、時に朝廷を陰から操る。CIAみたいな連中だが、今回はずいぶんお粗末だ。
「朝廷の陰陽師頭、山上船主が結託しました。祈祷と称し、皇后とそのお子を洛外の寺に幽閉したのです。皇后は旅子さまとお聞きしています」
「百川の娘か」
「はい。亡き藤原百川さまの御長女。百川さまの兄、藤原良継の娘はもう一人の皇后・乙牟漏さまで、嫌々ながら墨縄と船主の策謀に従わされております」
「おいおい、そりゃ大陰謀じゃないか。ことが公になったらえらいことだ」文屋が驚いた。
「田村麻呂さまが消えれば、どうとでもなるのでしょう」
千手観音のことを思い出した。
「あとから屁理屈で歴史なんてどうとでもなる。死んだらおしまいだ、とあいつは言ってたっけ」
「じゃーーーん」
「え?」
「なによー、あたしよー」
うわっ、ピンクの軽る頭。千手だ。
「どうしてここに?」
「どうもこうもないわよ。屋敷出らんないから分身で知らせようとしてたんだけど、位置が特定できないからさんざん探したわよ」
「そりゃどうも」
「まあいいわ。はなしはそのおっさんに聞いた通りよ」
「屋敷の者たちは無事なのか?」
「みんな無事よ。高子も元気。天姫とミコチ、それと春子がびっくりするくらい頑張って敵を防いでる。なにしろ昼夜かまわず攻めてくるんで、家族ぐるみ戦ってるわよ」
また空気が震えた。鈴鹿、落ち着け。
「まあ、庭の罠が大きな戦力になってるけどね。あれでだいぶ助かってる」
意外な功労者がいた。サービスでそんなもの作っていったばかがいたが、こんど酒でもおごろう。
「でも、屋敷内の食料も尽きかけてるし、もうあまり余裕はないわ。なにしろいきなりだったから」
「屋敷内への連絡は?」
「なんとかとれます。囲む兵の中に藤原式家の手のものが紛れておりますので、矢文などで」野武せりの統領。もうすっかり式家の組織の一員だって、おまえら。
「わかった。おい、おまえなんて名だっけ?」
「え、あ、はい。基成ともうします。姓はありません」
「ともなりか。じゃあ、今日から守山友成と名乗れ。俺の友達、って感じだ」
「恐れ多い」もと野盗の親玉は震えあがった。
「いいじゃん、ともなり。なんにもお礼できないからな。俺の気持ちだ」
「それではこの先に陣を張りたる軍に、この友成が百名、命捨ててお開きいたします」
あーほんとこいつ、命捨てる覚悟しやがった。そういうつもりで名を与えたんじゃないのになー。
「まあ、それはいつか別のとこで、お前たちのためにとっとけ」
「いえ、それではわれらの」
「いや、巻き添えで死にたくなかったら、という意味だ。ホレ、あれ見ろ」
見上げると、空に浮かんだ鈴鹿御前のまわりが黒い雲に覆われてきている。ときおり雷光がほとばしる。
「あれを本気で怒らしちゃったからな。これですべて終わりだ。みんなに状況説明して解散しないとな」
「皆を集めましょう」文屋が駆けて行った。
全軍がそろっていた。指揮官クラス二十名が前にいた。友成の手勢百人も後ろに控えている。
「御大将からお言葉である」文屋が全軍に響く声で伝える。なんかかっこいい。
「えーと、いろいろ事情があって、俺は、俺の個人的な都合で、朝廷と戦わなくてはならなくなりました。いままで楽しくみなさんと過ごさせていただきましたが、ここでお別れしなければなりません。本来ならいろいろお礼とかもしなければならないのですが、あいにく持ち合わせもなく、帰っても生きているかわかりません。ですのでこれをもって、代えさせてください」
俺はみなに深々と頭を下げた。文屋も一緒に頭を下げたようだ。
「ふ、あははははは」「はははは」「あっははははは」全軍から笑い声が。
そうだよな。おかしいよな。さんざん大きなこと言ってて、最後はこれだもんな。みんな呆れるよな。
なぜかみんな泣いていた。笑いながら泣いているのだ。気持ち悪い。
「御大将。お供に」「御大将、ご一緒に」
「ばかやろう。おまえらはこのヤマトの国を守るため、集められたいわば聖戦士なのだ。ちっぽけな俺のために死んではならんのだ。それこそお前らを託したそれぞれの主の顔を汚すのだぞ」
「べつに汚されてはいませんが」
「はい?」
「ああ、ご当主自らが参戦しているんです、この人たち。知らなかったんですか?」そうなの?文屋が呆れている。
「ええ?そうなの?ちょ、初めて知ったんだけど」
「行軍中、あの二十名の者たちと仲良くふざけあってたりしてたから、知っているのかと。かれらがこのもののふどものそれぞれの主です」
「いや友達みたいになっちゃったから」
「まあ、そうでしょうね。はぁ」文屋、苦労かけるね。
「あそこにいるのはわが妻、鈴鹿御前。魔の王の娘。その怒りはもはや手も付けられぬほどだ。そして俺はあいつと行く。これよりあいつと俺は後世、魔軍と呼ばれ、ヤマトを潰した張本人として歴史に名を刻む。名を惜しめ。われらに関わるな。散って、子をなせ。家を盛り立てろ。朝廷亡き後、混乱は避けられない。おのれを守るのだ。それが俺とお前たちの友情のあかしだ」
ざわざわとそこここからささやきが、やがてそれは大きくなる。
「魔軍上等っ」「なんか吹っ切れた」「オレ人間やめるわ」
二十人の指揮官は笑いながらそれぞれ太刀を抜き、天を指した。
三万の将兵はそれにならいそれぞれの武器を高々と掲げた。
怒りながら、鈴鹿は横目で笑ってる。
「ばかども」俺は小さくつぶやいた。
「朝廷が気の毒ですね。蝦夷じゃなくてわれらに滅ぼされるなんて」文屋は本気で朝廷を滅ぼすつもりらしい。
「七日で決着をつける。もちろん、朝廷も無事に。藤原式家に伝えよ。皇后も子もすべて救う。毘沙門の名にかけて」
友成の数名の部下がこの場から消えた。式家の者だったのだろう。
「まずは進軍。峠の出口で停止、しかるに陣を張れ。陣容は矢型の形」
「突き破る姿勢を見せつけるのですね。で、本隊はどこに?」文屋、さすがだね。見せかけに気がついていた。
「川を上り遷都先の造営地だ」
「うまい隠れ蓑ですね」
「まず皇后親子の救出を優先する。そして朝廷を保護する」
「しかし十万の兵は?」
「気をとられる。わが屋敷に、な」
文屋はそれ以上聞かず、軍の仕分けに入っていった。あれだけですべて理解した。使えるやつ。
二万を峠の出口で紀古佐美・墨縄軍と対峙させる。一万の兵が川をさかのぼり、長岡の東、新都造営地に向かう。もう町割りも済んでいるようだ。俺が設計したんだ。地理も手に取るようにわかる。
鈴鹿が何も言わない。もう何万という人が死ぬんだろうな。俺もそれにかかわるんだ。俺の家族を、仲間を殺そうとしたんだ。報いは受けさせる。それにしたってそいつらに家族やまして幼い子がいるだろう。俺は春子やころくのことを思い、心は締め付けられた。
「どう攻めますか?」文屋が聞いてきた。
「人質の場所がわからない。皇后も、俺の仲間もだ。下手に攻め込めば、命が危うい。盾にされる危険もある。鈴鹿がすぐに手を出さないのはそれがあるからだ」
しかし時間の猶予はない。こんなとき、兄の広人はどうしたろう?ふと、兄の顔を浮かべていた。
突然、おどろしい妖気が辺りを包んだ。鈴鹿がすかさず反応したが、なぜか見守るようだ。
「久しぶりですね、田村麻呂くん」妖気の主が言った。
「早良親王?の亡霊?」
「亡霊だけ余計ですよ」
「なんでここに?」
「いや、さ。ちょっと思うとこがあって。手助けなんかしちゃおうかなー、なんて」
「亡霊のあんたが?いちどはあんたを祓おうとした俺を?」
「亡霊は余計だって。けっこうそういうの傷つくんですよ」
「あ、すいません。でも何で?」
「広人の弟だし、唯一この世で僕のこと無罪だって信じてくれてるヤツだし」
「ありがたいですが、あなたが混じるとますます魔軍に」
「あっはっは。本気でヤマトを潰す気じゃないんでしょ」
「わかりますー?」
「本気ならとっくに鈴鹿さんを差し向けてますよ」
「うーん、そこんとこなんですよねー」
この人、本気で亡霊と話し合ってるんだよ。もうなんだか善悪わからなくなってきたよ。と、混乱する文屋だった。
「でねー、僕もそれなりに調べた結果、人質の皇后と子供の場所、それに君の友達の捕まってる所とか探ったんだよ。でね、この娘たちにトレースしといたから、好きに使ってよ」
青い顔をして湯けむりシスターズが立っていた。可哀そうに、記録媒体として使われたのか。
「そいじゃ、がんばってね。ことが済んだらまた遊ぼう。あ、もう人を祟り殺したりしないから。脅かすだけで充分面白いからね。じゃあまってるよー。あはははは」
ムカつくー。けどどこか憎めない。にいさん、あなたのおともだち、ユニーク過ぎです。
「田村麻呂さま、兵をお貸しください。わたしたちがそれぞれ救出に向かいます」
「うん。頼む。だけどなるべく殺さないで」
「心得ました」
俺と鈴鹿と、文屋筆頭の俺直属の部下四十名が残った。
「敵の本拠に直接乗り込む。目標は紀古佐美が屋敷。守るわ手兵五千人。容赦なく打ち払え」
「はっ」
「五千人ですか、ちょっと少ないですね」文屋が広げる。
「騒ぎを聞いて五万がすぐに駆け付けるさ」
「それはまた気の毒。死人が増えちゃいますね」
「そうならないようにしたいのだが」
「要は首謀者をちゃっちゃっと捕まえちゃえばいいわけですね」
「文屋君、わかっとるじゃないか」
「おまかせください」文屋はちょっとカッコよくポーズを作った。
状況が動いたのは田村麻呂の屋敷周辺からだった。
ついに逆賊の汚名を背負い、朝敵としてヤマトを滅ぼす決心をつけた田村麻呂と鈴鹿の二人。それと最愛の部下たち。もう何も怖くない。亡霊さえも味方につけた田村麻呂に、地球が危ない。すべては家族のためなんです。




