戦 ーいくさー 蝦夷 アテルイとモレ
ついに蝦夷の長、アテルイとモレが登場します。まおとちえのコンビも健在で、どんな騒動を起こすか心配されるところです。田村麻呂と鈴鹿御前の方は戦ならぬ金策と人集め。はたして上手くいくのか?できなければやけくそになった二人の前に、人類に未来はない?
「何をのんきな」
二人目がでた。若い者が手負いにした熊に襲われたのだ。
極北地方にいる熊、いわゆるヒグマ系の気性の荒いものと違って、日の本の中州(蝦夷は本州をそう呼んでいた)にいる熊は非常に臆病だ。めったに人を襲うことはないが、臆病ゆえに不期遭遇したり、攻撃による手負い、飢えなどで襲われることがある。とくに手負いや飢えたものは質が悪い。
「早く仕留めないと、また被害が出る」
「喰われたのか?」
「いやサンベ(心臓)も無事なので人喰いではなかろう」
「いまイリワク(兄弟たち)が探している」
「戻ってきたぞー」
「仕留めたか」
「アテルイがやった」
村中の者が出てきた。すでに城塞とも言える村に、二十人ほどが入ってくる。
「ちょとー、乱暴しないでよねー」
「なんか変なのがいるな」
「熊、じゃないよな?」
「あんな下品な熊がいるものか」
「そこっ、聞こえたわよ。あとで覚えてらっしゃい」
「ひーー」
「いいから来いっ」
村の中ほどにに、かなり大きい建物があった。そこに一隊の半分が入ると、先頭にいた男が奥に座り、後は車座のように座った。残りの半分は村に帰ったようだ。
座の中央に若い男女が座らされる。ふたりともこのあたりの蝦夷のものではなく、和人の服装をしている。
「わたしは長としてこの辺り一帯をおさめている。名をアテルイという。今はヤマトとの戦いで、交易の和人もほとんど来ないというのに、お前らは、なんだ。なんのためにここに来た」
アテルイと名乗った男は物静かに言った。
「なにしにと言われても。僕たちはただ花を摘んでただけだし。花を摘んでただけで捕まるということは、花はあなたたちが植えたものだったのでしょうね。そうだったら申し訳なかったです」
「いや、わたしたちが植えたわけではないが」
「でしたらなにか問題でも?問題ないのだったら帰らせてくれませんか?帰せない理由でもあるんですか?」
若い男の言葉に、アルテイは少し戸惑った。
「いやそういうわけではないが、しかしいまヤマトという和人の国との戦いの最中。ここらで勝手なことをする和人を捕まえて、おまけになにが問題なのだと凄まれても、はあそうですかと易々と見過ごせるとおもうか?」
「あたしは別に花なんか摘んでませんけど」
「え?あ、でも一緒にいたろ?」
「一緒にいたらいけないんですか?そういうの、たとえば鼻かんだヤツが一緒にいたからって、まわりからうるさがられるの、おかしくないですか?映画館で、連れがポップコーン食べてて、くさいなーとあたしに視線向けるのおかしくないですか?」
「いや、なに言ってるのかわからん。とくに最後のほう」
俺たちは田村麻呂に先行して陸奥の国に来ていた。驚いたのは田村麻呂の妹のミコチというむすめだ。ミコチは場所と場所をつなげる力を持っている、という。半信半疑だったが、瞬時にして生まれ故郷の讃岐(今の香川県)に飛ばされ、再び長岡京に戻ったときはぶったまげた。そして昨日、陸奥の国の山奥に飛ばされてきたところだった。
「わたしたちは讃岐の国の薬師で、佐伯眞魚。となりは佐伯実恵と申します」
「えー、あそう」アテルイという人はもうほとんど嫌そうだった。
「じゃあ、そういうことで、おじゃましました」
「だれが帰っていいと?」
「夕飯までごちそうになるのはさすがに厚かましいですよ」
「熊を倒したシタ(犬)の夕飯になるとは考えてなかったか?」
「あのでっかい犬ですか?」
「ああ、名を『セタ』という。オオカミの血が入っている」
ちょうどその犬が熊を倒したところで、このアテルイたちに出会ったのだ。
「捕まったってちゃんと言いなさいよ」ちえは進行にまでケチをつけてきた。怒っている。
「僕は猫派なんです。こっちのちえは何でもありです。言うなればエニシングでおいしいです」
「猫派いうのは人間としてどうかな、それ。しかもあたしを差し出すって、意外過ぎて清々しいわ」
「ちえはネコ、嫌いだろ」
「アレルギー出るから苦手なだけです。嫌いとは言ってないです」
「じゃあ、ネコ好きなんだ」
「好きよ」
「ということで、ちえも猫派なんで、このへんで失礼さしてもらいます」
「あー、誤解させる言い方をしたようだ。悪かった。だが、ここら辺でお互い、正直に話をしようと思うが、どうかな?」
アテルイは眞魚のとぼけた言動に怒りもせず、きわめて紳士的に対応している。殺傷権は当然、アテルイ側にあるにも関わらず、である。並みの人間ではないらしい。
「すいませんでした。正直に話します」眞魚は頭を下げた。こういう人間をたばかってはいけない。眞魚は直感的に感じた。
「わたしは薬師ではありません。あ、薬で生計を立てて生業としているのではない、という点からです。薬について学び探求するという意味であれば、学者、ということですが。ここに来たのは、その薬のもととなる生薬を見つけようといろいろ歩き回っていた、その偶然の結果です」
嘘は言っていない。眞魚たちはアテルイがどこにいるか知らなかった。偶然遭遇した。が、本当の偶然ではない。ミコチが空間をつなげるとき、ある程度の希望観測に基づいて設定しているのである。たとえば、強力な力を持った者の近くに、などだ。生薬を探す、というのも嘘ではない。眞魚は四六時中どこでも探しているのだ。
「なるほど薬師に関してはそうだろう。偶然というのも、嘘ではないだろう。で、お前の目的は?俺を殺すことか?」
「なに言ってんのよ、ちゃんと説明したでしょ?聞いてなかったの?あたしたちは偶然通りかかっただけで、あんたのことなんかちっとも知らないわ」ちえは御立腹であった。
「よせ、ちえ。この人には通じない」
「なんで」
「僕の言葉を信じたからだ、この人は」
「どういうことよ」
「僕らをみてごらん。讃岐から出てきたとして何か月かかるだろう、ここまで。でも僕らはさっき初めて外に出たような姿だ。普通ならそんなことあり得ないと考える。でも信じてくれている」
ちえには訳が分からなかった。確かに旅の汚れなどまったくなく、まして草木を探しながら歩いていれば、酷い格好になってもおかしくない。それなのにそこは問題じゃないと。
「生薬のため草木を探しているのは本当です。それが目的です。けれどおまけみたいなのがあって、ついでにあなたのことを探る、ということも目的に入っています」
「おれはついでか」
さっきからずっと黙って聞いていたアテルイの部下たちが笑った。アテルイも笑っている。
こういう組織はこわい。一言も口を挟まず、しかし自由意思をもつ部下を、自然と統率できる男。この男はおそらく何百という兵を、一糸乱れず動かせるだろう。それを知っただけでも眞魚の目的の半分は果たせた。
「それはうまくいったようだな。しかし残念ながらその報告は伝わらないだろう。お前らはここから帰れないからだ」
「いまのところ、そのようですね。早くおいとましとけばよかった」
「こいつは肝が据わっているのか、ばかなのか。まあ、それもそのうちわかるだろう。つれていけ」
「あのー。ワンちゃんのえさですか?僕ら」
「人など喰わせたら悪い神になる。熊をもひと噛みにしてしまう強く優れた仲間だ。そんなことはさせん」
「ばかがうつっちゃうかも知んないしね」
「ちえ、ヒドイ」
「はやくつれていけ。なんか頭がおかしくなる」アテルイは少し困惑したようだった。
「ほらね」
「ヤメテ」
眞魚たちが促され立ち上がると、男たちは何事か話し出した。何を話しているかはわからなかったが、きっと俺たちの処分についてだ。
アテルイの部下たちの後ろに座って布を織っていた老婆が咳き込んでいた。
眞魚たちと入れ替わりに一隊が来た。先頭に真っ白な北方の服と毛皮を纏い、大きな弓を背負った美しい女が歩いて来る。おそらく身分の高い人だと、眞魚は思った。
キッと睨まれてすれ違うと、今出てきた建物に入っていく。
「ほら早く歩け」
「あのー、僕らを縛ったりしないんですか?逃げちゃうかも知れないんですよ」
「獣や、獣並みの頭でしかなかったらそうするとこだが、アテルイは客のようにしろと言った」
「わあ、ごちそう食べさせてくれるのね」
「もてなせとは聞いておらん」
「あのー、僕の背負い行李は」
「そのチセ(家)にある。おまえらもそこに入れ」
「ちょっと待ってて」
粗末ながらも暖気のある小屋に入ると、小さな老婆が座っていた。
「すいません、おじゃまします」
言うが早いか眞魚は行李から数種類の薬草を取り出した。
「これをさっきのおばあさんに渡してください」
「これを?薬草のようだ」
「煎じて飲んでと。椀に半分ずつくらい、陽が出るとき、陽が真上に来たとき、陽が沈むときに」
「さっきの老婆はアテルイのフチ(祖母)だ。渡しておこう」
「あれ、黙って持ってっちゃったけど、信用してんのかな?」
「むしろ信用されようと僕らはしている、と彼らは思ってるよ」
「そんなもんですかねー」
小屋の中の老婆が手招きしていた。
「あいつらをどうするのだ?アテルイ」
「まあ、大和人だがウエンぺ(悪い人)ではなさそうだし、フチの妹のとこに入れた」
「呆れた。奴らは敵なんだぞ。こちらを探りに来たんだ。なぜ殺さん」
「モレよ、まあそういきり立つな」
「いきり立ってはおらぬ。しかしヌルいにもほどがあろう」
「セタがな」
「シタ(犬)がどうした」
「なついたんだ。初めて見るのに、尻尾ふってたよ」
モレと呼ばれた美しい女はアテルイと同じ族長らしい。世話になったお婆さんから聞いた。
モレはすこし考えてからポツリと言った。
「そうか。何者なんだ」
「あのー、眞魚?」
「なにさ」
「さっきから表で」
「どうした?」
「ほら、熊倒した白い大きなワンちゃん覚えてる?」
「ああ、こわかったけど、ちょっと可愛かったね」
「可愛いってそう思ってるのはあんただけでしょうけど、そいつがさ」
「うん?」
「こっち睨んでるんですけど」
ここのお婆さんが餅のようなものをくれた。『シト』と言うらしい。薄く塩味がして、胡桃のような香ばしい風味があった。
長岡京の洛外に来ると、秋の気配を感じた。
淀川のゆったりとした眺めを見ていると、奈良の都から長岡京までの移り変わりも瞬く夢のようだと、田村麻呂には思えた。秘密裏だが、再び遷都の動きも出てきている。
「新都ご造営の首尾はいかがでしょうか」
「準備は捗っている。われらの蝦夷討伐が終わり、帰るころまでには遷都できているだろう」
今回も田村麻呂が遷都造営の主任になったが、蝦夷討伐の役目を仰せつかったことから、設計段階までの関与となっている。
「今回はこの長岡を上回る規模と聞いております」
「まあ、それは秘密だ。しかし生きて帰ってこれなければ、それも見れないな」
「まったく」
巨勢野足は大柄な体を持て余し気味に田村麻呂と並んで歩いていた。
「では、わたしはここまでで。お気をつけて。みなさまも首尾よくお役目果たされますこと、首を長くしてお待ちしています」
「ああ、野足も後のこと、頼んだ」
「では、野足どの、行ってまいります」
「野足ー。お土産まっててねー」
野足はわれわれが見えなくなるまで見送っていた。われわれが見えなくなっても、しばらくいたと、後に人に聞いた。
百済王俊哲が振り返り「まだ手を振ってますよ」と報告してくる。
「のたりも一緒にくればよかったのに」
鈴鹿御前が残念そうに言う。
「遊びに行くわけではないんだ。それに巨勢どのにもお役目がある」
「そうですよ鈴鹿さま。朝廷内は多治比浜成どのが調整役で、遠征軍のまとめは弟麻呂さまが。そしてその調練を野足さまが受け持ちます。忙しいんです」
俊哲が捕捉する。
「わかってるわよ。ちょーっと言ってみただけよ。それよりなんかくっついてこない?」
「え?なんですか、それ」
俊哲が不思議そうに鈴鹿に聞き返した。
「ま、そのうちわかるさ」
俺はめんどくさいのと、これからのお役目のことでそれどころではない。かまってられないのだ。
「そうね。なんかあったらあたしがぶっ飛ばす」
「ヤメテ。地球があぶないから」
「あはははは」
文屋大原にうけた。俺の副官としてもののふの部隊をまとめる武官としてすこぶる優秀な男。どこでもお供しますと、ほんとにどこにでもついてくる。俺にはもったいないやつだが。
四人は東海道に出て、近隣の有力な豪族たちのところに向かうのだ。戦費と兵士、そして武器などの調達にあたる。第一次東征軍が惨敗し、その敗戦処理もまだ終わっていないうちに、兵や金を出せと言っても、おいそれと出してくれないのは目に見えていた。朝廷の御威光で命令することもできたが、弟麻呂は説得による調達にこだわり、その役を俺によこした。
「金の無心に兵の無心か。俺には荷が重すぎるな。そんなのやったことねーし」
俺はぼやきにぼやいた。
「死んだ兄の広人なら簡単なんだろうなー」ちょっと兄のことを思い出して、心がうずいた。
「あんたばかだから力ずくって期待されてんじゃない?出さなきゃ潰す的なカンジで。そうならあたしも力かすわよ」
「だから鈴鹿がでるとそこの国がなくなっちゃうだろ」
「なに言ってんのよ、二、三潰せばあとはビビッて言うこと聞くわ」
「そういうの威圧外交っていうんですよ。あとでめっちゃ恨まれますよ」
俊哲がフォローした。命知らずな奴。
「俊哲?いつからあたしに意見できるようになったんよ、ああん?」
「いやいやいやいや。一般論です。一般論ですから。僕の意見じゃないですから」
「やめなさい、鈴鹿。ふたりとも怖がってるじゃないですか」
「ちぇっ」
鈴鹿も俊哲も本気で言ってるわけではない。みんなそれなりに俺に気を使ってくれているんだ。
「伊賀の国に入りました」文屋が笑いながら言った。
伊賀の国に入ってから、いくつか有力な豪族や氏族を訪ねたが、すべて居留守をつかわれた。
どこでも酒食を供され厚く歓待されるのだが、本題に入ろうとすると途端に主人がおりませんゆえ、とかわされてしまう。
「おまえたち、なめてんのかっ」と、鈴鹿が切れたときもあったが、主人が出て来なければ話にならないのだ。
伊賀の人々は鈴鹿御前を知っている。顔は見たことはないのだが、田村麻呂のつれあいと言えば、わかるのだ。震えあがっているはずだが、それでも出て来ないのには何かわけがありそうだった。
「まあ、いいさ。まだ先がある。伊勢から東海道だ。きっと大丈夫さ」
おれはもう楽観するしかなかった。
秋もいよいよ迫り、山々も色づいて来た。街道沿いの村々からも祭りの音が聞こえる。
「この先に大きな社が立ったそうです。なんでも毘沙門天を祀っているとか。先ほど村のものが教えてくれました」文屋がなにか聞きだしたようだ。使える男だ。
「毘沙門か。何かの縁だ。参っていくか」俺は苦笑いしながらその社の方に向かった。
しばらくすると森の中に、大きな開けた場所がある。こんなところに社があるのかといぶかっていると、どこから現れたか巫女の姿をした女が現れた。あやしい。ぜったいあやしい。
「お社をお尋ねですか?」
「はい、迷いましたようで」
「ではご案内つかまつります」
「いえ、いいです。なんか面倒なんで帰ります」
「いやいやいや、せっかくここまでいらしたからには、是非寄っていただかねば」
「犬の散歩も忘れていたので、急いで帰らないと」
「へっくし」
「天姫だいじょうぶ?風邪?」
「ミコチ、ありがと。へんねえ。誰か噂してんのかしら」
「スクネどうしてるかな」
「浮気してないよね」
「まさかのスクネ。心配」
「してたら殺そうね」
「うん」
こわい相談しているふたりだった。
巫女は必死だった。なんでこんなに必死なのか。見ている方が気の毒になってしまう。
「とにかくっ、とにかく一度だけでもっ、お参りをーーー」
「ねー、なんかかわいそうだから、行ってあげればー?」
「えー、なんか気分のらなくなっちゃったしなー」
「それにひ、ひともたくさん、そ、それにおなごも」
「ぼくいきたーい」俊哲、はしたない。
そうこうするうちに鳴り物の音がしてきた。お囃子にしてはどこか雅な。
「もうすぐです。もうすぐでーす」
「かなり必死だな」
「お賽銭を期待してんのよ」
「こまかいの持ってねーぞ」
「あんたが団子屋でみんな使っちゃうからでしょーが」
「半分以上食べたお前がいう?俊哲も文屋もひと串しか食ってねーぞ」
「あ、ぼくらならいいです。気にしないで」
「ふっふっふ。よく来たなお前ら。ここがお前たちの墓となるところだっ」
大声でだれかが叫んだようだったが、団子のなすり合いで、それどころではなかった。
だらららっ、と簾が倒れかかるような音がしたかと思うと、ものすごい数の矢が放たれ、こっちに降りかかってきた。
いきなり罠に落ちた四人組。はたしてだれの仕業か?そもそも生き残れるのか?そう、仕掛けた方が。逃げるなら今。