人外をはるかに超えて
鬼が出たという知らせに、都の外れの荒れ寺に来た松尾丸とテンコ。そこで待ち受けていたのは「道鏡」と名乗る謎の妖僧。果たして敵か、味方か。武神伝説に、因縁浅からぬ出会いがそこにあった。
ついていった先は荒れ寺というより、もうほとんど廃墟といった様相で、なるほど鬼の棲家といわれても納得のロケーションであった。
「クク、なんかムジナや猩々(しょうじょう)がいますね。あ、鹿だ。ねえ、ちょっとお食事してきていいですか?」
「やめなさい、テンコ。あとで油粕でも買ってあげるから我慢しなさい」
さすが物の怪らしく、人外のテリトリーともなると活き活きとしてくるのね。
俺は緊張の故か、ほじった鼻くそを丸めて飛ばしている狙いの的が、微妙にズレていることに少し苛立っていた。
「わっぱ。せんほどよりおわいなげまつりせんは、とめおとなきやにおもはれるに」(小僧、いいかげんその汚ねえの飛ばすの、やめてくれないかな)
わあ、ちいさいおじさん、気がついていたよ。まあ、さっき石段を駆け下りてきて放った蹴りも尋常でなかったし、相当の修練を積んだんだろうと思われたが、だがすでに後頭部の『へのへのもへじ』は完成していた。
「どうでもいいけど、こんなところでなにしてるんですか」
たとえば千人くらいが観光でこの場を訪れた場合、その千人が必ず思う疑問を俺は素直に問いかけた。
「なに、野盗の類いがここに棲みついて悪さをしていると聞いたので、旅立つついでに掃除に参った」
ちいさいおじさんでなく、黒衣のおんな声のほうが答えた。左手に握られたのは生首の髪の毛で、それがコンビニ帰りのレジ袋に見えたのは単にシルエット云々じゃなくて、楽しみにしていたコミック雑誌と温めた弁当を買ってウキウキと家路を急ぐ、でもさすがに今年外したら婚期もうヤバいんじゃねぇ的な危機感をスカートの長さで無理やりアピールしている三十代終盤のOLの悲哀がこもった仕草だったからに違いない。
「ちげーよ」
黒衣の結構きつい視線が俺に突き刺さってきた。思っただけで何にも言ってないのに、なんで考えが分かったんだろう?もしかしたら『ニュータイプ』ってやつかも知れない。
「主さまぁー、なんかブツブツ言ってんの、駄々洩れしてますよ」
キツネに注意された。
建物的にまだ雨風が凌げる、と言った体な寺の庫裏にのしのし上がると、囲炉裏端に女が三人ほど視線も定まらぬ風情でぼんやりとしていた。
「野盗にさらわれていた女たちらしい。明日、家に帰してやる」
ちいさいおじさんがそう説明した。
悪い人たちではなそうなのでひとまずは安心したが、このちいさいおじさんといい、あの黒衣の霊気といい、なにか尋常でない怪しげな力はまったく信用するというには早急すぎると思った。生首を平気で持ち運べる神経も、さすがにどうかしてるし、いや、そういう趣味とかスプラッター志向の人とか、いやいやあり得ないけど稀に生首しか愛せない偏愛志向のマニアックなコミックの中に出てくる女子高生みたいな趣味の―――
「主さま、駄々もれですよ」
「わたしは変態女子高生ではないぞ、わっぱ。これは野盗の首魁。司どころに持参すれば幾ばくかの褒美にはなるというものじゃ。旅行くとはいえ、その路銀も心もとない故得心していたところじゃ」
黒衣は生首を床に置くと、ポンポンと叩いてニコッと笑った。
僧侶の姿だが黒い頭巾を被り、その分白い顔が闇に浮かんでいるかのように錯覚させる。目鼻立ちは美しく、とくに胸元が大きく張り出しており、俺の視線はそこに集中してしまうという、おこさまは大きい胸に抵抗力を失うという良い典型となっていた。
「そんなとこばかり見ているんじゃない」
黒衣の言葉に、俺はようやくそこから目線を逸らすことができた。
「おほん。あー、仏僧界を統べる法王であり聖皇さまと準じられる位をもたれる、道鏡様であられる」
ちいさいおじさんはドヤ顔で言い放った。
「ほぉー」テンコが先に言ってしまった。あーっお前がなんで先に言うんだよっ。主さまが遅すぎなんです。ばかやろうそういうのは流れ的に俺だろ。なんの流れです意味わかんない。だいたいキツネがおかしいだろ。あーっキツネって言った。そういうの差別っていうの、学校で習いませんでしたか。学校てなんだよ、いつの時代だよ。あーもーばかなんですか。だれがばかだ、おまえもういっぺん死ぬか。
「うるさい」黒衣が怒った。
「とにかく、わたしはこれまで法王として聖皇さまのおそばで仏の御心をお伝えしてきた。その聖皇さまがご崩御され、喪に服す間もなく罷免され遠い僻地にと向かわなければならなくなった。まあ、その憂さを少し晴らそうと参ったのじゃ。小遣いも稼げるしの」
深刻なテーマも打算に打ち消されたような気がしたが、にじみ出る悲哀は隠せようもなく、隣に座っていたちいさいおじさんも慟哭をありありと見せた。
「して、わっぱ。その尋常であらざるチカラ、ぬしはいったい何者なのじゃ?」
自分たちのことはさておいて、俺らを人外目線でみるありさまに少しイラっとしたが、育ちがいい俺は襟元をキチンと直し、黒衣の美しい目をしっかりと見据えて答えた。
「俺、いえわたくしは坂上松尾丸と申します。小学生です」
「小学生ってなんや」ちいさいおじさんは突っ込んできてくれる。いい人かもしれない。
「坂上? うーん、もしかして坂上苅田麻呂の息子か?」黒衣が驚いたように言った。
「はい、苅田麻呂はわが父でございます」
「あはははは、聞いたか樽海。苅田の息子だそうだ。なんという因縁なのだ。都を追われたその日に、追いだした張本人の息子に、よもや交あうとはな」
「マジ、アウトっすね」
「しね」樽海という、ちいさいおじさんにその場の全員が言った。
もともと弓削という当代随一の弓作りの名家に生まれ、若くして僧門に入り学問をおさめた道鏡という人は、優れた学識もさることながら眉目秀麗で(自称)ときの聖皇の目にとまり、かつ病に倒れた聖皇を恢復させた功からさらに地位を一般人としては最高位にと高めていた。
そこからがいろいろゴチャゴチャしてくる大人の生臭い世界が始まるのだが、つまり道鏡は聖皇になろうとした。いや、なろうと画策し反対勢力によって排除された。それは日本の歴史の中で唯一、その血筋でないものが聖皇の座にのぼろうとして、そして挫折したという記憶を未来に残す事件だったのだ。
「道鏡さまは聖皇などになろうとなされたことなど、これっぽっちもない。御仏の道を衆生に照らし、真っ当に暮らせる世を作らんとご政道を正し続けておじゃった。それを嫌う者たちが寄ってたかって」
「もうよせ、樽海」
「しかし聖人さま」
「こどものまえじゃ」
寄ってたかってという言葉に、親父の顔がちらついた。常に高邁に政治を司り、衆生のことを気にかけていた人物だと思っていた。それが政争の走狗となり、この聖人か悪人かはわからないが、進退を陰ひなたに画策してきた人物ということであれば、あれほど親父をおそれ憧れてきた自分の心に陰りがでてきてしまう。それはうすら寒い恐怖を感じさせるには十分な言葉だった。
「勘違いするな。お前の父は立派な人間だ。むしろわたしの大切な友人でもあるのじゃ」
「親父が?」
「そうじゃ。もう何年も前からわしらは何でも話し合える、そういった仲なのじゃ」
「そのご友人が道鏡さまになんと皇と姦淫したという罪を」
「よさんか」
「だいいいち道鏡さまは女人であらせられる。しかしてさきの聖皇さまも女人。排斥の言い分が姦淫とはどこの百合コミックかよと言いたくなるわ」樽海さん、話の本筋が大きくブレ始めていますよ。
「それはわっぱの父が考えたこと。皇位を盗ろうとした奸物として殺されるところ、あえて姦淫の罪としてしまい左遷という沙汰で命を救ってもらったのじゃ」
「しかし」
「もうよい」
「はあ」樽海というちいさなおじさんは納得がいかないように横を向いてしまう。
黒衣の、道鏡と名乗るその人は小さなため息を混じらせ、困ったような――それでも言いたいことは言ったという顔つきだった。女人というには少し大柄だが、整ったというよりむしろ美しいといったほうがいいと子供心にも思った。
「親父が好きだったんですか」
「えっ」道鏡さんは顔を赤く染め、目を逸らした。
「子ども的に邪気のない質問でしたが、家庭内的にいろいろ疑惑の出そうなお答えありがとうございました」俺は苦い顔を隠しもせず、その場から立ち去ろうとした。
「待って、そうじゃなくて、えと、えと、いろいろと思いはあって。だからそういうんじゃなくて、なんていうのかなー、あこがれとかー、そういう片思い的なー」
急に可愛らしくなった。
「今なら殺せますね」
「やめなさい、テンコ。この人なりに一生懸命頑張っているみたいだから」
「やなガキ」
口とは裏腹に手がもじもじしていますよ、法王さん。まあ、なんとなく親父のことも悪く思わないで済んだし、良しとしよう。
「まあ、これも何かの縁だ。そなたの父親にもろくに礼もしておらん。代わりと言ってはなんだが、これをやる」道鏡さんが取り出したのは弓だった。
「知ってのとおり我が家は弓削の一族。そこに伝わる黒漆の弓で、名を『羽黒』という。不思議な力を持つのだが、あいにく持ち手を選ぶらしい。わたしが引き絞ってもただの弓じゃが、おまえが使えばどのように化けるか。さぞや楽しみだわ」
その弓を手に取ったとき、張られた弦がキーンと鳴ったような気がした。
「ちょっと撃ってくるね」さっそく俺は表へ駆け出した。
「いいんですか、道鏡さま。御家宝じゃありませんか?」
「いいよ別に。蔵のすみに転がってたやつだから。名前も今勝手につけちゃったし、なんともなくても、わーやっぱ持ち手えらぶんだねー、とかいってごまかせるじゃん」
「後世、絶対悪く言われそうですね」
そんなこととは知らない俺だが、期待を込めて射ってみたいのだがあいにく矢がない。しょうがないから松の木のなるべくまっすぐそうな枝を折り、弓につがえて力を込め引き絞る。いい具合に力が入っていくのを感じながら、どこまで飛ぶか手ごろな山に向かって放ってみた。朝日に照らされながら、その山の中腹に射ち込まれていく枝を、なにか生き物のような気がして見送った。
それはヒューンと空気を切り裂く音をさせて、しばらくすると物凄い雷のような音と閃光が走り、真っ黒い風と土砂を伴って強い衝撃波が襲ってきた。
「どーーーん」
どうにか踏ん張ってこらえたが、なにが起きたのか皆目見当がつかないでいた。やがて風が止み、黒い煙やほこりも収まると、うっすら見えてきたのはさきほど射ち込んだ山の、中腹から上がすっかりなくなっている有り様だった。
「あちゃーーーっ」
道鏡と樽海とテンコ、そして囚われていた女たちが全員声をそろえて言った。
あーこれね、これはもう、あれだ。人外をはるかに超えてますから。
道鏡との出会いはいったい田村麻呂こと松尾丸に何をもたらすのか。生涯にわたって田村丸麻呂を支えていく道鏡。謎の武器「羽黒」。運命の歯車はようやく回転しだしました。




