俺の屍は、たぶん犬も喰わない
怨霊と戦い、敵本体は逃がしてしまった。ただ、兄の体を取り戻せたことに、俺はただ満足していた。
だがさらなる問題。戦いのあと、俺たちは再び家族のきずなをたしかめることができるのか?
さらに蝦夷討伐の内勅が下る。新たな仲間と、新たな旅立ちが始まる。
女どものお仕置きがようやく済んだころ、かねて体の具合の悪かった父が、死んだ。
その年の冬はとくに寒く、冷たいみぞれが降る中、俺は親父を見送った。
道鏡は『八尾』と名を改め、かいがいしく親父の世話をしてくれた。
「あっけないものじゃな。まったく、人の世というものは」道鏡は寺の山門あたりでポツリと言った。
「これからどうするんです?」俺は率直に聞いた。
本来なら死んだはずの身。見つかれば大ごとになる。が、道鏡はかまわず都をブラブラして、たまに知った顔に会っても、「えー?人違いですぅー」とか誤魔化した。
一般人では最高位となる位についた道鏡は、考えてみればおいそれと顔を拝める存在ではない。つまりそんなに顔を知られていないのだ。
たまに家に貴族のだれだれがやってきても、「あれーえ?どっかでみたことあんなー」くらいにしか思われない。ごくまれに気がつくやつもいたが、樽海やスサノオなど坂上家特殊部隊が脅しをかけるのだ。バレる気配は今のところない。以前ほど強力ではないが早良親王の怨霊は出没しており、そいつのせいにしているからだ。もしバレそうになってもミコチが異世界に飛ばしてしまうから、証拠もなにも残るはずがない。
「悪い顔してなに考えてる?」道鏡が俺の顔を覗き込んだ。
「しつれいな。悪い顔は、余計です」
「わたしもな、もう年だ」
「知ってます」
「おまえ、喧嘩売ってんのか?ああっ?だれがババアだ、コラ。なかすっぞ」
「そんなこと言ってません。もうどうしろと」
「だからな、家とか家族とか、だ」
「はあ」
「苅田麻呂(俺の父)が生きているときは居座ってたけど、もうあの人もいないからな」
「俺は小さいころ、そうですね、物心つく前に、母は死んだそうです」
「聞いている」
「だから俺は母の顔を知りません」
「まあ、そうだろうな」
「テンコやころくはもと妖怪で、こいつもら母親を知りません」
「そうか」
「そしてほかの弟や妹たちも、みんな同じように母の愛を受けていないんです」
「流行病で次々だったらしいな」
「あなただけなんです」
「え?」
「俺たちに、母のように接してくれた人は、あなただけなんです」
「いや、成り行き上、な」
「兄さん言ってましたよ」
「石津麻呂か?」
「八尾さんが家に来てくれてからというもの、家族というものが初めて分かった気がする。いつもよばれていく先でみる、家族の温かさが、ああ、家にもあるんだな、と」
「ふん、褒めすぎじゃ」
「いつまでも、そばにいてください」
「それはな」
道鏡としては、もう坂上の家には縁もない。まして血のつながりもないのだ。ことばでつなぎとめても、虚しいだけだ。
「にいさんっ」
「なんだ天姫か」
「あのさっ、困らせないでよ」
「ああん?なにを、だ」
「だから、母さんをっ」
「え、おま?」
みると天姫と八尾はポロポロ涙をこぼして泣いている。
そうだよな。言葉より、もうとっくに心がつながってたんだな。
山門のはるか上で、渡りの鳥たちが南の空に飛んでいく。俺は山門の石畳を踏みしめながら、この家族、もう誰一人失うことがないよう、命がけで守ると決めていた。
失うどころか増えそうです、にいさん。
喪が明けた日、俺は家族全員から呼び出された。
喪中とはいえ俺はずっと無為に過ごしていたわけではない。
いずれ蝦夷との戦いに投入される。無様な戦などできない。戦地から鹵獲した武器や戦況の分析など、ほぼ毎日道鏡、いや八尾の方(未婚なんだから姫だろうと突っ込んだが、いやそこは方だろ方と言い張られてしょうがなくそう呼んでいる)や樽海とシミュレーションを行っている。言わば机上演習だ。
「なんすかー」俺は普段はだらしない。
「ここへ座ってください」
「座ってるよ?」
「あ、おほん」
「ねえさま、しっかり」
天姫が高子に声をかける。なんなのだ、こいつら?
「あなたはもう、お忘れになったのかも知れませんけど」
「忘れてないよ」
「え?なにを?」
「え?なにが?」
「と、とにかくもう喪が明けたのですから」
「明けたよねえ」
「やはり、きちんとしなければなりません」
「いや、まったくそのとおり」
「あなた?」
「はい?」
「わかってらっしゃるの?」
「わかってますよ」
「なにを?」
「なにが?」
「もういいぜ、こいつ殺そう」すっくと立った鈴鹿は妖刀『血吸』を抜いた。
「わーー待て待て鈴鹿、話がみえん」
「春駒さんのことです」
「え?春駒?」
そういや怨霊退治の時、兄の刺客として俺を殺そうとした、母を人質に取られながらも、最後は俺と死のうとした、あのキャバクラのナンバーワンの春駒がどうした?俺の本能は危険を察知した。ヤバイ。
「いかん、宮中に火急の用があるとさっき使いの者が。帝をお待たせするわけにはまいらん。いざ」
俺は自分でも感心するほど素早く座を抜け、裏の門扉の警備する兵をしり目に「ごめんね、あとでねー」と言い訳がましいセリフをドップラー効果を十分効かせながら脱出を図った。飛び込むように門扉を開け出ると、今しがたいた大広間に出た。
「あなた、お座り」
「わん」
坂上家始まって以来の主導権を女どもに握られた家族会議が、はじまった。
高子が親父や兄の席に座ってる。その左右に鈴鹿と八尾の方。そして天姫とミコチが座ってる。さらになぜかチャッカリ千手がいて、スサノオとイザナギ・イザナミ元夫婦の呪われファミリー、驚いたことに鈴鹿の親父の第六天の魔王まで腕組みして控えている。兄の石津麻呂は当然のような顔をして座っており、隣に座っているのは最近兄に嫁入りしたばかりの静子姫だ。
俺の後ろには弟、妹たちがすべて揃い、しかも兵のうち左官クラスのやつまで傍聴している。俺の横に樽海と腹心の文屋大原が座っている。傍聴席の後ろから俊哲が心配そうに顔をのぞかせている。
「なんの、さわぎなのだ?」俺は威厳をもって、誤魔化そうとした。
うすうす気がついた。いやバカでも気がつく。これは家庭内裁判だ。しかも俺の立ち位置は被告席である。犯人じゃん。
「ではこれより田村麻呂さまの、お裁きを始める」鈴鹿が朗々と言った。
「待ってくれ、俺はなんのことだか、かいもく見当がつかないんだが」
「被告人は私語を慎むように」
高子がぴしゃりと言った。もう罪人決定な雰囲気やん。
「では証人、前へ」
「はい」
高子の声に促され、天姫が進み出た。
「ここでは一切の嘘、偽りを禁じます。もし違えばなんたらかんたら」
「はい」天姫は小さくうなずく。
鈴鹿が進み出てくる。
「先の怨霊退治のとき、敵本拠にて遭遇したものはここにおるか?」
「はい。でも広人さまと怨霊本体の早良親王には会いませんでした」
「それだけか」
「いえ、今一人、この場にはいない人が」
「裁判長」文屋が手を挙げた。ええ?裁判長って?
「なにか」高子が答えた。高子、あんたまさか、俺を裁くの?マジで?なんでー。
「証人はいない人物について、話しています。架空の人物について証拠能力はないと思われます」
「あんたねー、だれに向かって言ってんのよ」
「鈴鹿さん、冷静に」
「ちぇっ」
「かりにいたとして、この件に関しどのような重大な関与があったか、すでにかなりの時間がたった今、もう証拠たるやすでにその根拠も損失していると見るのが妥当です」
いいぞ、文屋くん。なんだかわかんないけど、すごくあたまよさげに聞こえるぞ。
「わたしは聞きました」座がシンと、なった。
「その人が、兄を」嗚咽しながらなにいいだすテンコ、こら。
「兄を愛している、と」
全ての場所から驚愕の声があがった。
「いやいやいやいや」
「被告人は静粛に」
「ふん。以上、証人喚問を終わるわよ」鈴鹿、なんかそういうの似合ってんな。
「反対尋問を」
文屋、がんばれー。
「あなたはその人物のほかに、その場にだれがいたか、ここで言えますか」
「はい。ほかにはあにさまと、スサノオさまが」
「どうしていました?」
「あにさまは、その方の肩を抱いておいでで」
キャーっという悲鳴があがった。
「スサノオさまはまるでそれをお止めになる仕草でした」
「つまりどなたかに迫ろうと抱きしめている田村麻呂さまを、スサノオさまは止めようと」
「はい、ハッキリとあたしの目に。もう切羽詰まったようすでした」
「以上でおわります」
文屋くん、だれの味方なんだい?
「では次の証人、入りなさい」
奥の間から春駒が出てきた。
そうだよな。春駒なら俺の冤罪を晴らしてくれるよな。
「正直に話すように」
高子は少し影のある顔をした。
「単刀直入に聞くけど、アンタ、田村を愛してんの?言っとくけど、ここじゃ誤魔化しもなにもできないんだからね。ここにいる天姫はもう神だし、あたしだって魔界のナンバーツー背負ってんのよ。嘘なんかすぐばれるんだからね」
「鈴鹿さんは徒に証人を脅さないように」
「へーい」
「わたしはたしかに田村さまをだます目的で近づき、そして殺そうとしました」
会場から低い悲鳴が聞こえた。
「殺してわたしも死のうと」
これはいったいなんの茶番なんだろう。俺はもうなんだかわからなくなった。
「母とここでお世話になって、みなさまにほんとに温かくしてもらって、こんなこころの汚れ切ったわたしを、ほんとに家族みたいに、接してくれて。わたし、生まれて初めて、心の底から、楽しいって感じて。だからもうほんとに、感謝しています。ありがとうございました。一生忘れません。こんな御恩、どうやったって返せませんが、母と二人、いつまでも田村さまのお幸せを願って生きていきます」
「そう?じゃ、アンタは田村を諦めるって言うのね」
「諦めるって、そんな、恐れ多いことは」
「冗談じゃないわ。あたしたち、高子もテンコもミコチもみんな命がけでやってんのよ。恐れ多いとか資格がないとか、ばかなこといってんじゃないわよ」
「そうね、みんな命がけね」
「ミコチ、真剣」
鈴鹿、テンコ、ミコチ。ありがとな。
「あとはあなた次第よ、春駒さん」
高子、かっこいいー。
「春子、です」
「え?」
「藤原春子です。わたしの名は」
「わたしはみなさんの命がけの心を知りました。わたしはわたしの命を懸ける場所をいまいただきました。わたしは田村さまを愛しています。そしてみなさまに後れを取らないよう、一生懸命頑張りたく思います。本当にありがとうございました」
最後はアイドルの卒業コンサートみたいになってたのは気のせいか?
「春子です。よろしくお願いします、だんなさま」
春子はペコリと頭を下げた。
「めんどくさいことをしたなあ」
俺は呆れて鈴鹿に言った。
「そうじゃないと、みんなに納得してもらえなかったじゃない。一度は命を狙ったんだから」
「まあ、そうだけどさ」
「不満なの?あのね、あたしもずいぶん我慢してんのよ」
「なにが」
「最初はあたしだけのだんなさまだったのに。あとからわらわら増えちゃって」
「そうだね。ごめん、鈴鹿」
「いいわよ、もう」
「なんで」
「愛してるって、言ってくれたでしょ。嘘だったの」
「ほんとだよ」
「じゃいいわ」
「なあ」
「なによ」
「俺の気持ちは、どこいった」
「あん?」
「いや、なんかおまえら勝手に俺の嫁宣言してないか?」
「ええー?」
「俺、だれにも嫁に来いとか言ってないぞ」
「ありゃー。気がついちゃった?」
「でもみんな愛してんでしょ?」
「あ、まあ、ね」
「じゃしょうがないじゃない」
「しょうがないのか?」
「あきらめるのも兵法よ」
「そんな兵法はない」
朝廷から使いが来たのはそれから数日たってからだ。
参議の一人に呼ばれた俺は小さな部屋に通された。
部屋に控えていると、か細い影がつつーと戸口から入ってきた。造営時治水に関わっていたとき上に立っていた貴族の『和気清麻呂』だった。
「またせた。父上のこと、愁傷である」
「はは」
「おねーちゃんたちはげんき?」
「はあ?あ、あー元気にしております」
「そうだよねー。げんきが一番だよねー。どうよ子供は」
「はあ?」
「なんだよ、子供。おこちゃま」
「いや、これがまだ、なんともはや」
「はやくつくんなよ。じゃないと」
「じゃ、ないと?」
「蝦夷相手だ。家がいくつあっても足んないんだよ」
おどけた中に凄みを漂わせた、こいつ、ただもんじゃない。
「とまあ、戯言はさておき、じゃ、本題」
「はい」
「この前出陣した第一次蝦夷討伐隊、覚えてる?」
「はい。しっかりと」
「征東大使に紀古佐美があたったよね。それがさー、ろくに戦いもしない、なにも関係ない集落からは略奪のかぎり、戦いをせっつかれて重い腰あげりゃーなんのことはない、大敗北する始末」
それはすでにスサノオから報告を受けている。大墓公阿弖流為率いる蝦夷軍が朝廷軍を打ち負かしたのだ。
「でさー、朝廷としては陸奥の国も捨てられないし、威信もあるからねー。で、第二次を考えてるの」
来た、と思った。ついに蝦夷の討伐に出されるのだ。盗賊や魔物の集団ではなく、本物の、しかもよく訓練されている軍と戦うのだ。
「もちろん今度は必勝を期さなきゃなんないから、まあ、人事は秘密なんだけど田村くんにだけには言っておこうかな。大伴弟麻呂くんが新たに征東大使に任命されたのよ」
「大伴弟麻呂さまですか?」
俺は少し驚いた。宮中では『鬼灯さま』(ほおずき)とあだ名がつけられている。見た目だけで毒にも薬にもならないと揶揄されているのである。
「驚くのは無理もない。ろくに武功もないからな」
「それが、なぜ」
「運よ」
「はい?」
「運がいいのだ、やつは。知っておろう、大伴一族がどのような目にあったか」
「はあ」
「そこにお主だ。もう、天下をとったのも同然ではないか。あいや、だれかに聞かれたらまた謀反なんぞと言われるわ。くわばらくわばら」
この人はどこまで冗談で、どこまで本気か、まったく底が見えない。
「それでわたしは?」
「そこな。これは内々ですがもうじき辞令が出ます。副官としてキミと百済王俊哲、多治比浜成、巨勢野足を任命します」
多治比浜成って、鈴鹿山でとらえられていたところを救出した、あのいけすかない貴族か。あとは知らないな。俊哲は今回も一緒か。心強い。
「まあ、がんばってね」
「はい」
「そうそう、きみ、藤原さんとこの姫を嫁にしたって聞いたけど」
「春姫、でございます」
「そう、気をつけてね。取り込まれると怖いけど、後ろ盾にすればこれほど強いものはないから」
「こころします」
「今回の人事ね」
「はい?」
「あんたの出世祝いらしいわよ。式家じゃもっぱらの評判なんだって、あなた」
俺は胸が悪くなった。
「ねえ、どうしたの。さっきから苦虫かみつぶしたようにしてさ」
「テンコ、いま俺はモーレツに腹が立っている」
「あー、鈴鹿姉さまがにいさまのおやつみんな食べちゃったからでしょう?あとであたしの半分あげるわ」
野駆けで俺はテンコを後ろに乗せ馬で山に入っていった。
「そんなんじゃないさ」
「ぷっぷー。わかんなーい」
うっそうとした山の中に俺たちは分け入っていた。
「そう言えば、なんでこんなとこきたの?」
「見つけにさ」
「え?なにを?」
「薬草」
「薬草って、どんな?」
「どんなにでも効く薬草」
「そんなの探してどうすんのさ」
「必要なんだよ」
「なにに?」
「今度の戦に、さ」
「え?」
あてもなくズカズカ歩いているうちに、見当がつかなくなってきた。
「ねえ、あにさま。これって遭難」
「遭難いうな。た、ただの迷子です」
「それを遭難ていうんじゃ?」
薄暗くなってきてさすがに不安になってきたころ、かすかに音がする。
しかもそれはだんだん近づいて来るのだ。
「静かにっ、テンコ」
「静かにしてるわよ。音立てるのにいさんだけよ」
やがて音はすぐそこまで来た。熊かイノシシか。こんな山中、ろくな獣は居るわけない。キッと刀の柄を握りしめた。
「あっ、なんかいると思ったらひとじゃん」
え?
「あのーどちらさまで?」俺はいぶかしんで聞いた。こんな山ん中、いるのは猟師か山賊ぐらいだ。
「えーと、俺はまお。佐伯眞魚。どうやら猟師や山賊、とは違うみたいだね」
俺と同じこという。
「まおー、なんかいたの?」
「おお、ちえ。なんかアベックがこんなとこでイチャイチャ」
「してねーし」
「あら、珍しいわね。まおが自分から人に寄ってくなんて」
「すいません申し遅れました。わたしは坂上田村麻呂。こっちは妹の天姫です」
「あー知ってる。都じゃ有名な」
「有名なの?」
「うん。破壊王」
「なんやそれ」
「なにしてたの」
「それがさー、あにさまが道に迷って」
「そうなんだー」
でたよ。
「いえ、あるものを探しに」
「あるものって、なに?こんなとこになにがあるの?」
「薬草を」
「ああ、そうかそうか。薬になるやつね。それで、あったの?」
「それがかいもく」
「ふーん。で、なにに使うの?」
「解毒、です」
「解毒?そりゃまたぶっそうな」
「今度行く戦場には、矢に毒を塗る敵がいます。ぶす、ともトリカブトととも言うらしいんですが、その毒に効く薬草がないか探しに」
「そう。まあこの辺にはないよきっと。送るから早く帰った方がいいよ」
まおと名乗る青年は急に顔をしかめると、嫌そうに言った。
「どうしたの、急に?」ちえと呼ばれた娘が怪訝そうに尋ねる。
「どいつもこいつもいくさいくさ。どうして人間は人殺しが好きなんだろうね」ふてくされるように言った。
「好きじゃないよ」
「え?」
「みんな生まれてから役目があんだよ。その役目を果たそうとしてんじゃないか。そりゃ人殺しは悪いことだよ。俺だって殺されたくないよ。でもみんな守るために、戦いに行くんだよ。相手もきっとそうだよ。いくさなんてしないで、みんな話し合えばいいのに、それでおだやかにすむならいいのに、それでもいくさはなくならないんだよ。動物は生きるだけ生きる。でも人はときに生きるために死ぬ。だれかを生かすために死ぬんだ。俺ら業は深いけど、あんたみたいに言われたら、死んだ者にすまないって、もうそれが悲しいんだよ」
「おにいちゃん、やだよ。テンコ、おにいちゃん泣いちゃいやだよ」
なんでだろ?俺は初対面のこいつに、なにムキになってんだろ?
「そこに小屋がある。もう遅い。山になれないやつはもう歩けもしない。今夜はそこに泊まれ」
「あら、まお、めずらしいじゃん。人を泊めるなんて」
「うっさい。薪でも拾ってこいよ」
「え、なかに一杯あんじゃん」
「もう、じゃ柿でも取ってこいよ」
「この時期あるか、んなもん」
何だこいつら?
粗末な小屋の囲炉裏に四人が腰かけている。
だれも一言も発しない。
オオカミか、山犬の遠吠えが聞こえる。
「鹿を見つけたみたいだ」まおと呼ばれた青年が言った。
「わかるのか」つられて俺は聞いた。
「ああ。あおーんの、おー、のところの音が微妙に下がると、鹿がいたということらしい」
「そうなのか、すごいな。よく知っている」
「嘘だ」
「なにーっ」
「おまえがあまりにも仏頂面してるんで、からかった」
「それは人としてどうかなー」ちえはフォローに入った。
「あははははは」
乾いた笑いだった。
「このほど蝦夷討伐を仰せつかった、田村麻呂だ。戦地でたくさんの同胞を助けたい、ただそれだけで、あてもなくやって来てしまった。おふたりに迷惑をかけて重々申し訳ないとおもっている。明日にはさっさとこの地を離れるゆえ、堪忍してくれ」
俺は頭を下げた。つられてテンコも頭を下げた。
ていうか、さっきからテンコはもしゃもしゃと何か食べている。
「ゆば、という、豆を潰して煮て、海水からとった澱をこした汁で煮固める途中で出来る薄い膜を干して固めたものだ。湯で戻して、『醤』(ひしお)に漬けて食うとうまいんだ」
「ふーん、豆をねえ」俺もいただいて食ってみた。淡白ななかに、豆の風味が広がり、醤のしょっぱさが何とも良い具合に味を引き出している。
「うまい」
「でしょー、あにうえ。テンコ、これ好きー」
「あ、てめえ、食いすぎ」
「あはは、あははは」
「ちょっと、まお。笑いすぎ」
「べつにいーよー。俺はこういうキャラだし」俺はなんか友達んちにいる感覚になった。
「ぷっ」ちえは、吹いた。
「あんたがさっき言ってたぶすのこと。あ、トリカブトの根から取り出した毒のことだけどね」
まおは急に真顔になって話し始めた。
「ありゃあ、解毒なんてできないよ」
「え?都の薬師はいろいろな処方でできると」
「嘘っぱちだ」
「マジで」
「マジだ」
都の権威ある薬師たちよりも、俺はなんだかこのどこのどいつとも知れない人間の言葉を信じてしまいそうになった。いや信じていた。
「では、救えんのか?」
「方法は、ある」
「ど、どんな」
「矢に当たった部分の、心の臓に近いところをきつく縛り、それ以上毒が心の臓に回らないようにする」
「それから?」
「矢を抜き、傷口から毒を吸い出す。この時口で吸うのはだめだ。毒に当たる」
「じゃあどうすれば」
「竹筒に小さな穴をあけ、片方には皮を巻いた木の棒を通し引っ張る。こいつで吸い出すんだ」
「よくわからん」
「見てな」
まおは手近の竹を取り、小刀で小さく穴をあけた節を、片側だけにつけたものをこさえた。棒きれに濡らした皮を巻き筒に入れる。
「ホラできた」
「簡単だな」
「どら吸ってみよう」
まおは俺の腕につけると棒を引いた。
「いてててて」
「おおげさなやつ」
「いやマジで痛いやん」
「そうかなあ?」
「貸せ」
「あたたたたた」
「だろ?」
「なにすんだよ、あとが残るじゃないか」
「あたしにもやらしてー」
「あたしにもー」
「やめなさい、あんたたち」
「でも、毒を吸い出しても、たすかるかは運しだいだ」
「そうか。でも可能性はでてきた。ありがとう」
「まおっていったか」
「ああ、佐伯眞魚だ」
「一緒に来ないか?」
「はあ?」
「お前の知識、惜しい。なんか、俺の兄に似ているんだ」
「もういないのか」
「うん」
「そうだろうな」
「なぜわかる?」
「お前みたいな弟がいたんじゃ、すぐに早死にする」
「まったっくだ」
「いい兄貴、だったんだな」
「え?わかる?」
「わかるさ」
「ま、俺もヒマだしなあー」
「ちょっと、なに考えてんのよ、まお」
「ちえ。悪いがおじさんにつたえといてくれ」
「こいつらと行く気?」
「たのむ」
「それはムリね」
「なんで」
「あたしも行くからでしょ」
「え、マジか。やめろ。いくさだぞ」
「女だって戦えます」
「いや無理だから」
「都に」
「はあ?」
「鈴鹿御前という女の子がいるのよ。知ってる?」
「さあ」
「野盗をけちらし、怨霊を投げ飛ばす、超武闘女子。もう都のアイドルよ」
あー俺の嫁、どこへ行くー。
次の日、二人は一緒に都に。俺の屋敷に当面は寄宿だ。
「お客さんだってー」ミコチが告げる。
「おー、なんかいっぱいひとがいるな」
「珍しいわね、こんなにひとのいるところ、アンタいつも嫌がるじゃない」
「んーー、なんでかなー」
まおさん、いまあなたが手をつないでるの、人じゃありませんから。
「鈴鹿だ。よろしくなーっ」
ちえは卒倒した。
「なんかまた人がふえてんなー」
「俊哲、どうした?」
「あ、こいつ、連れてきた。巨勢野足っていうんだ」
「ああ今度の遠征の」
「うす」
なんか、こういうやつ、癒される。
「顔見世ついでにテンコちゃんと遊ぼうと」
「庭にいるぞ」
「そうか。じゃ、ちょっと顔見てくるー」
「ああ、きをつけてな」
「?」
平城京の俺んちの屋敷を設計したバカが、懲りずにまた俺んちをいじっていった。サービスだとか。おかげで俺んちの食卓はにぎわうけれど、俺ところくはどうしても引っかかる。
まあ、俺が引っかかってもだれも見向きもしないが。俺の死骸は、たぶん犬も喰わないんじゃないか?
ぎゃーーーっ
俊哲も、だ。
いよいよ蝦夷討伐がはじまる。
今回は家庭のことにずいぶん時間をかけました。かれらの絆のもとはどこなのか。深く探ってみたくなったからです。後半に出てくるまおたち。かれはこのさき日本に大きな足跡を残します。それぞれの英雄が、それぞれの仕事をする。そうして歴史ができていくんですね。