昇る星、墜ちる星
ついに直接対決となる坂上兄弟。兄は秘剣『楚葉矢』(そはや)を構える。対する弟、田村麻呂は、てきとうに家から持ってきた謎の大刀『雷煌』(らいこう)。スサノオと早良との戦いは兄弟の熱い戦いにちょっと霞んでしまうが、みごと怨霊退治なるか、それとも返り討ちとなってしまうのか。
『雷煌』は広人の妖気に反応したように鞘走った。
「あ、コラ、こいつ」
「どうした?」
「この太刀勝手に鞘から出ようとしてる」
「キモイな」
「賢い太刀ですよ。そして恐ろしい。それはね、なんでも切れてしまうんです。いえ、切れないものはない、といった方がいいんですかね。ただし、その剣が切りたくないと思ったら、まったく切れない。厄介なので今までだれも使おうとしなかったんですよ」
広人がまばゆそうに見ている。
「うえ、切れないもんはねえって、しかも切りたくないなら切れねえって、なんなんだよ」
スサノオは呆れて言った。
「俺にちょうどいいのかもね」
「たしかに」広人は少し笑ったように見えた。
妖気が強くなり、玄室いっぱいに広がってきた。
「来るぞ」スサノオは小さく俺に合図した。
広人から何かが抜けたように見えると、それはワラワラと大きくなりはじめた。
やがて人のカタチになったそれは、二人の前へ進み出た。
「こんばんは。早良です」
「はい?」
「おい、田村よ。なんかフレンドリーな奴がでてきてっけど、お前の知り合いかなんかか?」
「知らねーし。早良っていってんだから怨霊の主だろ」
「あーそこ。コソコソ言ってないで」
「怨霊のくせになんか注意してきたぞ」
スサノオと田村は補導される寸前の中学生みたいになっていた。
「やっぱり君たちが来ちゃったね。僕らの計画ももう少しだったんだけどな」
「計画って、何のだ」
「それ知っちゃったあとに僕ら退治しようとしても、もうできなくなるかもよ」
「じゃ聞かん」
「おい田村、そこは聞こうよ。あいつもなんか言いたげだしさ」
「えー、めんどくさそうだし」
「ふ」広人がまた笑ったような気がした。
「僕はね、まったくの無実なんですよ」
怨霊は二人にかまわず語りだした。
「僕は小さいころ勝手に寺に放り込まれて、嫌々でも仏の側で仕えて。いや徹底的に彼らの理を教え込まれた僕は、やがてその地位を高く上げていき、そして完全に彼らの言いなりになるとわかると、とたんに僕を還俗させ、今度は宮中へ放り込んだ。オオカミの巣にウサギを投げ入れるような仕業です」
怨霊は怒りを抑え気味に、なかば自嘲するように話した。
「朝廷は寺側を押さえるためと、寺側は朝廷を動かすためと、双方の思惑は入り乱れました。その中心となったのが」
「藤原式家か」
「そう。かれらは朝廷を操るため、幾重にも人事を張り巡らしていて、そう、まるで蜘蛛の巣のように」
俺は気分が悪くなった。
直接俺は関わらなかった、とは言いながら、あの百川の言うことを聞いてしまった以上、俺もその糸に絡まっていたのかとおもうと、なにか忸怩たる思いがこみ上げるのだった。
「彼らは恐ろしい。目的のためなら身内も平気で殺す。藤原種継は利用され殺された」
「しかし百川はもう」
藤原百川はすでに亡くなっていた。
「そう。僕が殺した」
藤原式家はもうすでに朝廷の懐深く入り込んでいる。聖皇の后は式家の女だ。すでにまわり中に式家の女が配されている。
「歌が好きだったんですよ。家持と一緒に歌集を作るのが僕の夢だったんです」
家持はすでに亡く、その一門はこの事件の犯人として死罪や流刑になっている。だが、その歌集の存在は知っていた。しかし早良親王の歌はすべて削除されたと聞く。
「ひどい話だな」スサノオが口をはさんだ。
「だからといって片っ端から殺していくなんて、そんなの許されるわけがない。お前だって僧侶だったんだろ。仏に仕えていたんじゃないのか」
俺は怒りに震えた。
「もう還俗したし、仕えていたのは寺、ですよ。仏に、なんかじゃなく」
「じゃ、成仏させてやる。仏は嫌がるだろうがな」
「さすがは武神・毘沙門の化身。今の話を聞いてもブレませんね」
すうっと兄、広人が動いた。
「お前の相手はわたしだ」
「おい田村、そいつはもうおめーの兄貴なんかじゃねえ。遠慮なくぶっ飛ばしちまえ」
「ふふふ。俊宗さん。あなたが武神ならわたしは知神というところでしょうか。どちらの力が上か、勝負しましょう」
広人はすらりと大刀を抜いた。『騒速』(そはや)に似ていたが、見たことがない剣だ。
「美しいでしょう?これは『楚葉矢』といいます。あなたの、そはや、と兄弟の剣なんですよ」
「剣にも兄弟喧嘩させるたあ、おめーの兄貴も趣味がいいぜ」
「まあ、そこが賢いとこだよね」
「いや、褒めてねーし」
「もっとも今日は『騒速』持ってきてないし。兄弟喧嘩にはならないよね」
「それがわたしの誤算ですね。『騒速』ならこの剣のほうが上。なんで持ってこなかったんですか」
広人は少し顔をしかめた。
「あー、ころくに預けた。守備部隊の将なんだからこれ持っとけと。喜んでやんの、あいつ」
「んでおめーは」
「適当に家探ししてたらあったんで、これ持ってきた」
「よりによって、いえ、それがあなたの運、なんでしょうね。古来英雄というのは武や知でなく強い運があればこそ、ということが言えます。そこのスサノオさんも、そうだったんじゃありませんか」
「まあね」
まんざらでもないスサノオ。英雄って言われてうれしいらしい。
じゃ、そろそろいきますか。
病弱だった兄しか知らなかった俺は、その速さに驚いた。まさに風のように襲ってくる。
しかし勝手に鞘から飛び出した『雷煌』は、スッと俺の手に収まると第一撃をなんなく受けた。
「やはり厄介ですね。意思をもつ剣というのは」
「え?なにそれ。こいつなんか考えちゃってるの?」
「むしろ、精霊に近いんですよ。それは。力の弱いものは簡単にそいつに操られてしまうし、力がつよくても気に入られないとただの鉄の板、というわけです」
「なんちゅうワガママな剣だ」
早良の怨霊と戦っているスサノオが振り向いて言った。
「もー俺の武器ってそんなのばっか」俺はスサノオを見返した。
スサノオは目を逸らした。
広人は速く、しかし最小限の動きで攻撃し、かわす。俺は段々と動きも技も大きくなっていった。
「田村っ、大振りになってやがるぞっ」
「わかってる。が、つかまらないんだ」
動きが小さくしかもそれが捉えられないと、逆にこちらの動きは大きくなる。大きくなれば見切られてしまう。広人と剣術の稽古はしたことがなかったが、稽古はいつもみていたのだ。つまり、俺の長所も短所もすべて知り尽くしているのだ。
少しずつ押されてきた。広人は俺の急所をあえて狙わず、腱を切断しようとしていた。動けなくするのが目的だ。速く細かい動きに対処するには、態勢を大きく崩された今では難しい。
「しゃーない。鈴鹿のパクリだが」
攻撃や防御の間に霊波を打ち込む。たいしたダメージは期待していない。だが隙ができなくなるのだ。これは大きい。まして相手はただの大刀だ。『鬼切』のようにスサノオの意思を宿しているわけではないのだ。自動防御機能はない。
あれ?意思を宿す?
「あのーもしかして、なんかしゃべったりできます?おーい、かたなさーん」
「おめえ、だれと話してんだっ。戦闘中に、よゆーだな」
スサノオが怒っている。
急に体を制約された。
「あり?」
「オマエハ ムダガ オオスギル」声ではない。直接頭に響いてくる。
「チカラヲ ヌケ」
「どうした、田村」スサノオさん助けてー。
「ミギアシヲ ダセ スコシ ダ」
「ヨコニ ズラセ」
どうやら足さばきを教えてくれているらしい。
「ジョウタイガ ヒライテ イル」
「ワキヲ シメロ」
「はいはい」
「オボエタカ」
「あーなんとなく」
「どうしました?なにか動きがちがいますね。さっきとは全く別です」広人は驚いたように言う。
驚いてるのは俺のほうなんだけど。
「それは何だ?」広人とスサノオが同時に聞いてきた。
「あのーそれはなにかと、聞いていますよ」おれは刀に頭の中で話しかけた。
「観世的真諸賞要眼狐伝流」
「漢字一杯で覚えられません」
「ジャ 諸賞流 デ」
「だそうです」
「なにが、だそうです、なんだ。ちっともわかんねえ」
「えー、諸賞流、だそうです」
「なんじゃ、そりゃ」
「ちっ、古武道の亡霊が」
広人が舌打ちをした。いやいや亡霊はあなたです、広人にいさん。
広人の太刀筋が見えてきた。所詮は知識だけの技だ。実戦を繰り返してきた技とは違い、変化もバリエーションも少ない。
「キレル」
「兄を、ですか」
「カタナ モ オンリョウモ」
「ではお願いがあります」
「ナンダ」
「遊びはおわりだ」広人が打ちかかってきた。速い。だが直線だ。
『雷煌』は弧を描き広人の剣を弾き返すと、霞のように太刀筋が消えた。
ざんっ、と鈍い音がすると、広人は倒れた。
「にいさん」
「く、あ、俊宗、か」
「にいさん、しっかり」
「ああ、切られたのか。しかしどこも傷がない」
「切ったよたしかに。でも切ったのはにいさんじゃなく、にいさんと早良の縁だ」
「どうして」
「切れないものはないっていうから」
「はは。しかしわたしと早良の縁なんて、どうして知っている?」
「ちいさいころ、にいさんは早良と一緒に寺に預けられたんだろう?にいさんは病弱ですぐに家に戻されたけど」
「そうだ。寺に預けられたとき、あいつはいた。すぐになかよくなった。早良はわたしの初めての友なんだ」
「道鏡が教えてくれた」
「そうか。ならわかるな。友だから、わたしが死んだとき、願った。あいつといっしょに、あいつの思いを、果たさせてやろうと。たとえそれが、間違ったことでも」
「もういい、にいさん。あまりしゃべるな」
「なにいってるんだ、わたしはもう死んでいるんだ。こうしているのは早良のおかげなんだ。しかしもう、時間がないようだ」
「にいさん、俺がなんとかするよ。そうだ、イザナミに頼んでみる。きっとなんとかしてくれるよ」
「死者を生き返らせるなんて、乱暴な真似はよしとくれ。わたしは幸せだった。今生き返っても、罪を背負っていかねばならない。このままそっと、いかせておくれ」
俺は悲鳴にもにた声で、泣いた。
「いかせてやれ。情けがあるなら、な」スサノオは厳しくも、やさしく言ってくれた。
「広人、さらば」早良はそう叫ぶと、とてつもない霊力を放ってきた。
陵そのものが吹き飛んだ。俺とスサノオと兄の亡骸は何とか無事だった。
「おおーい」道鏡と俊哲が手を振っている。
瓦礫の中、空を見上げると、もう夜明けが近づいている。
「早良はどうしたろう」
「どこかに逃げたな。あいつ、またやってくるぜ」スサノオは忌々し気に言った。
「いいさ。その時はまた相手してやろう」
「ずいぶん余裕じゃねーか。さっきまでピーピー泣いてたくせによ」
「すいませんスサノオさん、それみんなに内緒でお願いします」
「けっ」
「ところでスサノオさん」
「なんだ」
「なんで陵のなかにいたんですか」
「この一帯は前から目星をつけていた。怨霊出現のとき親父が知らせてくれて、まあ、お前がのこのこひとりで入ってくることは判っていたからな。罠のひとつもそりゃあるだろ?まあ、みごとにお前は引っかかったわけだし」
「引っかかてなんかいませんよ」
「へん、あの女に刺されそうになってやがったくせに、か」
「彼女のことは知ってたんです」
「はあ?じゃなんで刺されるのを承知で」
「樽海に身元を洗ってもらったんです。だって俺の字を知っているんですよ?俊哲から教わったっていってたけど、俊哲は俺の俊宗の〈俊〉とかぶるから、ぜったい俊宗ってよばないんです」
「バレバレだったわけだ」
「母親のことも樽海が調べてきて、怨霊がとりついたことも、その母親は藤原式家の縁者ということも」
「深いなー」
「だからころくのときみたいに腹に鏡を入れていたんです」
「道鏡からもらったのか?」
「いいえ、高子です」
「なんと。知っているのか」
「はい、包み隠さず。俺たちは家族ですから」
「まいったな」
「ちょっと怒られましたけどね」
「よくそれだけで済んだもんだ」
「いえ、これから鈴鹿と天姫とミコチに怒られるそうです。ははは」
「死ぬな」
「だいじょうぶ。この鏡が守ってくれます」
俺は腹から鏡をとりだした。
「オイお前、刺されようとしたのと反対側じゃないのか?そっち」
「え?あれ?えーーーっ?」
道鏡と俊哲、そして兵たちが集まってきた。
道鏡は兄の亡骸にきちんと手を合わせ、経文をなにやら唱え始めた。
「死してなお、お前と戦えて、見てみろ、この幸せそうな死に顔」道鏡は涙をためていたが、優しく言ってくれた。
「昇る星、墜ちる星、か」道鏡はしみじみといった。
少しして、ミコチがやってきた。みんなを家に転移するためだ。
「いくよ、つかまって」
「なににですか?ミコチさん」
「だまって」
「はい」
おれひとり、みしらぬ土地にいた。ああ、ちょっとしってるぞ。血の池とかある。わあ、火の山だよあれ。針の山痛そー。あ、大嶽丸とか高丸とかいるー。ひさしぶりー。ねえ、ここって。
おしおきはもう始まっていた。
兄弟の別れは、星のきらめきのように。道鏡は薄幸だが精一杯生き、死しても弟を思いやる広人の心に触れ、涙した。もう帰ろう、家に。みんなが待っている。田村麻呂は、お仕置きが待っている。