青年立つ 遷都 その四
ついに怨霊との戦いがはじまった。群がりくる怨霊・死霊に道鏡や俊哲はどう立ち向かうのか。天才・広人に田村麻呂はどう戦っていくのか。智謀の限りをつくし、敵の本拠に迫る。
道鏡率いる第一部隊が戦闘に入った。敵は数百、いや千に届こうかというの怨霊の群れ。
「散らばるな。数人ずつかたまって対処せよ。訓練通りだ。動け、休むな」
道鏡は戦いながらも的確に指令を出している。優れた戦闘指揮官だ。
「右翼、持ちこたえろ。後方の矢、弾幕を張れ。惜しむな」
まさに鬼神のはたらきだ。
「道鏡さま、援護に」
「俊哲か、ありがたい」
「右翼に兵五十、そのほかは我に続け」
俊哲は中央を抜ける意図を示した。魔軍はそれに対処しようと寄せ集まってきた。
それを見て田村麻呂私兵の二十人が横やりに攻め込んだ。少数ながらよく訓練された兵は、驚いたことに神力を使う者もいた。天姫が見どころのある数人を鍛えていたのだ。
傷ついた兵はミコチによって後方の坂上の屋敷に転送されている。いまのところ死者は出ていない。
「よし、このまま押せっ」
「道鏡さまに続けっ」
「俊哲、都の中では道鏡いうな」
「じゃ、なんとお呼びしたら?」
「八尾じゃ」
「は、八尾姫で」
「やおで、いい」
「追い詰めております」
大原が戦況を報告した。
「そうか。だがこのままではすむまい。やつらが引いていった時が問題じゃ。罠があると思え」
「は」
大原は踵を返すと部隊の指揮に戻っていった。
やがて死霊たちが引き始めた。道鏡たちは深追いせず見守っていると、はるか西方から幾筋もの火の束が襲来し、死霊の後方へと着弾し始めた。
「あぶないところでございました。深追いすればあの火がまともに」
俊哲が身震いした。
「左右にわかれて進む。目標は西山御陵。隊の陣形を崩すな」
見事な采配である。こののち、蝦夷との戦いではそれがいかんなく発揮される。
道鏡は田村麻呂と鈴鹿に思いをはせる。すでに道鏡の感情は二人がいとおしいがまでにたかまっていた。
いや、高子や天姫、ミコチやころくに対しても、だ。
「フフ。われながらどうしたのかな。仏の御導き、なのかな」
傍に追従していた俊哲は、不思議そうに道鏡、いや八尾を見つめていた。
「どうする。ここで押さえるか」
鈴鹿が聞いた。
「いや、真ん中だ。真ん中に切り込み入る。押さえに入ったら俺たちの位置が特定されてしまう。後方も火だるまになるだけだ。それより中央で乱戦になれば、俺たちの位置はつかみ辛い」
「わかった。そして西山、までだな」
「そうだ。西山に着いたらお前は先頭に出て、死霊たちの相手をしてくれ」
「あんたは」
「ああ、陵に入る」
「一人では行かせられない」
「大丈夫だ」
「せめて道鏡たちが来てから」
「それじゃ逃がしてしまう。決めたはずだろ」
「じゃ、わたしが陵に」
「鈴鹿」
「え、はい?」
「愛してる」
俺は勢いよく飛び出すと、死霊軍の真ん中に突っ込んでいった。
「ばか」
鈴鹿はすぐに追いついてきた。
死闘が始まった。
「どうなっている?皆目見えん」
「ふふ。何者かの邪魔が」
「ありえん。なぜじゃ」
「わが弟、田村麻呂にて。やつらめは、ただの人ではありませんゆえ」
「く、都を廃墟に、そして帝ももう少しで呪い殺せるところを」
「時期をお待ちになればよかったですね。じきに蝦夷にかかりきりになるというのに」
「おれの恨みはもう待ちきれない。張り裂けそうじゃ」
「こらえ性もない。耐えて生きればまだ命の先もありましたでしょうに」
「お前の知恵の毛ほどでもあったらな」
「おや、わが弟が来たみたいですよ」
早良親王や兄貴の目は、都の櫓の『大悲の弓』が発する霊波のジャミングで塞いでいた。長岡京イージス・アショア最大の力である。
戦況が見えないことには命令をだせず、やがてじり貧に戦況が後退するのは自明の理である。
「やれやれ。わたしの知らないハイテク戦ですか。侮れませんでしたね、俊宗さん。でもこっちにも裏技がありますよ」
広人はすでに用意してあった方陣に向かうと、人型に切った札を投げ入れた。
「およびですか、広人さま」
「ああ。やつを、殺せ」
方陣から現れた人影は霞のように消えた。
相当数の死霊・怨霊を倒してきたがまだ先は見えてこなかった。しかしようやく陵の入り口まで来るとそこからはなにも襲ってくる気配がなかった。
「ふう。あれだけの数だけど、鈴鹿なら心配ないか」
ときおり凄まじい音がするのは、鈴鹿が放った霊波か魔力であろう。一筋で百か二百の魔物は吹き飛ぶ。
奥に続いている暗く深い通路を行くと、人影があるのがわかった。
「だれ?」
俺は兄さんがいたのかと期待していた。
「あ、あたし、な、何で」
「え?」
春駒がそこに立っていた。
この世の最後とも思われるような轟音が響いたかと思うと、静けさが急に辺りを支配した。
恐らく鈴鹿が魔軍を残らず蒸発させたのだろう。
「ひぃ」
春駒は体をすくめ、もはや立っていられないほどだった。見ると着物のところどころ裂けており、白い肌がのぞいていた。
「大丈夫か?歩ける?」
俺は肩を貸した。
「ごめんなさい、俊宗さま」
俺は横腹に冷たい刃先を感じた。
西山を目前にした道鏡の部隊は驚愕した。前方にどす黒い雲が渦巻いている。死霊がひとかたまりとなって鈴鹿めがけて襲ってきているのだ。さきほど鈴鹿が全滅させたと思っていたが、じつはこれが本隊なのだと気がついた時には鈴鹿ともども、もう囲まれていた。
「背を向けるな。互いに組んで応戦しろ」
陣を組むには遅すぎた。鈴鹿も自分のまわりの死霊で手いっぱいだった。
俊哲の部隊が崩れそうになった。田村麻呂の部隊二十人ほどが中心となって支えているが、力量差は否めなく崩壊も時間の問題であった。
「俊哲さま、もはやこれまでかと。おさきに御免こうむりたく」
部隊の者が死を覚悟した。
「あきらめるな、左右をみやれ。互いを守りあうのだ」
「俊哲、引け」
道鏡が叫んだ。
渡来人だった先々代はこの国に根をおろした。大陸の半島の端に位置した祖先の地は、大国の論理のもとに弄ばれ、同じ民族同士がいがみ合いそして滅亡の憂き目を見た。俊哲はこの国で生まれこの国で育った。友にも恵まれた。同じ渡来人系の友、田村麻呂だ。百済の王家の血筋である俊哲とはどこか異種な容姿をもちながら、子供のころから馬が合った。
この国のために死ねるのか。俊哲はたえず自問自答した。なすべきことは百済を再興すること。祖先からそう言い聞かされてきた。唐を破り、もとの領土を取り戻すのだ、と。
しかし俊哲は、それがどんなに困難であり、不可能に近いか知っている。だができないことはない。生きてさえ、いれば。
「どうした、はやく引け。無駄死にはするなっ」
道鏡が再び叫んだ。
そうだ。無駄死にはできない。国の再興が第一だ。国の再興?俺はそんなに俺のかつてあった国を興すことが、大事であったのか?友を捨ててまで望む国とはなんなのだ。
「みな、引けっ」
「俊哲さまは?」
「俺は残るっ」
「でしたら我々も、お供いたします」
この国の、どこの誰ともいえぬ民草の中から集ったもののふども。それが俺と一緒にしぬると?
百済王俊哲は田村麻呂の顔を思い浮かべた。あいつの言葉、あいつの声、あいつの笑顔。そうだ、あいつのために死ぬのなら。俺は俺の知らない国を興すなんてどうでもいい。こいつらもそうに違いない。太刀を強く握りしめて俺は力の限り叫んでいた。
「俺は俺のために死ぬ。お前たちもお前たちのために戦え。そしてそれが同じなら、俺についてこい」
「は」
「ばかが」
道鏡は笑いながら言った。
どうしても崩れがちだった右翼の陣に、さらに圧力がかかろうと魔物が集まったその時、それは起こった。
ドン
鈍い、しかし大きな振動を伴う力が一帯を支配した。右翼の魔物たちが全滅していたのだ。
「は?」
俊哲が空を見上げると、ひとりの若いむすめが浮かんでいた。
「ごめーん。遅くなっちゃった」天姫が笑って言った。
「テンコちゃん」
「それまだいう」
「だって、テンコちゃんはテンコちゃんだから」
「うふふ」「あはは」
天姫は別働で都を守っていた。宮中に向かっていた魔物、約三百をひとりで退治していた。
田村麻呂とスサノオはあらかじめ後方について危惧していた。早良親王の怨霊の目的は何か。それは帝を祟り殺すこと。それ以外はない。我らとの戦いなどどうでもいいことなのだ。だから大規模な怨霊の群れで我らを誘い、そのすきに目的を遂げる。恨みだけの衝動で動く怨霊ならこんなことはしない。これは広人なのだ。広人なればこそ、こんな高度な戦略がたてられる。
「助かったな」
道鏡は肩で息をしつつも、態勢を立て直すため辺りに気を配った。死者こそいないが重傷者がかなりいた。
「来た」
いきなりミコチが現れると、負傷したものを転移させていく。ミコチは空間をあやつり、繋げられる。
道鏡は、ある恐れを抱いていた。広人がこれを想定していなかったのか、と。広人がもし真の目的をもっていたら。帝を殺させる以外に、何か他の目的があったら。
たったひとり、ある人間がいなくなったら。それはもう思うがまま。
「ミコチ、わたしを陵の中に飛ばせ」
「むり。神域には力がおよばない」
「では陵の入り口まで」
「ことわる」
「なんでじゃ?」
「もうテンコが向かっているから」
「お前ら最初から」
「スクネは言った。あとは任せろと」
道鏡はやっと力を抜くことができた。そうだな。きさまはなにもかもお見通しなんだな。どんな罠があっても、おまえは破る。そうだ、お前は広人の弟なんだからな。
「にいさんっ」天姫はこれ以上ない声で叫んだ。
それは今にも兄、田村麻呂の横腹に短刀が突き刺さろうとしているところだった。誰が見ても、もう間に合わない。
「お願いっ」天姫はだれにすがるわけでもなく、ただ祈りの言葉がでた。
「いやー危機一髪って、これマジ笑えねーな」
「?」
春駒は振り返ると、偉丈夫なイケメンが立っていた。そして短刀を持った腕はその男につかまれて、少しも動かせずにいた。
「やっぱな、おめーが来るとは思っていたが、さすがに本気で殺しに来るとは思わなかったぜ」
「はなせっ。でないと母さんが」
春駒は必死に振り払おうとしたが、スサノオの力のまえには抵抗できないでいた。
「お前の母親は助けた。いまは田村の屋敷で保護している」
「え?」
スサノオにそう言われた春駒はへなへなとその場に座り込んだ。
「こいつっ」天姫がそれに向かって薙刀を振り下ろそうとしている。
「やめろ、テンコ」
「にいさんを殺そうとしたのよ。なんで止めるの?」
「もういい。いろいろとあるんだろ」
「にいさん、わかんないっ」
「ごめんなさい。許してくれとも、いえません」
春駒はぼそぼそと語りだした。
「あたしが小さいころ戦で父親が死んで、ずっと母はひとりでわたしを育ててきた。辛かったと思う。そしていつか母は狂っていった。もう誰もわからず、人ということも忘れていた。母は壊れた。それから母を、患う母を、いつか元の母に戻ることを信じ、私たちは生きてきた。辛かった。そんなとき私たちの前に怨霊が現れた。お前たちの辛い気持ちは分かった。全てを委ねよ、と。わたしはすがった。母が、母がまた元の母に戻ってくれたなら、わたしは命さえ惜しまない」
春駒は続けた。
「広人さまはわたしに田村さまに近づけとお命じになった。わたしは田村さまに近づいた。最初は母のため、自分のため、仕事をこなした。しかしいつのまにか、田村さまが好きになっていた。もう自分でもどうしようもないくらいに。わたしは広人さまに打ち明けて、お役を免じてくれるよう頼んだ。広人さまはおっしゃった。田村さまを殺せと。そうすれば母をもとに戻すと。断れない。どうしても断れない。考えた末、自分の都合のいいように、自分が満足できるようにこの短刀をとった。田村さまを殺し、自分も死のう、と」
「あんた」
テンコが何か言おうとしたとき、春駒は涙をぽろぽろと落とし、やがて泣き始めた。
「うらやましかったの、ほんとは。あなたの家族すべて。幸せそうで、辛いことなんてなんにもなくて。みんな笑ってて、ほんとに、ほんとにうらやましかった」
「もういい」
俺はひとをこんなにした広人が許せなかった。たとえどんな大義があろうと、たった一人でも困らせることがあったなら、俺はそれを許すことができない。
「テンコ、そいつを家に連れてってやれ」
「でもにいさま」
「妖術でそいつの母は狂わされていた。いまはそれも解けているはずだ。戻って会わせてやるのだ」
テンコはもっと何か言いたそうだったが、それを止めるように俺は頭を下げた。
「たのむよ」
「んもっ、しょうがないわね。ほら行くよ」
「あっ」
あっという間にテンコと春駒は飛び去って行った。
「いい子だな」
「え、どっち?」
「どっちもだ」
「ですよね」
「さあ、本陣だ。気ぃ緩めてんじゃねえぞ」
「はい」
スサノオと俺は一気に飛び込んだ。
「やっとのお目見え。待ちくたびれましたよ」
広人が青白い顔で立っていた。
「にいさんを返せ」
「おや、わたしがにいさんじゃありませんか、俊宗さん」
「勝手ににいさんを操るのはよせ」
「操ってなどいない。これはおまえの兄なのだ。お前の兄の無念や悔しさが、俺の心と共鳴し今ここにいるのだ」
陵
古代の王たちの墓
死者の寝床
本来穢れのなきところだが、今は真っ黒に穢れた怨念が渦巻いている。
「ちっ、俺もこんな強えー妖気を見んのは初めてだぜ。こりゃーちょっとヤバイかもな」
スサノオは太刀『鬼切』をそろそろと構えた。
「あれ?おめー太刀なに持ってきた?見たことねーな、それ」
「ああ、家からてきとーに」
「我が家に伝わる秘剣、『雷煌』(らいこう)ですよ。厄介なものを持ち込みましたね」
広人が顔をしかめている。
ついに兄、広人と対峙した田村麻呂。スサノオの援護を受けつつも、どう戦う。死してなお怨念のとりことなった兄に、田村麻呂は刃を向けることができるのか。